今日は年に2回行われる、声楽発表会でした。2人の伴奏者で分担しました。

趣味で声楽を学ばれている方々が、日頃の学びの成果を発表します。
今日を向かえるにあたり、出演者の中には、色んな困難もあったようです。
体調不良で思うようにレッスンが受けられなかったり、リズムに不安を残して当日を向かえてしまったり。
しかし、最後まで逃げずに真摯に向き合って今日を向かえたことは素晴らしいし、大切なことだと思います。
今日思ったのは、やるだけのことをやったなら、最後は、開き直りざっくりとした目標を定めてその実現に向けて努力することだなぁということです。
どうしてもぬぐえない「不安」を残して当日を向かえることはあります。でも出来ないことにこだわり続けて、今までやってきたことまで全て「不安」に染めるか、「不安」の存在は消せないけれど、最小限にとどめて、自分が今出来ることを最大限に引き出そうと注力するかです。
これは、「自分を大切にすること」だと思います。自分なりにでも頑張ってきたなら、「できていない不安」はちょっと脇に置いて、頑張ってきた自分の良いところを生かせるように意識を集中させること。
理屈ではわかっても、簡単なことではないです。
ギリギリまで、舞台袖まで、不安な気持ちがあっても、一歩ステージに踏み出したら、腹をくくる。前を向く。逃げない。
舞台慣れしている人や、何も事情を知らない人から見たら、まだまだ自信無さ気に見えたとしても、その人が自分で何とか「不安」に立ち向かったということは、今後の大きな助けになると思うのです。
その積み重ねが、自分のギリギリを知りながら、自分の弱いところも、自分の頑張ってきたところも上手にバランスよく知っていくこととなり、充実感を得ながら学ぶことが出来るのだと思います。
私は伴奏者として、当日までの出演者の苦悩など裏側を知り、それを何とか支えフォローすることが使命だと思っています。
伴奏者としても、何が起きるかわからない状態(何か起きる確率が高い状態)は、未熟者の私にとってドキドキはします。
しかし、何とか一緒に乗り越えたいと、私も同じく「不安」を持ちつつも、この発表会をあたたかい場にして楽しむ空気作りに注力します。
でも、これ、この考え方、全くフィールドが違う人から見たら、この渦巻く自分との闘い、一体何のことやら、と理解出来ないと思います。
やってもやらなくても良いことで、何を勝手にもがいているんだ。と。
そんなに辛くて大変ならやめときゃいいのに。
ごもっとも(笑)
時々、自分を外から見ます。
こんなに自分を追い詰めることを繰り返すなんて、ある意味マゾなんじゃない?と。
そうだな、マゾだな。
他人から見たら、何だそれ、と思われるような、小さな小さな自分の成長や達成感を糧に、それを続けて、やりがいを感じたり、生きてる実感を得たり。
その喜びを味わう環境が贅沢なことなんじゃないかと思ったり。
価値観は人それぞれです。
それで良いのです。
伴奏者の使命、なんて言っちゃいましたが、私は私で、自分の問題もあり。
老眼?衰え?リハーサルのステージ明かりの具合で、譜面の見え方が変わりドキドキしました。
目を見開けばピントが合う?とか、舞台スタッフの方に「これ、本番明かりと同じですか?」と質問したり。焦りましたが、幸い本番明かりに助けられました。
あと、冬の発表会では、ご一緒出来ていたSさんのことを何度も思い出してました。
3月に亡くなられて、今日までに何度も思い出す機会がある位、私にとって学ばせていただくことの多い方でした。
冬と同じ会場だったので、今日リハーサルで朝集合した時も、あぁSさん「おはようございます」っていらしてたな、とか。舞台袖で、このあたりのパイプ椅子に出番待ちで座ってらしたなとか、思い出してました。
本番が終わり、Sさんの奥様が声をかけて下さいました。Sさんの写真をショルダーバッグに入れて聴きに来ましたと。レッスンいつも楽しみにしていましたと。
奥様も泣いてらして。胸が熱くなりました。
伴奏曲の楽譜を人別にわけてファイリングしているのですが、Sさんのやりかけた楽譜がまだずーっとそのままにしてあります。お悔やみにも行けないままだったので、私の中で気持ちも楽譜も整理できていませんでした。
しかし、奥様とお話することが出来て、Sさんのことを受け止められた気がします。
奥様、Sさん、ありがとうございました。
色んな方々と接することで、色んな人生を知り学ばせていただいています。