許すか、許さないか | 58才の希望と野望

58才の希望と野望

地方出身東京在住 
賃貸暮らし(50歳彼が家を準備!)
独身彼なし(49歳でできた!)
夢:本をだすこと
家族が 彼がほしい(彼はできた、51歳で入籍しました)
仕事がほしい(49歳で正社員になった!53歳首)
英語が話せるようになりたい!
人生あきらめません!

秋ですね。さわやかです。

 

私、きれない関係の人で、何度もいやな思いをしてきた人がいます。

 

以前書いた記事で、

 

 

相手はマイルドサイコパスなのではと思っています。

 

で、さらに、ずっと悩んできたのが、

多くの本などに書かれている、

 

”相手をゆるしましょう”のすすめです。

 

そんなワークが書いてある本を読んで試してみたりして、

相手もなんだが態度が変わり、よかった~許さないといけないのね~、

と思い、

少しして、やや困難な状況になると許した相手は、

この野郎!な人に変わり、

(この野郎ぐらいならいいですが。)

許しはポンと飛びます。

 

再び許せない感情の怒りがやや過ぎたころ、

なぜ許せないの私と、許せない自分の小ささにいやになる。

人生何度もこの繰り返しでした。

 

あるとき、再び憤慨するようなことが相手とおこり、イライラして、

気分を変えようと、華やかな雑誌ヴァンサンカンを眺めるかと開くと、

 

”ミスリンのナチュラルライフレポ 愛しい気配”というエッセイが飛び込んできました。

バブル世代ならかなりが知っている、

ファッションブランド『FOXEY / フォクシー』の代表取締役社主兼デザイナー、前田義子の連載エッセイです。

 

そこにはこう書いてました。

”許すことも必要ですが、場合によって許さない勇気をもつことも大切。”

 

前田さん(さんづけで失礼します。)

の出張中、長年の知人から着信があり、とったところ挨拶もなくいきなり暴言のオンパレードだったそうで、

長い間リスペクトをもってお付き合いをしてきたが、ご縁はこれまで。

と始まったエッセイ。

 

これを読み、私は初めて、

許さなくてもいいと言われたようで、

すっと救われました。

 

前田さんは、100人いたら100人の正義がある、自分が間違っているかもしれないという謙虚さ、

人の意見に耳を傾ける、柔軟さは大切とした上で、

それでも相手の(電話をかけてきた相手の)発言を受け入れられなかったのは、

”感情を一方的にぶつけるだけの、単なる攻撃にすぎなかったらだと感じております。”

 

この後、苦言と暴言の違いについてのべ、

(それは愛があるか否か)

そして、

上記の、

許す…の文となります。

 

そのあとも長いですが引用させていただきます。

 

”世の中には言っていいことと、絶対言ってはいけないことがあると思います。

許されない暴言をやり過ごすことは、自らのプライドを傷つける行為。

おおらかな振る舞いのように見えて、実は自己否定をしてしまっているような気がするのです。”

 

そのあと、自分以外だれが自分を大切にできるでしょうか、と続きます。

 

”自分を侮辱するような発言や行動をとる相手とは、いったんは仲良くしたとしても、

忘れたころにおなじような出来事が起き、再び不快な思いをするというパターンが多いように思います。そもそも大事な人、好きな人にいやな態度はとらないはずで、その逆もしかり。わたしはいずれ離れる運命にあったと解釈、疎遠になるのは不安でも怖くもなく、むしろ前向きなことだと思ってます。”

 

ほんとにその通り、

相手を許しましょうという教えは、相手を許し、そして相手を変えていくという理想。

まずは自分を変え、相手が変わる。

まずそこから間違えている気がする。

 

若ければ、確かに謙虚に聞かなければいけないこともあるでしょうが、

(それも愛があるかです。)

 

またこの考え、己が(やられた自分が)相手を変えるという点で、

上から目線なような気がする、同じ穴のムジナというやつな気がします。

 

マイルドサイコパスにも書いたのですが、変わらない人はいる。

人も組織も、自分が思うように変わらない、それが56歳ではっきり言えることです。

あなたは神様ではない、人です。

 

以下引用

”自己肯定感を下げるよりも、きっぱり断ち切り負の気配から解き放たれるほうがよっぽどいい。自分で決め、責任をもってとった行動は、譲ることのできない大切なものを再確認できるよいきっかけにもなるはず。”

 

スクショさせてもらったので、ヴァンサンカンのどの号かすぐ言えなくて申し訳ないです。

多分2023年夏前の号で、Vol152と書いてあります。

同じような悩みでモヤモヤしている人がいたら、図書館などで探して読んでみてほしい。

全部引用するわけにはいかないので。

 

このエッセイの最後に

”一度放った言葉は、取り消すことができません。だからこそ、大切な人には冷静に、丁寧に、思いを込めて伝えたいものです。”

と締めくくっています。

 

これも胸にきざみます。

 

前田さんがどんな人かは、なんとも言えません。私は本人をしりませんし。

前田さんは早くから経営者として活躍されており、多くの人との関係のなかで、

たどり着いた言葉かと思います。

 

私は、このエッセイで、長い間苦しんでいたことが、ふっと楽になれました。

 

前に国連で、日本と北朝鮮の、我が国の主張をやりやっているのをたまたま見ました。

こんな日本人もいるのかと思うほど、毅然としたそしてきれいな英語で話す日本人に関心しながら、

北朝鮮も北朝鮮の主張を話す。お互い譲り合うなどない平行線のある意味むなしい、討論ですらない語り。

どうも毎年恒例のようで。

 

極端ですが、身近な人、会社なども、こんな世界と思います。

 

誰か一人を気にしてモヤモヤする時間は勿体ない。自分とは仲良くはできない人なのだと、

それでも、その人とやっていかなければいけないなら、機械的につきあうなど、

傷つけられるようなことをいってきたら、

毅然と対応する(やり返すとかでなく、さらりと流すなど)

でももう、相手を許そうなどと思わなくていい。

 

この世は、アフリカのジャングルのようなもの。

トラとシマウマは仲良くはできません。噛みつかれながら、トラを許そうと思うシマウマにはなりたくない。

 

同じサバンナに生きながらも、近づいてきたら、逃げるのみ。

 

愛してくれる人だけの、たとえそれが小さな世界でも、居心地のいい、

このくそ忙しい、他にも考えないといけない世の中で、

無駄なことを考えなくてもいい、そんな環境で私は残りの人生生きようと思ってます。

 

あと、この年になると、因果応報という言葉もかみしめます。

やったことは返ってくる。

覚悟と愛をもって、いつまでかわからないけど、

明日も気持ちよくすごしたいです。

 

これを読み、それでも私は許したいなら、それでもいいと思います。

あなたはあなたです。