昨日、母から「じじの忌明けの香典返しも無事終了。…みなさんのお陰様でした。」とLINEが来た。
父が亡くなったとき、私は葬儀には出られなかったけれど、その後の作業を色々手伝うなかで、いわゆる「ザ・お葬式」という形で葬儀を出すことの大変さをすごく感じた。母は本当にすべてを最後まで立派にやり遂げたなと、あらためて感心する。
結婚式やお葬式といった人生の大きなイベントは、する側の意思が一番大事で、どんな形であってもいい時代になったと思う。今回喪主だった母は、父の体調が悪化してからある程度計画を立てていたようで、地元の葬儀屋さんにサポートしてもらったとはいえ、本当によく頑張った。
今回も、私がアメリカへ戻る前に「私が死んだら、ここにいろいろ準備してあるから」と言って、遺影用の写真や、「もしEdamameちゃんが着たいなら着なさいね」と喪服の着物や小物まで揃えてある場所を教えてくれた。
自分のものもどんどん片づけていて、母らしいなと思う。そういえば父の遺影の写真も、こんなにいい顔の写真があったんだ、と思うような一枚が使われていた。家族が亡くなり、気持ちが追いつかない中で葬式を出したり遺影用の写真を探したりするのは本当に大変なことだと想像するけれど、母はそういうこともわかっていて準備していたんだろうな。母らしい。
死はいつやってくるかわからない。
もちろん母も若いころからそんな準備をしていたわけではないと思うけれども(いや、していたかも?)、本人夫も年を重ねていく中で、最後の大きな仕事として終活をを進めていた母はえらいなと思う。なかなかできることじゃない気がする。
実家のお墓には、そこに入っている先祖の名前が掘ってあるのだけれど、忌明け後に父の名前も掘ってもらったそうだ。「ジジの横に私の名前も入れるのよ」と母は言っていた。
もし子どもたち(私と兄)がその作業を見届けることができたら、それはとても幸せなことだと思う。死はいつやってくるかわからないけれど、そこまでたどり着きたいという、ひとつの目標のようなものをもらった気がする。準備してくれてある喪服の着物も着たい。
今回はジュエリー類も「持っていきなさい」と渡された。これは、父が母を悲しませたときにごめんなさいと贈った(母が贈らせた?)というダイヤ。
いろいろな思いが込められていると思うけれど、「気軽にどんどんつけちゃえ」と思ってたまにつけてる。昭和なデザインでかわいい。
父は苦笑していそう。

