基本的に、部下を育てるということと子供を育てるということは非常に近いとかねがね思っていました。
人ではなくコトを叱る。
挑戦した結果の失敗は許容する。
などなど。
しかし、ひとつだけ腑に落ちないことがずっとありました。
それは、部下は結果主義で評価し、子供はプロセス主義で評価するという違いです。
「今月惜しかったな。来月は必ずや達成しよう。」
これは部下に対して結果主義な発言です。
「今月惜しかったな。よく頑張ってたからここまでいけたんだろう。達成は無理だったけど、その頑張りだけで私は十分に評価しているよ。」
これは部下に対してプロセス主義な発言です。
プロセス主義な上司の方が部下としては接しやすいでしょうが、実際はこんな発言をずっとされている部下の成績は上がってこないでしょう。
「100点まで惜しかったな。次のテストでは必ずや100点取ろう。」
これは子供に対して結果主義な発言です。
「100点まで惜しかったな。よく頑張ってたからここまでいけたんだね。100点は取れなかったけど、それだけ頑張っただけでも偉いって思ったよ。」
これは子供に対してプロセス主義な発言です。
先ほどの、上司と部下の関係と違い、今度はプロセス主義で接された子供のほうが何事も前向きに取り組み、優秀になりそうではないでしょうか?
この違いが何でなのかなとずっと考えてました。
最近、その理由がわかりました。
■上司はわが子のように部下のすべてを見ることはできない。
当然ですが、ひとつ屋根の下で一緒に暮らしている自分の子供のように部下の頑張りを見続けるということは不可能です。
つまり、プロセスで評価しようと思っても、どうしても見えない部分が発生します。
お互いに見えない部分が発生しているとわかっているもの(つまりはプロセス)に対して評価されても、感情を揺さぶられるほど喜んだりすることはなかなか難しいと思います。
■大人になるにつれて人はズルくなる。
悲しいかな、そういうことかと気付いてしまいました。
子供はプロセスを褒められれば、頑張ることは良い事だと素直に努力の量も質も改善していきます。
しかし、大人のプロセスを褒めると、こうすれば褒められるなと計算で動いてしまうのです。
しかも、上司は全てを見ることができませんから、その努力が本物か計算か見抜くのはほぼ不可能です。
結果、大人は結果でしか評価できなくなってしまうんだと思います。
これらが部下と子供で評価指標が異なるべきという理由です。
もちろん、大人もプロセスを褒める価値は十分にあります。
具体的には、結果をベースに評価しつつも、ふと見つけた本物の頑張り(必死な顔で良い企画を出そうと頑張っている、など)を、その都度「がんばってるね、その調子」などと褒めるのです。
評価には現れませんが、頑張っていれば見てくれてるときもあるんだと気付く、感じることで、本物の頑張りの割合がどんどん増えていくでしょう。
当然、そのうち結果も良くなるはずです。
良い結果を出すためには努力(プロセス)は欠かせません。
そのために、ズルを知らない幼少期に徹底してプロセスの重要性を教え込むこと。
具体的には、必死に頑張ること、頑張るだけでエラいことだという価値観を植えつけること。
有名な心理学の実験で、子供にテストをさせて100点までとらせた後、「頭がいいね」と結果を褒めた子と、「よくがんばったね」とプロセスを褒めた子では、次のテストを自発的に選ばせた時に、結果を褒められた子はより簡単なテストを、プロセスを褒められた子はより難しいテストを選んだそうです。
子育ては急がば回れですね。