今朝は、紙の資源ごみの日。

まとめていたら、先日mamoの部屋から出た紙類の中に、これ。



多分小学5年生の夏休みが始まる前に、私も一緒に描いた。

(私は確か、歯医者に行く!とかダイエットする!とかだったようなうーん)


mamoの部屋の掃除は基本自分で。

空気の入れ換えに、入室した際に、明らかにゴミとわかるものが床に落ちている場合は拾って捨てるけれども、基本触らない。


ずっとこの紙は当時から壁に貼ってあった。最近は貼ってあることも無意識だった。


あ、でも、たまに気付いた時には、なんだか可愛いし、私が気に入っていたし、はずしたいと本人が思うまでは、貼っておこうとは思っていた。


先日たまたま、mamoの部屋で短い話をしていたら、デスクトップのパソコンのモニター裏に、落っこちているのを発見した。


半ば、掃除しなよ!って感じで、引きずり出したら破れてしまった。

もう、要らないか。と、紙の資源ごみの袋に入れた。


で、今朝。



やっぱり捨てられない。


一緒に書こうよ!と誘って書いてくれてた時期があったんだなー。

そして、つべこべ親から言われてたことも気にしながら直そうとしてたんだなぁとか。


やっぱり捨てられないや。


Googleフォトを探したら、出てきた、出てきた。

書いてる途中のようす。






そして、私のも。



あ、当時これ、ブログにあげてたなーほっこり





この回、面白いです。

 今の世の中で無くてはならない「インターネット」の始まりについて。 


https://open.spotify.com/episode/0fhmk4MLxK0kepQ8WmfOXI?si=wyU227L_TQurW_s1n4xaew


 私は、自分で使い始めるようになって30年近く。しくみについては、殆どわかっていないながらも、生活に密着していない時期も経験しているので、インターネットの働きの有り無しは、ボンヤリですが感覚としてわかっているつもりです。


 でも、自分たちの世代の子どもは、既に生まれた時から当たり前に存在しているインターネット。


このPodcastでは、インターネットがどのようにうまれてきたのかを知ることが出来ます。


3回にわかれているので、家事最中や通勤で細切れではありましたが、聴きました。


この人たちの働きが無かったら、どうなってたんだろう。

また、やれと言われたことを対価のために計算高く「働く」のではなく(全く無い訳じゃないだろうけど)、個々の「好奇心」がかなりのエネルギーを持って作用したことによって、成果をあげたんだな、と。


また、素人には形として捉えにくい、インターネットの仕組みについて、今の若い人たちの感覚についても語られていました。


ラジオを自作する話も面白かった。

私たちの時代も、学研の科学と学習の付録でラジオを作ったりしました。

その意味は、当時はもちろん全く知らなかったし、大人になってからも、あんまりピンと来てなかった。


子を持つようになって、まだその意味もはっきりとわからずだけど、何か大事なことがありそうだ、と息子には小学生のころ色々体験して貰った。


息子は学校以外の学びの場として、工作や実験(それ以外にも!)をさせてくれる習い事(?)に通うことを勧めて、色々な経験をさせて貰いました。


当たり前に使っている、電池があれば動くものの仕組みや、簡単な電子工作。

手を動かして学ぶ場所でした。

通わせながらも、仕組みについては、私はちんぷんかんぷんだったけれど。


これ、やっぱり大事なことだったのかもなーと振り返ります。


話がそれましたが、仕組みを知ることと、知らないことの違い。

受ける恩恵は同じであっても、背景を知ると、それは、自分でも何かを生み出す時の栄養になり得るかもしれない。


今回のPodcastを聞いて、

へー、ほー!と感動したけど、他人に説明するまで理解はしていないです。

理系的な知識が、全く追い付いてないです。

しかし、文系的に、この感覚(好奇心や知るということを人生の栄養にすること)に気付けたことは、とても刺激になりました。


どうして、それについてブログに書こうと思ったのか。

きっかけは単純。

この記事を読んだからでした。

仕組みを知らないということによる、面白話。

「写ルンです」

懐かしい。

この子は、「写ルンです」で撮影したものが、クラウドに転送されるとでも思ったのだろうか。

インターネットネイティブとは、これがあり得るのです。


"小6娘が修学旅行で、「写ルンです」をゴミ箱に捨てたワケが……!? レトロブームで若い世代に再び人気" https://l.smartnews.com/m-6yVDLRSw/yqmhWp

昨日は、声楽レッスンの伴奏でした。


会に関わらせていただいて、20年には満たないけれど15年以上。

日本歌曲の第一人者とも言われているT先生のレッスンが、地元で受けられるなんて、恵まれた出会いと環境です。


T先生を招致してくださる地元の先生方のご尽力、また、会に誘っていただいた歌い手さんとのご縁の恩恵です。


今日は2曲レッスンしていただきました。


その内の1曲は、あの。

「死んだ男の残したものは」

谷川俊太郎 詩

武満徹 曲


あの、と書いたのは。

詩の内容からも、ちょっとやってみようかな、という軽い気持ちでは出来ない曲だし、以前に同じT先生のレッスンを他の方が受けているのを聴講して、表現にも痺れたし、私の中でも特別な曲の一つだからです。

歌い手さんから、曲をもらった時に、つ、ついに、きたーー驚きとビビりました。


メインの短かめのメロディで5番まであり、表現の工夫を要します。


この作品は、フォーク歌手が歌ったりもするし、クラシック歌手も歌う。ジャンルを越えた人々が各々の表現をしています。YouTubeにも沢山あります。


ありがちな、悲しさや重さを、どっぷり歌うと奥行きや余白がなくなる。

でも歌詞を読んだら、素通りは難しくどうしても内容に引っ張られてしまう。


例えば、映画やドラマで、ある苦悩を役者さん切々と直接的に表現する時よりも、「無」になり、余計なものが落ちて前を見る姿に、観客や視聴者は胸を鷲掴みにされる時があります。

その奥行きの表現は、実に難しい。


懇切丁寧に並べる表現には、狭い世界観と、時には押し付け感が伴い、受け取る側が辟易してしまう事がある。

しかし、やりがち悲しい

わかっちゃいるけど、ついつい、知らずにそうなってたり泣き笑い

この客観的に判断する力が、表現のセンスなんだろうなぁ。


「全てを語らず 受け取り側が感じる余白を残して 自分なりの何かを置く行為」


レッスンではT先生が、その表現の削ぎ落としの導きをしてくださいました。


余白、余白、と、最近の私の思考のブームのキーワードに反応しながら、試行錯誤しています。

余白を作るつもりが、主張なしになっていたり。


あちらを立てれば、こちらが立たず笑い泣き


何事もバランス、センス、俯瞰が肝なんだなぁ。

昨日、年に数回の声楽レッスンで、ピアノ伴奏を務めました。 

こちらのレッスンに携わるようになって20年以上になります。


その日のレッスン生は、教育の現場で子どもたちと日々向き合う先生です。教える立場にありながら、自らも声楽を学び続けておられる方。その姿勢に、いつも誠実な強さを感じます。


 レッスンの途中、先生がその方に語りかけられました。 

「学校が現場の教育者でありながら、歌を学び続けていられることは、本当に幸せなことです。
それは心の支えにもなり、日々のバランスを保つ助けにもなりますよ。」


教えることと学ぶこと

その両方を大切に継続する姿勢は、人生を豊かにするのだと、あらためて感じました。


私自身も、いくつかの仕事を並行して続けています。
自分を必要としてくれる場所が複数あると、ひとつの職場で悩みや失敗があっても、深く落ち込まずにいられます。


もちろん、反省や内省は欠かせませんが、ほかの仕事があることで、必要以上に立ち止まってしまうほど思い詰めることが少なくなります。

また、別の職場で思いがけず悩みのヒントが見つかることもあります。
それぞれの現場での学びや出会いが、互いに作用し合い、自分を少しずつ育ててくれているのだと思います。


そして、複数の仕事をある程度楽しみながら継続していると、共通して見えてくるものがあります。
それは「自分が本当に好きなこと」「やりたいことの本質」です。


ひとつの仕事では見えなかった“自分らしさ”の輪郭が、複数の場を行き来する中で、少しずつ浮かび上がってくるのです。


先生の言葉を聴きながら、私もまた、自分の仕事や日々の学びを重ね合わせていました。
教えることと学び続けること、その両方を大切にしながら、これからも自分なりの歩みを続けていきたいと思います。

今日は、今年度2つ目の公民館文化祭でした。


10名前後のコーラス。

ご年配の女性ばかりで、お一方男性。

かれこれ初めて伴奏させていただいてから、15年近くなると思います。

普段の練習は、指導者の先生が伴奏されているので、文化祭発表だけの伴奏です。

本番近くに、2回練習に参加させていただいてから本番です。


本番が簡易キーボード(鍵盤の軽いタイプ)での伴奏はなかなか無いのですが、今回も出来るだけ家にある近いタイプのキーボードで練習しました。


花は咲く

君といつまでも

大きな古時計

Beliave

時代

Young man (Y.M.C.A.)


会場の皆さんとご一緒に

くちなしの花

北国の春

ドレミのうた


Young manは、最後に楽譜をサッと床に置き、Y.M.C.Aの振り付けありでした。

なかなか会場も手拍子が起きて、盛り上がりました。


年々発表団体が少なくなるのはさびしいのですが、今回もフラの発表はありました。

毎年言ってますが、フラいいなぁ。

自然との繋がりの振り付け、動きの優しさに観るだけでも癒されます。

ずっと毎年、発表会で目を引く方が1名いらっしゃいます。(こちらもご年配の女性のサークル)

なんだかちょっとだけフラの雰囲気とは違うのです。多分、動きの滑らかさの種類が違うんだと思います。(先生も一緒に踊るので、違いの言語化を観ながら頑張りますが、なかなか難しい)

フラになっているかというと、そうではないのだけれど、とにかく楽しそうなのです。いつも楽しそうなのです。

今年もとっても楽しそうで、しかも、日本の歌(見上げてごらん、365歩のマーチ)の時は率先して歌っておられ、先生が衣装替えの間はトークで繋いでました。

表現することをエンジョイされています。


壁面や棚には、書道や生け花、手芸の作品。


特に書道の大きな軸は、動きもバランスも経験を積まれていずれも素晴らしい。


楽しんで過ごす時間の大切さを感じる文化祭でした。