前回はこちら

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暗殺者の供述




まとめると


①四条河原町を西に

②四条千本を北に

③千本下立売を東に

④下立売智恵光院を北に

⑤西側の松林寺(アジト)


です。

今回は④から⑤です。


この写真は

下立売通と智恵光院通のまじわる

下立売智恵光院(しもたちうりちえこういん)



奥の白い四角いものは交番で

その奥は児童公園です

公的利用されてるということは

明治以前何が建っていたのでしょう

気になる



ややいびつな十字路です

この写真↑は東南を向いてます

この道をぐいっと左手に向きますと



こうなります

智恵光院通を北に向いてます

すぐ左手がお寺です

供述の「智恵光院を西に」入るのは

一筋目の出水通のこと



全然手入れされていなくて謎です

お墓はたくさんあるから

檀家さんいはるんやろうけど



昌福寺の方の角を西に曲がります



分銅町だって

道具屋があったのでしょうか

出水通を西に入ります

すごく細い道です



ここをすこし歩くと



これですね



これが坂本龍馬暗殺者たちのアジト

松林寺です

なおかつここは

秀吉が造営した聚楽第の南外堀の跡地であり

平安京内裏の建春門跡地でもある



めちゃくちゃ情報量多い土地です

案内板があります



建春門はいまの京都御所にもありますね

これです↓(画像はフリーをお借りしました)



こういう門があったわけですねえ



松林寺はフリーで入れますが

すべて新しくて本堂は見られませんでした

中でさっきの昌福寺の墓地と繋がってるんだよね

わからないなあ

それにこんなに階段をおりるんですよ

どういうことこの地形



松林寺の、門の内側から

かなりの傾斜があります

上に上がってますね

この松林寺だって

門に入れば階段でとどどん、と下におります

土地の勾配が大きいです

聚楽第の掘削工事の影響でしょうか

土地が、ここらだけが不自然にくぼんでいます



場所はこうなります

右端の真ん中が現在地

さきほど歩いてきた紫宸殿や承明門なども

ご確認ください

山中油店のあたりは宣陽殿跡地ですかね



坂本龍馬を殺した人たちは

この寺で祝杯をあげて

明け方住まいに戻っていったといいます


当時の住職は現在の住職の血縁でしょうか

どんな関係から

木屋町とも四条界隈とも

そして壬生とも離れたこんなところを

アジトにしたのでしょうね


ふしぎです


また四条河原町を北上して

今出川や丸太町から西陣に入れば早いのに

わざわざ壬生村を通過して

遠回りしてるのはなぜでしょうね


当時の関所みたいなものとの関係もあるのか

御所の門前には

各藩の護衛もいたから

かえって面倒だったのか


興味が尽きないですね


そして最後に


やっぱり別に坂本龍馬のファンではないですニコニコ

探究心だけでここまできてしまいました。

気が済みました。

まんぞく。



次回からはこの界隈の平安旧址をめぐります。