春になってきた。
衣替えの季節、体も軽くなってきた。
何かフレッシュにしたくて服を断捨離したくなる。
が、さすがに60手前、そろそろ現役収入がなくなる年になると、
ボンボン捨てましょう!とはいかなくなる。
断捨離のキモとは
例えば営業職についていたら、
トキメキかなくても、スーツはいる。
もうこれは男性の背広と同じである。
こだわりがなく、仕事着として考えるなら、メルカリで購入でもいいのではと思う。
現役をしりぞいた方が結構出しているのではないか。
スーツは高いもの。こだわりなくきちんとしていればいいのなら、
若いうちは古着でもいいのでは。
仕事をしていれば、どうしても服はいる。
とりあえずの服はいる。
制服をやめた会社が多いが、制服はやはり安くあがる。
私は今専業主婦だが、専業主婦になると、
ユニクロなど中間的な服がありがたい。
さっときれる、ちゃんとはするが、行き過ぎない。
多少の汚れも、あぁ汚れたなと軽く思える。
ユニクロはある意味面白くない服なのかもしれないが、
基本的な服があり、専業主婦である私にはありがたい。
(GUは若い感じがして最近は買っていない。)
仕事についていてもいなくても、
飛び切りの時間は、1~3年中、数回はあると思う。
服の総量のキモはここではないか。
タンスの肥やしをどれだけ許すか。
我々バブル世代は、いい服が沢山手に入った時代である。
個人的ブームで、かなり断捨離したが、
あとで振り替えるともう手に入らないような素材のものが結構あった。
そのうちの一つ、やぼったいカーディガンだが素材バツグンの物、実家においてあったものをみつけ持ち帰り、
着た時、夫がそれいいねといった。
ちなみに、昔の、日本橋三越での購入品、ノンブランド。
いいものは他人の目からでないとわからないもの。
それをきた総合の私も。
今は、超高級ブランドでも、安く仕上げるために人権費などをけずっている。
本当の贅沢な仕上がりのものが減っている。(気がする)
飛び切りのランクはともかく、庶民が届くブランドラインはそんな感じになってきた。(気がする)
あるブランドで、イタリアの工場ではあるが、つかっていたのはアジアの移民で、
火事がおき逃亡防止のため出口があけれない構造だったため、数名がなくなったそう。
どこもかしこも、高級品も、製造コストを抑えることに懸命である。
せちがらい。
服は文化である。
なので、やはり無駄、作る過程の優雅、時間こみの物かと思う。
少なくとも高級品はそうかと思う。
最近は、特に一般の服は、”商品”である。
今はなんでもタイバに、コスパ。
話がそれた。
バブル世代は、ときめかないもう着ないなど、昔の服を袖も通さず捨てることなかれである。
よほどすごい肩パットが入っているもの、ミニスカート以外は。
昔の勤務していた会社の社長(不動産屋でバブルの時にはぶりよく崩壊も切り抜け、
今も金がはたっぷり)
昔のテーラーメイドであろう服を会社によく着てきていた。
それなりの年になるとやはり似合うし感じがいい。
時々若作りで最近の安い服をきることもあったが、しっくりくるのは、
昔の服だった。
で断捨離にもどる。
一言でいえば、服をすてるのは慎重にである。
金がわんさかある、もしくは現役世代なら、ボンボン捨ててみるもいいが、
高齢世代は、入金が減っていく世代、安易に捨てるは要注意である。
今はインフレである、さらに金は相対的に目減りしている。
私世代に勧めるのは、断捨離は、最近の購入品で安いものから断捨離をする。
古いもので、ずっともっているものに関しては、
迷ったら捨てず、1着1着着てみる、無理やりでも着る。
それで何かしっくりこないなら、捨てるである。
若い方にいいたいのは、
例えばシャツなど基本から、少し少し背伸びする服もチャレンジしてほしい。
安い服を2着がまんし、一着いい服を購入し着てみる。
多分、あまり着ないと思う。
高い服は高い場所にあう。
お金をため、高い服をきて高い場所に3年に一度ぐらいいってみるをお勧めする。
(自分の人生にはそんなものはいらないならそれもいいが。)
少しでもそんな世界にあこがれがあるなら、
店、宿を決め、着ていく服を考え、探し買い、実際行ってみる。
いい宿いい店には、やはり独特の雰囲気がある。
それを、コツコツ感じ体感し、本物の感触を知ると、
偽物にあったとき、なんか違うとわかってくる。
皇室の人の雰囲気が、何か違うのは、やんごとない環境に普段いるからである。
普段の環境は、その人にじわっとしみつき身につくもの。
(なのでやはり部屋はきれいなほうがいい)
こういう経験は、若いうちがいい。
かなり居心地が悪いだろう、店によっては扱いがひどいところもあるだろう。
そんな店も勉強の一つ。本物とは何か教えてくれる。
こんなめんどくさいことを、意識して、計画的にやってみること。
ていねいに、礼儀ただしく。普段より箸を上げるスピードを落としてみる。
それが、行動する。自分を変えていく、ということと思う。
普段と違う場所に、めんどくさくても行ってみる、チャレンジする。
若者なら、高級な場所に(自腹で)行ってみる。
ものすごく高級な場所なら、おじさん連れもいいかもしれない。
それが正しいオヤジの使い方。
本物のおやじなら、遊びとは何か心得ている。
何度も行き、少し違うなと思えば、自分の人生から、はずせばいい。
そうやっていけば、本当に自分が望む世界が、少しは見えてくる。
本物と呼ばれるものを体感、自分、その往復は大事と思う。
結婚にもそういうことは役立つ。
本物を知ると、本物のオーラを持つ人をかぎ分ける力も身につく。
本物には、やはり礼儀がいる、この場合の礼儀は、
それなりのかっこをすること。
断捨離、そのまま読めば、
たつ捨てる、離すである。
たったのに、また買う人のなんと多いことか。
断捨離するなら、何を断つのか、しっかり意識することである。
この春変わりたいなら、服の山を前に、何を変えたいのか、
変えたくないのは何か。
まずしっかりつかみ基準を確認してからである。
(これがこんまりさんの言いたいトキメキかと思う)
そうでないと大事なものをすてることになる。それはもう二度と買えないかもしれない。
手を当ててトキメキますかでなく、
やはり、どんな暮らしをしていきたいのか、
断捨離前に、しっかり考えることが必要。
とくに還暦世代は、これからこそ、いい場所にいい物を着ていける時代である。
本物の店なら、その服が古かろうがどうだろうが受け入れてくれる。
むしろ、昔の服を丁寧にきているほうが好感がいいものである。
(本物なら)
服、されど服である。
その人がチョイスしてきた塊である。
春、いくつでも、何か変わる気がする季節。
若くない還暦世代もウキウキする。
変えないもの、まだ挑戦できそうなもの、をしっかり見極め、
今まで選んできたチョイスの塊、服を見直そうと思っている。
若者へ、
まだまだ、自分を変えられる、挑戦ができる時代である。
サザンの歌で、”おわらない彼と寝てる~”というミスブランニューディという歌があるが、
”わりとよくあるタイプの君よ~”
でいいのか、この曲の歌詞を読んで、
私の人生を、この先の人生を、
断捨離前によく考え、服を、断してほしい。