一年発起して、自分の部屋を確保して良かったとしみじみ思う今日このごろ。
スティーブンが誰にも言わず長年買い物依存症になっていたことが発覚したのは7年前。ものは考えようなんだけど、そこからの再生過程(継続中)は、私が自分の足で立つためになくてはならなかった出来事だったと思っている。
彼が買い物依存症のときに買い漁ったものは、今ではだいぶ私の生活空間からなくなった。とはいえ当時、彼が「家族のために」(という口実で)買い、今でも使っているものは、私の好みでなかったり、事前に何の相談もなく買ったものだったりして、なんかシミみたいなものがついているような感覚だった。
でも日々自分のやることをこなすだけでも精一杯で、その違和感はすごく小さなものだから、「疲れて帰ってきても、こうやって温かいおふとんがある生活ができることはありがたい」と言い聞かせて、蓋をしてきたのが今年の夏までの自分だったように思う。
今年、長女の巣立ちや父の死もあったりで、今まで感じたことのなかった感情を感じたりするなかで、疲れて仕事から帰ってきて、彼が買ったものがまだたくさんあるガレージを開けて車を入れる瞬間に、一瞬だけど感じる違和感。
使っていない部屋(“いつか”家族のゲームルームかゲストルームにする予定の)が物置化していくのを見て、全然気持ちが上がらない。むしろどんどん空気が淀んでいく感じに耐えられなくなっていたことに気がついた。
ちなみにその部屋は私も物置として使ってた。子供たちのもう使わないものとか、自分が「まだ捨てないほうがいいかも」と思ってとっているものとか。
思い切ってスティーブンに伝えてみた。
「あの部屋を自分の部屋にしたい。この家には、あなたが買い物依存だったときの思い出がまだたくさん残ってる。特に疲れているときは、それらを目にするだけで気持ちも体も重くなる。でもそれをすべて処理するのは無理でしょう。だから、動かすなり、いらないものは処分するなりして、あの部屋を私だけの空間にしたい」と。
そしたら、速攻オーケーが出た。
そして一ヶ月かけて、いらないものは捨てたり、荷物を動かしたりして、家の中でこの空間が自分だけの空間になった。
そこで仕事をしたり、ブログを書いたり、エクササイズをしたり。とにかく自分の好きなことをして過ごす時間が、今はすごい癒やしになっている。そして、そこに自分は欲しくなかった物が一つもない、というのが、こんなに浄化されるような気持ちになるとは。
不思議と、ガレージに車を入れるときの、あの一瞬のもやっとした気持ちもなくなったし、夫婦のベッドルーム(スティーブンの書斎でもある)にいろいろなスティーブンの物がおいてあっても、まったく嫌な気持ちがしなくなった。むしろ、あなたは欲しかったものがたくさんあって、それを思いっきり買うことができた。それはあの時のあなたには必要なことだったんだよね、と優しい気持ちになるほど。
もっと早くこうすればよかったと思うんだけど、今年の夏までの自分には、浮かんでこなかった考えだった。
「いつか家族のゲームルームか、素敵なゲストルームに仕上げて、泊まりに来る人たちに使ってもらえる空間にしよう」って信じてたから。
でも本当は、それは私には必要なかった。
スティーブンの希望もあるだろうけど、やっちまった側だからね。(あんだけ多額のクレジットカードの借金かかえて、身を削って返済をサポートした内助の功を忘れるなよ、って思う。)文句は言わせないと、罪悪感なく素直に思えるようになった。スティーブンが時々ノックをして様子を覗きに来るんだけど、「嬉しいですか?」と、何故か彼が嬉しそうにしている。
子供たちは、いずれ巣立っていく。
この家は私たち家族の基地みたいなものだ。それぞれがここでエネルギーを充電して、元気に外の世界へ出ていければいいなと思う。
