夕方の湯気が、静かに店の窓を曇らせる。
ロクは少し曲がった背中のまま、慣れない筆を持っていた。
油の匂いがまだ残る厨房の隅。
古びた木机の上には、一枚の厚紙。
「字が下手でも、気持ちは入るだろ」
そう呟きながら、ロクはゆっくり“思い出お品書き”を書き始める。
母の日限定
― おもいで献立表 ―
一、先付
「ごろっとじゃがいもとウィンナーのスパニッシュオムレツ」
昔、忙しい朝に母ちゃんがよく作ってくれた。
少し焦げた端っこを取り合った記憶まで、ちゃんと味になってる。
「最初の一口は、懐かしい台所の匂いから。」
二、主菜
「オンボロ食堂仕込み・山盛り唐揚げ」
揚げる音だけで、なんだか家が明るくなる料理。
今日は揚げたてを、ゆっくり食べてもらいたい。
「今日は台所、休んでてください。」
横でクゥーがつまみ食いしようとして、ロクに軽く頭を小突かれている。
三、飯物
「季節の炊き込みご飯」
湯気の向こうに、いつもの食卓が見える。
特別じゃない日を、ずっと支えてくれた味。
「変わらない毎日に、ありがとう。」
ロクはそこだけ少し書き直した。
墨がにじんでいた。
四、甘味
「なめらか手作りプリン」
最後は、ちゃんと甘いものを。
少し固めで、昔ながら。
クゥーが端っこに小さく描いたカーネーションと、
ちょっと似てない母ちゃんの似顔絵。
横には震えた字で、
『いつもありがと』
とだけ書いてある。
店の外では、夕方の風が暖簾を揺らしている。
ロクは品書きを見つめたまま、少し照れくさそうに鼻を掻いた。
「……まあ、うちはこんなもんです。
お腹も心も、また明日で。」
