「I have a great news!」とアメリカの義母がスクリーン越しに言った。

義母自身と(17歳の高校生を含む)彼女の娘の家族が全員二回のワクチン接種を終え、一年以上ぶりにハグをしあった、と聞いたその日ー

日本では折しも4都府県を対象に3度目の緊急事態宣言が発令され、私はコロナ禍になって初めて公共交通機関を使い、県外へ出てアイスショーを見に行くところだった。

 

 

地下深い穴倉に閉じこもろうと思っていた私のその穴の中まで届いた光に照らされて、悩みながら出かけて行った新横浜でアイスショーを見て考え、感じたことを残しておきたいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

世界がCovid-19のパンデミックに襲われてから、コロナ前の生活はもう戻ってくることはなく、私は今でもパラレルワールド(並行世界)を生きている気がすることがある。

人々が自由に空を飛び、移動して、物流は滞りなく、全てがそれを基に成り立っていた、かの日。

移動と接触を制限することが肝要な感染症対策において、過去一年で私達が失ったものはあまりにも甚大だった。

 

 

人々はそれぞれに影響を受け、犠牲を払って暮らした。

でも影響を受けることのない産業、個人もいた。

逆にモロに打撃を受け、なすすべなく倒産、廃業に追い込まれる産業、企業や個人もあった。

業務形態が状況に則していたか否かでくっきりと明暗が分かれた。

 

 

更に、コロナ禍で需要が増え業績が増加した企業、産業もあった。

家にいてリスクなく仕事が出来る立場の人もいれば、リスクの高い環境に置かれ続ける人もいた。

全ての人が平等に不利益を被っているのでは、なかった。

 

 

そんな社会で閉塞感が生まれないはずはなく、苛立ちや絶望の中で人々がお互いを監視して批判し合うのは世の摂理かもしれなかった。

そして市民の目がお互いに向き、自分達へ向かわなくなることが為政者にとって最も都合が良いことも。

 

 

 

 

 

 

今回の緊急事態宣言では「自粛」を促された業界から様々な声が上がった。

 

 

「寄席」は「社会生活に必要なもの」と判断して観客を入れ続けるという寄席組合(鈴本、末廣亭、浅草、池袋)と落語協会、芸術協会の声明とそこについた数々のリプライを読んでこみ上げるものがあった。

 

 

「不要不急」の外出といつからか決まり文句の様に言われるようになったこの表現が今回は特に空しく響き、自分達の愛する文化、芸術、エンタメ、スポーツ等に携わり、一年間必死で守ってきた人々のことを考えて胸がどうしようもなく痛んだ。

従事する人々にとってはそれが毎日の生活の糧となる仕事であり、一般企業に勤める人とそこに違いはない。

 

 

自分は毎日仕事に行って以前と変わらぬ収入を得ていながら、特定業種の人々には「働くな」と言えるだろうか、

もしそうなのならば、やはり何らかの補償が必要だろう。

そしてそれが出来ない(したくない)のならば、行政と各業界団体で協力してこのパンデミックを乗り越えるまで、従事する人々が切り抜けられるような雇用の創出をしたりすることは不可能だったのだろうか。

感染状況が深刻になれば人を多く集めるイベントの開催が難しくなることはもうわかっていたことであり、それに対応する時間は今まであったのだから。

 

 

今年のFAOIが中止になった時に私の友人は「決断は素晴らしいし、ファンの反応も正しいけど、安心した、英断だ、と喜ぶ気になれない」と言っていた。

それは今年一年延期をして果たして来年の今の時期に開催できる状況になっているかはわからないから、ということだった。

来年開催できなかったらもうこれ以上は持ちこたえられないのではないかと思う、と。

FAOIの様に海外からのゲストを多数招いて国際的なショーとして開催するのははっきり言ってまだ来年でも難しいのではないかと私も思う。

まず隔離期間がなくならない限りは不可能だろう。

国際的な催しはしばらくは考えを全く変えないと実施できないだろう。

 

 

その後日本のエンタメ業界がコロナ禍でどれ程の苦境を強いられてきたかを色々調べて読んだ。

そこまで来て初めて、自分が大好きな人がいて愛している場所をファンとして支えるには何が必要なのだろうかと思うに至った。

 

 

私は音楽が好きで、ティーンの頃からライブが大好きで、結婚してからも家族でキャンプインフェスや野外フェスに毎年必ず行った。

当然だがフェスは軒並み中止になり、このパンデミックの後果たしてロックフェスを再び開催出来る体力が業界に残っているか、とても心配している。

 

 

リスクとリターンを考えた時にあまりにリスクが上回る状況が多ければ、そこに手を出して投資すること自体やめようという話になってしまう。

文化の火が次々と消えていくことになる。

規模が全く違うが、私は現在自営なので、コロナ禍初期の緊急事態宣言時の緊張感にはただならぬものがあった。

自分の努力などでは全くどうすることも出来ない、世界の軸が変わってしまったような場面に対峙して、恐怖を覚えた。

 

 

 

ワクチン接種が進まず、特効薬もない現時点で、今また変異株や新たな波が来て緊急事態と言われている中で、こうした産業はこれからどういう道を辿るべきなのだろうか。

やはり室内で人との距離を開けずに詰めてイベントをするのは感染者が多い中では現実的でない面もあると思うし、それらは参加者任せにするのではなく主催者が責任をもって対策すべきと思う。

 

 

色々検索していると興味深い記事があった。

 

バーチャルアリーナで開催されたバーチャルコンサート

 

それはこの厳しい状況の中でも期待感を持ち、希望を捨てず、新たな可能性を見出そうと業界は動いているという記事だった。

現在現地で実際にイベントを催すことが出来ない故、自分の好きなアーティストのパフォーマンスを見るために、配信プラットフォームやオンラインイベントに人々は参加するようになった。

それは現地での実際のライブの体験とは全く異なるものの、こうした人々のエンターテイメントへのアクセス方法の変化が恒久的となって業界に進化をもたらす可能性を示唆している。

 

 

例:

*バーチャルのイベントは、実際に人が集まるイベントよりエネルギーに欠けるということも多いが、開催都市から遠く離れた場所に住んでいる人や幼い子供がいる人、外出が困難な障害のある人に利益をもたらすかもしれない

*バーチャルなイベントのおかげで、さまざまな場所にいるアーティストが仮想空間でコラボレーションしたり、ライブストリームで共演したりすることが可能になった。だからこそ、この選択肢には大きな未来がある

 

 

この記事を読み、そして今回のアイスショーにまつわる様々なことを見ていたら、やはり配信サービスの充実ということ、つまり、以前も記事にしたことがあるが「アクセシビリティ(アクセスのしやすさ)」について考えることになった。

様々な事情で足を運ぶことのできない人々が、課金すれば平等に配信を見られるシステムを拡充して安定させること、これは新しい顧客の獲得にも繋がるし、なんとかマーケットを世界に拡大して欲しい。

業界とそれを支えるファンが利益を一致させて前に進んでいこうとすることが一番これからにとって大事なことじゃないか、と私は思った。

 

 

パンデミック初期、私がいつも学習の為に聞いている英語のポッドキャストで番組ホストが、

「何より大事なことは公衆衛生と経済のバランスの舵取りだ」と言っていた。

ぼんやりとそんなものなのかなと思ったのを今、昨日のことのように思い出す。

 

 

それは去年の3月の話で、一年以上経ってもその言葉からまだ次の段階に動いていない。

どれ程それが重要でそして難しいかを物語っている。

医療システムに負荷がかからず、従事者が守られるように、且つ人々は生活の為に経済活動をしていく。

行政が経済を閉じ、家にいることを命じ、その分を補償するというのなら話は別だが、日本の社会はそういう方法を取っていない。

 

 

一体どうすることが正解なのか。

正解が分かっていて、実施していたら私達はコロナを制圧出来ていたのだろうか。

でも今私達はこういう日々を生きている。

それぞれが現状から最適と思う答えを信じて生きるしかない。

 

 

そして、そういう日々に、私達にはアートやスポーツの力が必要なのだ(ちなみに私は今の状態での東京五輪には反対)。

人間はそれなしでは生きられない。

 

そして今回のショーを見て、パンデミックがあったからこそ生まれた羽生君の演技と言葉に、非常時に生まれたアートの価値を感じた。

 

羽生君の最適解は「表現して示していくこと」なのだろうと私は思った。

批判されることも、過去の発言と比較されることも全部全て深く考えあげた上で、

表現者としての彼は、自分の影響力を社会へポジティブに作用することを期待して用いることを決めたのだろう。

 

 

この産業を守ることも、スケート界を守ることも、人々の健康も、何一つ彼が背負うべきものではない。

でも彼はメッセージを送ることにした。

そこにどれ程の思いが込められているのだろうか。

 

 

それはフィギュアスケートのアイスショーで演技を披露して人々に勇気を与えたい、ということを更に飛び越した包括的なものに私には思えた。

私達は一人一人社会の一員として責任を全うして生きていくのだと。

 

 

 

 

 

 

「早くあなたを抱きしめたい」

アイスショーに出かける前、ビデオコールの最後に義母は私にそう言った。

ようやく自分の娘を一年ぶりに抱きしめることが出来た彼女が、日本にいる私達家族を抱きしめられるのはいつになるだろうか。

 

 

彼女の腕が私達を包む日を、

そしてかつての様に安心して人々がイベントに参加出来るようになる日を、

 

私はずっと待っている。

きっと私の最適解は、「待つ」ことだと思う。

 

でもそれは個人によって違う。

人々にメッセージを伝えられる人は、その力を放って欲しい。

そして私は尊敬と共にそれを大事に受け止めさせて欲しい、

 

今この世界でしか生まれない表現の形を。

 

 


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