四条河原町の近江屋跡地から

坂本龍馬を暗殺した人の逃走ルートをたどり

下立売智恵光院の松林寺までたどりました





松林寺は

旧内裏(いまの京都御所じゃなくて平安時代の内裏)

の建春門跡地にあります

また桃山時代

豊臣秀吉が造営した聚楽第の南の濠跡にもあたります





松林寺からろおじを西にすすみ

旧内裏跡地をめぐります

下の地図のカーキの枠で囲われたところを

旧内裏跡地とします



昨日は内侍所、梨壺、承香殿などめぐりました



ひとつの殿舎には

唐名、和名があったみたいです



たとえば↓




温明殿(うんめいでん)が唐名

内侍所(ないしどころ)が和名



昭陽舎(しょうようしゃ)が唐名

梨壺(なしつぼ)が和名



梨壺は梨の木

藤壺は藤の木

梅壺は梅の木

が一応植えられていたけど

桐壺に植えられた桐は

あまりにも大きくなりすぎるので切られたとか

いう話をどこかで読みましたが典拠を忘れました

池田亀鑑かなあ?


たしかに「きり」という

音はきれいだけど

桐の木てどんだけ、てほど巨大化して

風情の点ではいまひとつ





↓この一般のお宅の付近は





清涼殿跡地です

帝が日常生活を送るところで

徳川の大奥は夜は

将軍が大奥にたずねていきましたが

宮中の場合は

キサキ(あらゆる身分の妻たちを総称する場合

カタカタでキサキ、と書く)たちが

清涼殿に「もうのぼる」のが慣例でした





これみていただくとわかるんですが

源氏物語の最初のヒロインにして

光源氏のおかーさんの桐壺は右上端の

淑景舎(しげいさ)にいました

この淑景舎が桐壺の別名です



桐壺は天皇の暮らす清涼殿からは

1番遠いようです

よってそこに住まいを与えられた桐壺「更衣」の

身分の低さが見とれるわけです

(桐壺の父親は大納言)

藤壺は「女御」(父親はさきの帝)

弘徽殿も「女御」でした(父親は左大臣)



史実では父親亡き後

藤原定子の妹

三条帝に入内した原子がここに暮らして

淑景舎の方と呼ばれましたが

ある日いきなり吐血して亡くなります

道長の一派に(たぶん)毒殺されたのでしょう

かわいそうな方でした

この方が桐壺更衣のモデルではとされるのは

ゆえないことではありません



それにしても「原子(げんし)」なんて

読まないだろうに

ほんとはなんて読んだんだろう???

とりあえず読めないので音読みしちゃいます

名前の読み方は呪詛の対象になるため

当時はトップシークレットだったのです

安倍晴明だってほんとは

「せいめい」だか「はるあき」だか「はれあき」だか

「はれあきら」もしくは「はるあきら」あるいは

もっとわけわからんキラキラ読みだかわかりません


「明子」を「あきらけいこ」

と読ませた時代ですからね

「けい」どこから来たん???



参考に↓




父親に力のあるキサキほど

清涼殿に近いところに暮らしました





清涼殿跡地の看板の道向かいは

弘徽殿跡地です

あのゴットマザー弘徽殿女御が暮らしたところ

かわいそうに

源氏物語ではヒールですが

くどいようですが

何回でもいいます



弘徽殿女御の何が悪いのか

わたしには全くわかんないですね

道理とスジを明快に通して

可愛げがない、ていうだけの人ですがね



藤壺女御とかかわいいけど

あいつたいがい悪い女ですよ

浮気相手との間にできた息子を

アナタの子ですよ、て夫の帝に抱かせて

しれっと即位させちゃうからね



いい女だろうけどこわい女ですわほんまに





弘徽殿ちゃん

私はあなたのファンじゃないけど理解者ですよ 





弘徽殿跡地の西隣の駐車場が角地

その角を北に登ります





このような景色です



もっかいしつこく旧内裏の地図を載せます






桐壺更衣は身分の低さから

淑景舎(しげいさ、桐壺のこと)に

殿舎を与えられた



桐壺更衣にぞっこんの若き帝

(映像化されると中年のおっさんにされてしまうけど

原文読む限りこのときまだ10代半ばか後半の少年

桐壺更衣もそのいくつか下なので15.6歳

弘徽殿はすこし年上で20をすぎたばかり

映像化されたときに白髪メッシュのかたせ梨乃が

メラメラ怒っていたのは人物造形的におかしい)



↓これ




下の列の右から3人目

いやいやいやいや

弘徽殿女御はまだ二十歳過ぎたばかりだからね

この映画は実に天下の駄作でした




つづきます