夏目漱石『三四郎』の疑問点 イメージで気づく 2021.1.30トークセッション報告 | 映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

小説の世界に没入して
“映画を観ているみたいに” リアルなイメージが浮かび
感動が胸に迫り、鮮やかな記憶が残る。
オリジナルの手法「カットイメージ」を紹介します。
小説を読むのが大好きな人、苦手だけど読んでみたい人
どちらにもオススメです。

 2021.1.30 カットイメージ・トークセッション(ZOOM)のテキストは、夏目漱石『三四郎』の冒頭部分。

 事前に5ページのテキストを送り、4ページ目までカットイメージ作業してもらう。

 セッションの場では、そこまでのイメージを交流し、疑問点などを話し合ったのちに、最後の1枚をその場でカットイメージ作業し、さらに話し合う。

 

 夏目漱石の『三四郎』は、熊本の高等学校を卒業した三四郎が、東京帝大入学のために上京する汽車の車内から始まる。京都で乗り合わせた若い女の顔立ちと肌の九州色(ようするに色黒)なところが三四郎の気に入って、ちらちらと見ている。

 途中で乗ってきた田舎者のじいさんが、女の隣に座った。二人が話しているのを聞いて、三四郎は女の身の上を知ることになる。

 

 それはさておき、じいさんが降りた後、三四郎が弁当を食い出すと、女はふと席を立つ。便所へでも行ったのだろうと思っていると、やがて戻ってくるが、自分の席につかずに窓から外を眺め出した。

 その辺の記述がよくわからない、ということでテキストをみんなでよく読んでみたが、やはりわからない。

 

 

 とくに「三四郎の横を通り越して」とあるが、女は自分の席から通路へ出入りするのに、三四郎の“前を通る”必要はあるが、“横を通る”必要はない。

 そこで、「三四郎の横を通って」というのは、「三四郎の前を横切って」という意味かと解釈すれば、何とかつじつまは合う。

 しかし、最後に女が窓から首を出すときの立ち位置はかなり不自然である。元の席に戻って窓から外を見ればよさそうなものだ。

 最初の座席位置を、三四郎は窓側、女は通路側と解釈すると、この最後の立ち位置は不自然でなくなるが、そうすると、自分の席から出入りするのに、三四郎の前を横切ることさえ必要なくなってしまう。また、戻ってきたときに、「元の席に帰ら」ず、「正面に立っていた」というのと矛盾する。

 けっきょく、明確な結論は出なかった。

 

 また関連して、もうひとつ疑問があった。

 このあと、女が窓から顔を出していたために、三四郎がちょっとした失態をおかすのだが、その際、「女の窓と三四郎の窓は一軒おきの隣であった。」との記述がある。

 しかし、図でわかるように、2つの窓は隣になるのがふつうで、「一軒おき」というのがわからない。

 明治時代の車両の写真をあれこれ見てみたが、窓が3つあるものは見つけることができなかった。

 

 これらの疑問は、イメージがあいまいなまま流して読んでいると、あまり気にならない。

 カットイメージで読むと、心の中で明確な映像にしていくので、こうした点にも気づくようになる、という一例であるが、映画化するときには、やはり問題になってくるだろう。

 これらの疑問点について、何か明快な解釈をお持ちの方がいれば、ご教示いただきたい。

 

 ※参加者の感想は、2021.3.30トークセッション報告②で