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あらたな日々

南あらたと申します。編集者、コピーライターからディレクター、プランナーを経験し、方向転換。現在は、IT関連の会社で、携帯コンテンツの企画、デザインをやっています。こちらでは日々思うことを語りますが、読んで役立つブログ作りが基本です。よろしくお願いします。

アニメやドラマ「名言」といえば?    ブログネタ:アニメやドラマ「名言」といえば?    参加中
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ドラえもんは全巻読みました。
名言はたくさんありますが中でも、これは最高だと思います。

話のタイトルは「結婚前夜」。
のび太と静香は、結婚することになっているんですね。これは、未来からきたドラえもんが教えてくれた、大きなことが起きて変更されることがなければ予定された未来なんです。
でものび太が不安になって、ドラえもんにその未来を確認しようと、結婚前夜の
静香家をのぞき見します(いけませんね笑)。

父におやすみを言いにきた静香ちゃん。

不安をあらわにして父の甘えるようにもたれかかりながら言います。

「私・・・・不安なの・・・上手くやっていけるかしら」

(読者だってそう思ってます。のび太じゃ、苦労するのになんで?って。)

その娘に対して、父は言うのですね。


「やれるとも

 のび太くんを信じなさい

 のび太くんを選んだ君の判断は正しかったと思うよ

 あの青年は人の幸せを願い

 人の不幸を悲しむことができる人だ。

 それがいちばん人間にとって大事なことなんだからね。

 彼なら間違いなく君を幸せにしてくれると僕は信じているよ」


普段、コマの隅っこにしかいない父が、このシーンだけでは多弁です。

のび太はぼろ泣き。強く生きていこうと誓うことでこの話は終わります。

全巻を通じて、のび太がしっかりとほめられたのは唯一このセリフだけです。

このセリフには、原作者である藤子氏の読者への願いがこめられていると思います。

ドラえもんだけではなく、たくさんの作品の中で貫かれている

藤子氏のライフワークがこれだったんじゃないかと思えるんですね。

間違いなく、アニメの中の名言中の名言だと僕は思います。
今回は僕の座右の銘を。

その前に話は上杉謙信です。
あの戦国時代の越後国の武将。軍神と称された名将です。
うちの家系は、この上杉謙信の参加の殿様であったらしく、歴史に残る「川中島の合戦」に参観しています。親父が先祖の自慢はなしとして、当時の武勲を僕に語ってくれました。代々引き継がれていたんですね。すごいことです。

そのせいか、戦国武将の中でも上杉謙信が圧倒的に好きです。
自らを武神、毘沙門天の化身と信じ、生涯負け戦を知らなかった彼が、残したとされる言葉があります。

天に恥じることがなければ、何も恐れることはない。

です。
生きるとはある意味、恐れとの戦いです。言い換えれば自らを恐れてしまうこととの戦いです。それは、負い目や引け目から起きてくることが多いです。

胸をはって生きられれば、自らの恐れに負けることはない。死してさえ、生きる価値をまっとうすることができる。そんな意味だと思っています。

くじけそうになった時や、判断に迷った時、思い出す言葉です。
前向きブログとして、今日はちょっとした言葉使いの話。

ずっと前に「なおしたい」と気がつきながら未だになおっていない口癖があります。

「すみません」です。

どういう時のすいませんかというと、ちょっとしたことでお礼を言う時の「すいません」。

例えば、手の届かないところにある醤油をとってもらったとします。

この場面に相手に言うべきは「ありがとう」であって「すみません」ではありません。

「すみません」とは心が「澄まない」ということから、相手に対する罪の思いが晴れることはないという謝罪の意味です。

なんでお礼を言えばいいところであやまるかというと。とにかくあやまっておけば、ことが済むという日本にいつの間にか染み付いてしまった心の習慣が、言葉にあらわれているのですね。

お礼を言うべきところでは、あやまるのではなく、ちゃんとお礼を言うべきです。

いたるところで「すみません」を多発している人もいますね?つきつめればこれはずるい。


もうひとつ、「でいい」という言い方があります。

何かを選択する時「●●でいいです」と言ってします。

これもずる(笑)。「でいい」というのは、本来自分の意思は別なところにあるけれども、状況を考えて自分を殺して対応します、というニュアンスが潜んでいます。

我慢することが美徳とされる日本の感覚が無意識に言葉習慣の中に染み付いているとも言えます。やはり「自分は、自分の考えでこれを選ぶ」という選択の意志ははっきり言うべきです。

なので「で、いい」ではなく「が、いい」と言うべきです。こちらは意識してなおしました。


もうひとつ、語尾をぼかす言い方があります。「●●ですけれども・・・」と言ったまま、相手が言うのを待つ。

けれども、で終わらせると否定とも肯定とも言い切れないニュアンスを残すことになります。

相手の出方をうかがって、合わせようという無意識なねらいがあったりしますが、こういう習慣を持っている人は、自分の方向性を示すことより、相手に迎合することを主体としたコミュニケーションをしている人が多いです。

人あたりがよくて、いいことじゃないかと思う人もいるかな?こういう人あたりはあくまで「その場」で、こんな話し方をする人は、方針も、考えも、情勢次第でころころ変わるので要注意です。

「前向き」かと言えば反対方向と言えると思います。

ビジネスでさえこれをする人がけっこういます。

僕は、大事な場面では自分で話を続ける前に、「けれども」の続きを相手に確認します。

あげあしとりではなく、「必要なこと」だからです。

アメリカ人と仕事をすると、よく出くわした場面でした。日本人と仕事をするとまず戸惑うのは、会話よりコミュニケーション感覚なんだという話を聞いたものです。

勘のいい人はけっこう指摘されることで話し方がなおったりします。

明確に意志をのべてそれについて、責任を持った行動をするのが、前向きということです。


以上、言葉使いにはなおしたほうがいい口癖がけっこうあります。気がついたことはなおすようにこころがけてきました。

ささいなこと、とか、めんどうとかも言われましたが、僕はこういう小さな欠片のようなことが前向きな意識作りにはけっこう影響しているような気がするんですね。

今回ももちろん、反省をこめています。
前向きでありたいと思う方は、お互いに気をつけましょう。