8月、お盆が過ぎてほどなくして、入院していた父が他界した。
緊急で日本へ帰国し、今はアメリカへ戻っています。
6月の帰省中に、「もうこれが最後だろうな」という気持ちで父と面会をすることができたので、最期の時に立ち会うことはできなかったけれど、後悔はない。
むしろ不思議なのは、今まで以上に父を近くに感じていること。
元々口数が少ない父親だったし、私が自分の気持ちを父に伝えることも幼い頃からほとんどなかった。25年前に渡米してからはますます言葉のコミュニケーションは減っていた。でも、亡くなった今、初めて父とじっくり対話ができているという感覚がある。もうその手を握ることはできないし、汗を流して働く背中を見ることもできない。それは確かにかなしい。だけど今は、たとえ私が英語を話していても翻訳機なしでコミュニケーションできるような、不思議な感覚がある。それはすごく暖かくて、幸せな感覚でもある。
現実は、父との別れとじっくり向き合う時間なんて与えてくれなくて、ただ時間だけが残酷に過ぎていくんだけどね。
父が息を引き取ったと連絡を受けて、その日の飛行機に飛び乗っても葬儀には間に合わないという事実。一親等が亡くなった場合は5日間の忌引がもらえるありがたい制度があっても、代行の先生に丸投げするわけにもいかない(学部長は「何もしなくていい」と言ってくれたけれど)。だから遅くまで学校に残って、一週間分の指導案や自習プリントを大慌てで準備して、夜中発の飛行機に乗った。その間も家族とお葬式のことを連絡し合いながら。
帰国してからも、人が亡くなるというのは、その人を現実社会から永遠に送り出すことなので、それに伴う手続きもたくさんあった。さらに父は地元に根付いた仕事をしていたので、お葬式後のあれこれも慌ただしく、お世話になった方々への挨拶などにも時間を取られた。情緒が不安定になっている母のそばにいることも。
アメリカに戻ってきても、世界は普通に回っていて、私も家族があるから、自分だけ流れを止めるわけにもいかないし。Life is messy. ホント生きるってきれいごとじゃない。
そんな私に友達がくれたメッセージ。
「忙しくしてる方がいいんだよ、なんていう人もいるけど、疲れるよね。運転とかは気を抜いちゃだめだけど、他のところはダラダラにしちゃえばいいんだよ」
この言葉に救われたり。
ふとした瞬間に父のことを思い出して、一人でたくさん泣くこともある。
それは「悲しくて泣く」というのとは少し違う気がする。泣いたあと、すごくスッキリする。
本当に不思議で、父を見送った後こんなにも優しさに包まれるような気持ちになるとは思ってもみなかった。