戦略とは何か?
テーマは、戦略です。
戦略とは何か?
トレードフォロー戦略、逆張り戦略、スイングトレード戦略・・・などなど多くの戦略は、トレードではありますが、はたしてどれだけの投資家が戦略について理解をしているのでしょうか?戦略的思考などもありますが、この思考方法を具体的に実践できている人はほんの一握りなのかもしれません。
戦略とは元来、軍事的な用語です。似たような用語として、戦術、タクティクス、ノウハウなどさまざまありますが、戦略とは、決して何か具体的な方法ではありません。
戦略について良く理解するために、ある例を考えましょう。
東京の通勤について。東京の朝の通勤ラッシュはすさまじいです。通勤時は、多くの人であふれています。バス、電車などは人の缶詰になっています。
そんな中、Aさん、Bさんは、その東京で仕事をみつけました。その仕事をするために住む場所を探しています。二人とも保有している資産はかわらないと仮定しています。
Aさんは、お金はかかっても仕事場に近い家を求めています。なぜなら、Aさんは普段の私生活の時間を会社の勉強に使いたいと考えています。
Bさんは、お金がかからない家を求めています。なぜなら、Bさんは普段の私生活で金銭的に余裕のある生活を送りたいと考えているからです。
Aさんは、そこで家賃が高い都心の家を賃貸契約することに決めました。その家は、歩いて職場に行くことができます。しかしながら、家賃は非常に高いので、普段の生活を節約しなければなりません。
一方、Bさんは、都心から離れた家を賃貸契約することになりました。その家から職場までは、電車で1時間以上はかかります。しかしながら、家賃は非常に安価なので、普段の生活を節約する必要はありません。
以上が、戦略的思考を考える上で重要な要素が含まれている具体例です。考察をしていきましょう。
AさんもBさんも同じ保有資産を持ちながら、行動の結果が大きく変わっています。それはなぜでしょうか?
それは、AさんとBさんの目的が全く異なるからです。Aさんは、家探しにおいて、普段の私生活の時間を増やそうと考えています。Bさんは、家探しにおいて、普段の私生活のコストを減らそうとしています。
そのためにとる具体的な方法は、Aさんは、近い家に住むということです。一方、Bさんは、安い家賃の家に住むということです。しかしそれぞれの方法には、デメリットがあります。Aさんの場合、家賃が高いということ、Bさんの場合、家が職場から離れているということです。これは、東京という環境が大きな制約を与えている様子がうかがえます。
そのデメリットに対処する方法は、Aさんは、普段の生活を節約すること。Bさんは、長い通勤時間に耐えなければならないことです。
どちらの方法が優れているとは、決定できません。なぜなら、二人の目的が完全に異なるからです。
この例では、二人とも戦略的な思考ができています。
ここで、戦略とは何かという問いに戻ってみましょう。私の定義では、戦略とは、ある行動や意思決定を導くための目的のことである、と考えています。方向性ともいえます。
もし、Aさんが戦略的でない場合、AさんはBさんの選んだような家を選択することでしょう。つまり、結果的に私生活の時間を削ってしまうということです。これは、目的にまったく合っていません。
また、戦術についても定義を与えたいと思います。戦術とは、戦略を展開するための行動や意思決定です。しいていうならば、具体的にとる方法だともいえます。
よって、戦略と戦術の関係は、戦略が戦術を導くという関係です。
ですので、トレードについていうならば、トレンドフォロー戦略の場合、発生したトレンドから利益を追求するということを目的にしています。そのための具体的な行動や意思決定は、例えば、ポジションを長く保有するということです。しかし、相場が思惑と違う方向に向かうとき、それがわかった瞬間にポジションを手仕舞うという行動をとります。また、トレンドが思惑の通りに向かっても、トレンドが終了した時点でポジションを手仕舞うという行動をとります。しかし、それだけでは、戦略的に不十分です。なぜなら、利益を追求することも目的のひとつだからです。そのために、資金管理の一環として、どのようなサイズの資金を投じていくのか、ポジションサイジングについても意思決定をしなければなりません。損切り貧乏といわれるとおり、トレンドを追求するあまり、ポジションを持つタイミングや方法が、利益よりも損失を多く生み出すようでは、戦略的ではありません。ここでは、トレンドをうまく利用するという目的と利益をあげるという目的がミックスされています。
戦略的な思考には、痛みが伴います。損失を出すことも戦略的に合致していれば、必要なことだからです。これは、受け入れたくない本質です。しかし、多くの個人投資家が、損失の痛みに耐え切れず、戦略的に合致しない戦術をとります。例えば、必要以上に早く利益を確定したり、必要以上に少なく損失を確定させてしまうことです。また、利益を上げることを追求しすぎるあまり、エントリーのタイミング、エグジットのタイミングを戦略にあわない方法で実行します。
以上の結果、重要な結論は、戦略とは、具体的な行動や意思決定を導く目的であるということ、そして、その目的に合致しない行動や意思決定は、戦略的ではないということです。
戦略について何か重要な示唆を提供できたでしょうか?
戦略とは何か?
トレードフォロー戦略、逆張り戦略、スイングトレード戦略・・・などなど多くの戦略は、トレードではありますが、はたしてどれだけの投資家が戦略について理解をしているのでしょうか?戦略的思考などもありますが、この思考方法を具体的に実践できている人はほんの一握りなのかもしれません。
戦略とは元来、軍事的な用語です。似たような用語として、戦術、タクティクス、ノウハウなどさまざまありますが、戦略とは、決して何か具体的な方法ではありません。
戦略について良く理解するために、ある例を考えましょう。
東京の通勤について。東京の朝の通勤ラッシュはすさまじいです。通勤時は、多くの人であふれています。バス、電車などは人の缶詰になっています。
そんな中、Aさん、Bさんは、その東京で仕事をみつけました。その仕事をするために住む場所を探しています。二人とも保有している資産はかわらないと仮定しています。
Aさんは、お金はかかっても仕事場に近い家を求めています。なぜなら、Aさんは普段の私生活の時間を会社の勉強に使いたいと考えています。
Bさんは、お金がかからない家を求めています。なぜなら、Bさんは普段の私生活で金銭的に余裕のある生活を送りたいと考えているからです。
Aさんは、そこで家賃が高い都心の家を賃貸契約することに決めました。その家は、歩いて職場に行くことができます。しかしながら、家賃は非常に高いので、普段の生活を節約しなければなりません。
一方、Bさんは、都心から離れた家を賃貸契約することになりました。その家から職場までは、電車で1時間以上はかかります。しかしながら、家賃は非常に安価なので、普段の生活を節約する必要はありません。
以上が、戦略的思考を考える上で重要な要素が含まれている具体例です。考察をしていきましょう。
AさんもBさんも同じ保有資産を持ちながら、行動の結果が大きく変わっています。それはなぜでしょうか?
それは、AさんとBさんの目的が全く異なるからです。Aさんは、家探しにおいて、普段の私生活の時間を増やそうと考えています。Bさんは、家探しにおいて、普段の私生活のコストを減らそうとしています。
そのためにとる具体的な方法は、Aさんは、近い家に住むということです。一方、Bさんは、安い家賃の家に住むということです。しかしそれぞれの方法には、デメリットがあります。Aさんの場合、家賃が高いということ、Bさんの場合、家が職場から離れているということです。これは、東京という環境が大きな制約を与えている様子がうかがえます。
そのデメリットに対処する方法は、Aさんは、普段の生活を節約すること。Bさんは、長い通勤時間に耐えなければならないことです。
どちらの方法が優れているとは、決定できません。なぜなら、二人の目的が完全に異なるからです。
この例では、二人とも戦略的な思考ができています。
ここで、戦略とは何かという問いに戻ってみましょう。私の定義では、戦略とは、ある行動や意思決定を導くための目的のことである、と考えています。方向性ともいえます。
もし、Aさんが戦略的でない場合、AさんはBさんの選んだような家を選択することでしょう。つまり、結果的に私生活の時間を削ってしまうということです。これは、目的にまったく合っていません。
また、戦術についても定義を与えたいと思います。戦術とは、戦略を展開するための行動や意思決定です。しいていうならば、具体的にとる方法だともいえます。
よって、戦略と戦術の関係は、戦略が戦術を導くという関係です。
ですので、トレードについていうならば、トレンドフォロー戦略の場合、発生したトレンドから利益を追求するということを目的にしています。そのための具体的な行動や意思決定は、例えば、ポジションを長く保有するということです。しかし、相場が思惑と違う方向に向かうとき、それがわかった瞬間にポジションを手仕舞うという行動をとります。また、トレンドが思惑の通りに向かっても、トレンドが終了した時点でポジションを手仕舞うという行動をとります。しかし、それだけでは、戦略的に不十分です。なぜなら、利益を追求することも目的のひとつだからです。そのために、資金管理の一環として、どのようなサイズの資金を投じていくのか、ポジションサイジングについても意思決定をしなければなりません。損切り貧乏といわれるとおり、トレンドを追求するあまり、ポジションを持つタイミングや方法が、利益よりも損失を多く生み出すようでは、戦略的ではありません。ここでは、トレンドをうまく利用するという目的と利益をあげるという目的がミックスされています。
戦略的な思考には、痛みが伴います。損失を出すことも戦略的に合致していれば、必要なことだからです。これは、受け入れたくない本質です。しかし、多くの個人投資家が、損失の痛みに耐え切れず、戦略的に合致しない戦術をとります。例えば、必要以上に早く利益を確定したり、必要以上に少なく損失を確定させてしまうことです。また、利益を上げることを追求しすぎるあまり、エントリーのタイミング、エグジットのタイミングを戦略にあわない方法で実行します。
以上の結果、重要な結論は、戦略とは、具体的な行動や意思決定を導く目的であるということ、そして、その目的に合致しない行動や意思決定は、戦略的ではないということです。
戦略について何か重要な示唆を提供できたでしょうか?
優位性は主観的か?
このテーマは、優位性についてです。
私の定義で、優位性とは、「確率的な偏り」のことであると述べました。そこには、「有利である」という意味合いは含まれてません。
しかしながら、感覚として本来の優位性には、そのような意味合いが含まれているような感じがしてなりません。
なぜでしょうか?
具体例で考えてみたいと思います。
あるマーケットは、複雑な値動きをしています。一見ランダムにあげさげを繰り返しています。
しかしながら、そういった複雑な値動きの中に「ある特定の値動き」をみつけました。
その値動きが、過去10年間でそのマーケットで発生する頻度を調べてみました。すると10年間で、X回発生していることがわかりました。
このX回というのがポイントです。(Xは自然数。)
もし、1回だったらどのように感じるでしょうか?10年に1回です。
もし、50回だったらどのように感じるでしょうか?10年に50回です。
もし、1000回だったらどのように感じるでしょうか?10年に1000回です。
もし、100000回だったどのように感じるでしょうか?10年に100000回です。
まぁ一般的な感じ方を想像してみましょう。
明らかに1回は、少なすぎるはずです。10年まって1回は待てないでしょう。(待てる人も実際にはいますが・・・)
明らかに100000回は、多すぎです。1年に1万回です。
さて、50回なら、1年に5回です。これを多いととるか少ないととるか。
1000回なら、1年に20回です。これは、10年に50回よりも発生回数が多いです。
あなたは、投資家として何を考えますか?
わたしなら、まだ投資判断を下しません。なぜなら、このデータは、あくまでも発生頻度であり、値幅、タイミングなど不明な点が多いからです。10年に1回でもものすごい値幅であるならば、投資をするかもしれません。10年に10万回ならば、取るに足りない値動きかもしれません。値幅もちょっとかもしれません。それならば、投資してもうまみがありません。
したがって、投資判断を下すには材料不足ですが、読者の皆様は、発生頻度X回を具体的に示されると何がしかの心理的反応があったのではないですか?
この具体例から得られる示唆は、確率的な偏りを認知した後に、投資家は有利であるか不利であるかの判断を下すということです。その有利、不利の判断は、間違いなく主観的です。なぜなら、認知した確率的な偏りは、各自の戦略の中で良いか悪いか判断されるからです。
ですので、このことから導かれる結論は、優位性に有利であるという意味合いが含まれている場合、それは、客観的であるとはいえないということです。
優位性についてなにか示唆を提供できましたか?
私の定義で、優位性とは、「確率的な偏り」のことであると述べました。そこには、「有利である」という意味合いは含まれてません。
しかしながら、感覚として本来の優位性には、そのような意味合いが含まれているような感じがしてなりません。
なぜでしょうか?
具体例で考えてみたいと思います。
あるマーケットは、複雑な値動きをしています。一見ランダムにあげさげを繰り返しています。
しかしながら、そういった複雑な値動きの中に「ある特定の値動き」をみつけました。
その値動きが、過去10年間でそのマーケットで発生する頻度を調べてみました。すると10年間で、X回発生していることがわかりました。
このX回というのがポイントです。(Xは自然数。)
もし、1回だったらどのように感じるでしょうか?10年に1回です。
もし、50回だったらどのように感じるでしょうか?10年に50回です。
もし、1000回だったらどのように感じるでしょうか?10年に1000回です。
もし、100000回だったどのように感じるでしょうか?10年に100000回です。
まぁ一般的な感じ方を想像してみましょう。
明らかに1回は、少なすぎるはずです。10年まって1回は待てないでしょう。(待てる人も実際にはいますが・・・)
明らかに100000回は、多すぎです。1年に1万回です。
さて、50回なら、1年に5回です。これを多いととるか少ないととるか。
1000回なら、1年に20回です。これは、10年に50回よりも発生回数が多いです。
あなたは、投資家として何を考えますか?
わたしなら、まだ投資判断を下しません。なぜなら、このデータは、あくまでも発生頻度であり、値幅、タイミングなど不明な点が多いからです。10年に1回でもものすごい値幅であるならば、投資をするかもしれません。10年に10万回ならば、取るに足りない値動きかもしれません。値幅もちょっとかもしれません。それならば、投資してもうまみがありません。
したがって、投資判断を下すには材料不足ですが、読者の皆様は、発生頻度X回を具体的に示されると何がしかの心理的反応があったのではないですか?
この具体例から得られる示唆は、確率的な偏りを認知した後に、投資家は有利であるか不利であるかの判断を下すということです。その有利、不利の判断は、間違いなく主観的です。なぜなら、認知した確率的な偏りは、各自の戦略の中で良いか悪いか判断されるからです。
ですので、このことから導かれる結論は、優位性に有利であるという意味合いが含まれている場合、それは、客観的であるとはいえないということです。
優位性についてなにか示唆を提供できましたか?
優位性とは何か?
このテーマでは、優位性について考える場所です。
「優位性」
この言葉をよく目にします。投資を成功させる上でなくてはならない要素のひとつです。
しかし、そんな不可欠な要素を調べてみても漠然としか説明されていません。なぜでしょうか?
私の認識では、優位性は数値で表すには、概念として曖昧すぎるからだと考えています。
優位性でよく使われている意味としては、「比較して他よりも有利であること」というような用法です。
例えば、この情報をしっているほうが、しらないことよりも優位性がある、などの使われ方です。
間違っていないとおもいます。確かにその通りなのかもしれません。しかし、私は、それだけではまだ本質に迫っていないと考えています。
私の尊敬するリチャードデニス氏は、「優位性にお金を賭ける」、「優位性に投資する」といった言葉を使用しています。この用法は、優位性の本質をつかむ上で真に迫っている感じがします。
他の例としては、「あなただけの優位性」という使われ方もよく目にします。ある人独自の優位性を見つけることが投資の成功の鍵であるということらしいです。
すこし整理したいとおもいます。すくなくとも言えることは、
優位性には、有利であるという意味合いが含まれている
ということです。また、
優位性は、比較を通して見つけれられるものである
ということもわかります。また、
優位性は、それにお金を投じることができる
ということも言えるでしょう。いまだに判然としない感があります。
では、ここからが、私自身の考えです。批判・補足・感想、なんでもかまいません。もし、何かあればどんどんつっこんください。
私自身が考える優位性とは、「確率的な偏り」であると考えています。したがって、優位性があるという意味は、私の定義に従えば、「確率的な偏りがある」ということです。
「確率的な」という意味は、数値で表すことができるできないに問わず、ある現象の、他の現象との相対的発生頻度のことをさしています。
この定義は、上で示した、有利であるという意味合いは含まれてません。なぜならば、確率的に偏りがあるということは、客観的な観察の結果ですが、有利であるということは、主観的な観察の結果だからです。では、優位性がない例と優位性がある例を例示してみます。
まず、優位性がない例です。数学の教科書でよく出てくるさいころの出る目の確率です。
厳密に説明するなら、どの目が出るかは、同様に確からしいサイコロを投げる場合の出る目の確率です。
1、2、3、4、5、6の目は、均等に目の出る確率は1/6です。このサイコロ投げには、確率的な偏りがなく、したがって、定義より、優位性がないです。
一方、次のような場合、優位性があるということができます。
1の目が出る確率・・・1/2
1以外の目が出る確率・・・1/10(1以外の各々の目が出る確率)
この例は、1がものすごく出やすいサイコロです。言い換えれば、1~6の目のどの目がでるかは同様に確からしくないサイコロです。明らかに確率的に偏りがあります。したがって優位性があります。
以上の例は、優位性について深い示唆を与えてくれています。
①優位性には、有利であるという意味合いは全く含まれていない。中立的な意味しか持たない。
②優位性は、客観的な事実の観察をもとに明らかになる。
③優位性は、数値化できる場合がある。
④優位性は、相対的な概念である。絶対的な概念ではない。
⑤優位性は、日本語の「優位」という漢字は適当ではない。(英語では、edge)
特に⑤から、優位性は、「偏性」などの漢字が適当ではないかと思われます。これは、あくまでも私の定義に従った場合の論理的に帰結される結論です。
優位性の特性について何か示唆は得られましたか?
「優位性」
この言葉をよく目にします。投資を成功させる上でなくてはならない要素のひとつです。
しかし、そんな不可欠な要素を調べてみても漠然としか説明されていません。なぜでしょうか?
私の認識では、優位性は数値で表すには、概念として曖昧すぎるからだと考えています。
優位性でよく使われている意味としては、「比較して他よりも有利であること」というような用法です。
例えば、この情報をしっているほうが、しらないことよりも優位性がある、などの使われ方です。
間違っていないとおもいます。確かにその通りなのかもしれません。しかし、私は、それだけではまだ本質に迫っていないと考えています。
私の尊敬するリチャードデニス氏は、「優位性にお金を賭ける」、「優位性に投資する」といった言葉を使用しています。この用法は、優位性の本質をつかむ上で真に迫っている感じがします。
他の例としては、「あなただけの優位性」という使われ方もよく目にします。ある人独自の優位性を見つけることが投資の成功の鍵であるということらしいです。
すこし整理したいとおもいます。すくなくとも言えることは、
優位性には、有利であるという意味合いが含まれている
ということです。また、
優位性は、比較を通して見つけれられるものである
ということもわかります。また、
優位性は、それにお金を投じることができる
ということも言えるでしょう。いまだに判然としない感があります。
では、ここからが、私自身の考えです。批判・補足・感想、なんでもかまいません。もし、何かあればどんどんつっこんください。
私自身が考える優位性とは、「確率的な偏り」であると考えています。したがって、優位性があるという意味は、私の定義に従えば、「確率的な偏りがある」ということです。
「確率的な」という意味は、数値で表すことができるできないに問わず、ある現象の、他の現象との相対的発生頻度のことをさしています。
この定義は、上で示した、有利であるという意味合いは含まれてません。なぜならば、確率的に偏りがあるということは、客観的な観察の結果ですが、有利であるということは、主観的な観察の結果だからです。では、優位性がない例と優位性がある例を例示してみます。
まず、優位性がない例です。数学の教科書でよく出てくるさいころの出る目の確率です。
厳密に説明するなら、どの目が出るかは、同様に確からしいサイコロを投げる場合の出る目の確率です。
1、2、3、4、5、6の目は、均等に目の出る確率は1/6です。このサイコロ投げには、確率的な偏りがなく、したがって、定義より、優位性がないです。
一方、次のような場合、優位性があるということができます。
1の目が出る確率・・・1/2
1以外の目が出る確率・・・1/10(1以外の各々の目が出る確率)
この例は、1がものすごく出やすいサイコロです。言い換えれば、1~6の目のどの目がでるかは同様に確からしくないサイコロです。明らかに確率的に偏りがあります。したがって優位性があります。
以上の例は、優位性について深い示唆を与えてくれています。
①優位性には、有利であるという意味合いは全く含まれていない。中立的な意味しか持たない。
②優位性は、客観的な事実の観察をもとに明らかになる。
③優位性は、数値化できる場合がある。
④優位性は、相対的な概念である。絶対的な概念ではない。
⑤優位性は、日本語の「優位」という漢字は適当ではない。(英語では、edge)
特に⑤から、優位性は、「偏性」などの漢字が適当ではないかと思われます。これは、あくまでも私の定義に従った場合の論理的に帰結される結論です。
優位性の特性について何か示唆は得られましたか?