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あらたな日々

南あらたと申します。編集者、コピーライターからディレクター、プランナーを経験し、方向転換。現在は、IT関連の会社で、携帯コンテンツの企画、デザインをやっています。こちらでは日々思うことを語りますが、読んで役立つブログ作りが基本です。よろしくお願いします。

Yahoo!の無料動画配信サイトGyaO!で配信されていたアニメ
「あしたのジョー2」が、今週最終回でした。今なら見られますよ。
GyaO!


いよいよ、世界チャンピオンに挑み、あの名シーンで最終回を迎えるまでが
あしたのジョー2です。

コミックはもちろん全巻買って、何度も何度も読みました。

ボクシングに自分を燃焼させることを覚え、次々に強い相手に挑み続けていくこの物語。
栄光を目指す前向きアニメかというとそうでもなく、ジョーにあるのは
ただただ燃えていきたい、燃えつきたいという男の衝動です。
だから、頂上というより、破滅に向かう切なげなニュアンスが全編に貫かれています。

なので僕の世代の多くの人の原動力は、成功やお金儲けに向かう意識だけではなく
何か得たいのしれないものに特攻していくといったような感覚を持っています。
どうもうまく書けないのですが、ぴんとくる人がたまにいることです。
このへんが昨今のベンチャーや、アメリカ型の自己啓発では理解されない部分じゃ
ないかなと思います。
そのズレを、時々感じてきました。悪いいいではなく、はっと気がつくのですね。
もちろん、収益を目指すビジネスという意味では、ひたすらポジティブに多くの成果を目指すマインドが健全であり、目的にかなっています。

よくも悪くも、昭和の気配を象徴しているのがあしたのジョーだったのだと
思います。

ちなみに、このラストシーン。原作の梶原一騎さんはまったく別のものを考えていました。
ジョーがボクシングをやめて、平凡な暮らしを手にいれるという結末を最終回直前に作ったらしいんです。
それを読んで、反対したのが漫画のちばてつやさん。
梶原一騎とかけあって、最終回についてはちばさんが作るという承諾を得ました。
締切ぎりぎり迷いに迷って、決まったのが結末だといいます。
でも、思い切りが必要だったとしてもちば氏にとっては、こうなることしか考えられなかったのだと思います。
勝ったの負けたのではなく、「燃え尽きること」がこの物語の命題です。
そして、生まれたのがこの世紀の名シーンのラストの一カットです。


あらたな日々-ジョー


ちばさんは、書き上げてから、一週間は、気が抜けたように食事もしなかったそうです。
まさに燃え尽きたのでしょうね。
ちばさんは、もうあのテンションであのようにラストを描くことはできない
とも言っています。

あしたのジョー2は、ちばさんの描こうとしてことを忠実にうけて作られたと思います。
たまたま途中から見て、あおいてるひこさんのジョーの声にしびれて
ついに毎週見て、最終回まで追っかけてしまいました。

アニメで最終回を見たのははじめてでした。
びっくりしてしまったのはBGMです。
上記のシーンの時に流れる音楽は、軽快なブルース。
これにはううむとうなってしまいました。
このアニメは虫プロダクション制作です。
最近、電車に乗る時はたいていitouchを利用している。
歌だけじゃなくて、落語や、DJなんかもたくさん入っていていろいろ聞いているのだ。

先日、またうっかりして、朝つけようとしたらバッテリーがなくなっていた。
こうなると普段、つけているイヤホンがない耳がさみしい。
それに、どうも聞こえてくる音や声が気になってしまう。

「どうも最近、保安官が強いの」

とそばにいた女性二人のうち一人が言うのが聴こえた。
保安官?そんなものが存在するのか?

「どきどきして夜寝られなくて・・・なんかメールこないせいかな」

保安官が強いとどきどきするのか?

「保安官おさえないとぉ。やっぱり彼のことかなぁ」

そ、そんな保安官ならピストル持っているだろうし、おさえようなんて危険では。それに彼って?

そこで駅にとまり、彼女たちは出ていった。


変な話だなぁと思ってちょっと考えたのですが・・・・あ、そうか!

わかりました。

わかりました?

ちょっとした聞き違い。

彼女は保安官(ほあんかん)ではなく不安感(ふあんかん)と言っていたようです。

ふにゃふにゃした発音があいまいな声なんで間違えました。

・・・あなたの保安官は強いですか?
もうひとつ、ドラエもんで名作だなと思う作品は「おばあちゃんの思い出」です。
何度もリメイクされているし、劇場でもやったので知っている人もいると思う。
僕も大好きなんですが、この作品を最初に見た時は本当にびっくりしたし感動しました。

話は、ぼろぼろのクマのぬいぐるみが出てくるところから始まります。
このぬいぐるみをくれたおばあちゃんを思い出したのび太が
おばあちゃんに会いたいとドラエもんにタイムマシンに乗せてくれることをせがみます。
おばあちゃんは、のび太が幼稚園に通う頃に他界されていたのです。

過去にいったのび太は、冬なのに花火をしたいとおばあちゃんを困らせている3歳の自分を見ることになります。わがままだった自分を悔いるのび太。
のび太はおばあちゃんと話をしてしまうことになります。もちろん、もう小学生になったのび太をおばあちゃんを知るはずもなく、他人のふりをして話をするのです。
そして、どれだけおばあちゃんが自分を大切に思っていたか、改めて知ることになります。

「せめてランドセルをしょって小学校へいく頃まで生きていられればいいんだけどねえ…」

おばあちゃんは、結果としてかなわなかった夢を語ります。
ここがのび太のいいところですね。おばあちゃんの夢をかなえようとランドセルを背負って「僕は5年生になったのび太です」とおばあちゃんの前にたちます。

「おばあちゃん…。
信じてもらえないかもしれないけど、ぼく、のび太です。
小学5年生の、のび太です」

びっくりしたんです。
タイムマシンなんて知っているはずがない、8年先ののび太がここにいるなんて信じられるはずがない・・・のに。
「やっぱりねぇ、なんとなくそんな気がしていましたよ」
ってぜんぜん驚かないんですね。

「信じてくれるの?疑わないの!?」
「のびちゃんの言うことを、誰が疑うもんですか」
おばあちゃんの膝に顔をうずめるのび太。

なんでおばあちゃんは驚かなかったんでしょう。
世の中には何が起きるかわからないということなんでしょうか。
ただ、目の前にいる、のび太がいるという真実だけが全てだったということなんでしょうね。
何度見ても「もうだめアニメ」のひとつです。