お久しぶりです。

まず始めに一言

 

ほんとにさ

まじで色々

クソすぎない?

 

2026年夏、絵子、心の句

 

 

前回危機感に煽られてブログを書きました。

 

 

 

タイトルは「これからも、歌い踊り続けるために」というものだったのですが、どうやらまじで好きに歌って踊れる表現の自由がなくなるやもしれぬという未来が現実として迫ってきており、これはもう「やばすぎて滅」的な気分になっています。(←はやりのフレーズを使ってみた)

 

 

そして今どきの流行りの表現でいうと、多分私は「思想が強い」人間なんだろなって思います。

差別やめろとか

税金国民のために使えとか

弱者を無視すんなとか、

国民皆保険を壊すなよまじで、

こんだけ円安物価高で国民が苦しんでるとき、

国旗損壊を罰するかとか女性は絶対天皇になれないとか、

全然議論しないで強引に決めようとして本当にいいかげんにしろよ、クソすぎだろ、

とか思ってるだけで別に全然過激思想ではないと私自身は思っていますが、

「反戦平和」を訴えることが非常な勇気を伴う行為のようになってしまっている昨今、皆様いかがお過ごしですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

私は高市さんを支持してないですが(知ってた)

彼女への個人的な支持・不支持を超えて、「女性」という属性を都合よく利用しようとしているかのように見える背後の支配層や、それを許す社会構造そのものにクソすぎだな!と思ってます。

「女性初の首相」といった記号を隠れ蓑にして「いつやるの、今でしょ」と言って(言ってはいないが)後世に禍根を残すような国家のあり方を変えてしまう法案を強硬に通そうとしてるように見えるし、もしそれが大批判を浴びる結果になったらその責任は高市さんに背負わせるつもりなのでは?と思ってしまう。(でも高市さんを見てるとまあ、責任を負うようにも見えないけど、それはそれで、国のトップとしてほんとどうなの?涙)

そんなふうに女性性を政治的に利用・搾取する社会制度や思想のあり方そのものが皇室典範改正(改正ってなに!)の背後にもありありと見える。

 

 

私には、高校2年の息子がいます。私が地元のデモに参加した話をすると

「ああいう人達(←言い方!)声でかいし、通行のじゃまになってることもある。ママはそういう迷惑かけるようなことしてないよね?」とか言ってきます。してませんよ!

 

そんな彼が「ワールドカップで観客席で旭日旗振ってる人たちは世界中にあれが写ってることについてどういう考えなんかね?しゃばくね?」

とか「愛子さま結婚できないとか言うのは流石にキモくね?それはガチギレ案件だろ。」などと今風に言ってしまうような世の中です。*しゃばい、とはダサい、しょぼい、情けない、の意

 

若者の高市支持はすごく高いと言われてますが、息子と話してると、押し付けられる大義名分や理不尽な空気には敏感だしそれを嫌悪してるのも伝わってくる。私は彼らを戦争に絶対に巻き込みたくないので、できることをしたい、と思う。

 

 

 

 

昔アン・ルイスが

My name is woman

悲しみを身ごもって優しさに育てるの

My name is woman

女なら耐えられる痛みなのでしょう

と歌っていた。私も青春時代はカラオケでよく歌いましたよ。そして高得点も出しました。(しらねーよ!)

 

 

でもさ、私思うんだけど、「悲しみを身ごもって優しさに育て」るなんて普通にきつい。今読むとこの歌詞辛くないか。身ごもるという表現が特に。

社会や他者から与えられた悲しみや理不尽であっても、他人にぶつけたり拒絶したりせず、自分で抱え込んで、つまり身ごもって、しかもそれを優しさに昇華しろってことでしょ?

赤ちゃんを身ごもったらそれは大事にお腹で育てるでしょ、でも与えられた悲しみや苦しさを、社会や家族、男のため?に「優しさ」っていう美しいものに変換して差し出しなさい、あなたにはそれができるのよっていうことでしょ?怒ったり恨んだりしないで、慈愛で包んで昇華させるのよ、ってことでしょ?

女だからって耐えなきゃいけないってことないよね。

悲しみを優しさに変換しろっていうのは、つまり、周囲の甘えだと私は思う。要求しすぎだろ。

 

だってさ、雪国で寒くって、辛いから冬はスカートの下にタイツ履かせてくれって言ってもだめとか言われても、じゃあそれ決めてる先生たちも真冬に生脚登校してみてね?って思うじゃんね?

でもブルマ/履かされてたことを考えて/それでもマシと思う悲しさ←(一応句を詠んでる)

 

どれほど理不尽な目にあっても、女はそれを内側に呑み込み、愚痴を言わずに優しさに変えて周囲を癒やすべきだって甘えすぎじゃない?(二回目)

そしてそれを今の皇室に対しても同じことしてない?

耐えられる痛みとかないからほんと。耐えさせるなよ。って思う。痛いものは痛いのよ。

 

この歌詞はさ、傷つきながらも健気に生きてきた女の人たちとか社会の隅に追いやられた人たちとか、小さい人たちに当時は響く歌詞だったのだろうし、時代の表現だと思う。でも今は違う歌詞の方が合う。

 

私は高市さんを支持しないけど(だから知ってる)高市さんは(自らやってる部分もあるだろうし、そしてその上で)その女性性を社会に搾取されてるとも思う。道具にしてるんだね。皇室もそう。

有権者の私達はこいつらなら耐えられるとか文句言わないと思われてるのかもしれないけど、私達は操られて、納めて、耐えるために生きてるのではないし、辛かったら悲しさを優しさに変えなくたっていいし、寒かったらスカートの下にジャージだってタイツだって履いていいでしょ。まじでほんとに勘弁して。

 

 

生身の当事者の痛みを無視して属性や美徳を押し付けてコントロールしようとする社会はクソなんだよ。

 

なんでルールを決める側(例:寒さを感じない大人、人権を奪われてない権力者などなど)が、当事者(生徒)(弱者)(当事者の皇族の方々)の理不尽を無視して我慢を強いることがOKなの?私にはほんとにいみふなのだが????愛国者の人たちはそれでよいのか?(私だって日本好きだから嫌いになりたくない程度の愛国者ではあるのよ?ちなみに)

 

戻るけど

 

ほんとにさ

まじで色々

クソすぎない?

 

私達はいつまでこうして言い続けられるのだろう?

オーウェルの1984の世界を人類は何度重複して経験し続けるのだろう?

 

羽生君のことをここで出すのはアンフェアかもしれないが…(スミマセン)

私が彼を心から尊敬していた事象の数多くのうちの一つは、羽生君の愛国心は偏狭なナショナリズムではないということでした。
これは過去に何度かブログに書いたけど。

各国生徒の国旗が掲げられるクリケットクラブで学び、日の丸への敬意はもとより、他国選手へのリスペクト、気遣い、眼差し、性的少数者への理解、男女差別への明確なNO、などなどそれはずっと一貫していたと思います。SEIMEIの振り付けをシェイに依頼したこととかもね。そして国や文化の違いを超えて彼のスケートを愛する海外のファンへ向けての眼差しも。

排他的な思想がどれほど自身が愛するスポーツを後退させるか心底わかっている人だと思うし、それを私は本当に尊敬しています。

 

今日、日本経済は異次元の円安と物価高の渦中にある。これからエンタメ界で何が起きるか。(既に起きているか。)

海外の素晴らしいアーティストを日本に呼ぶための費用(ギャラも滞在費も)が跳ね上がり、呼ぶこと自体難しくなってくる。

それだけじゃなくて日本のアーティストが海外に挑戦したり、質の高いエンタメを国内で維持したりすることすら、どんどん難しくなる。日本にいて海外旅行にいかないから関係ないとかそういう問題じゃない。

愛国だとか伝統だとか、よくわかってないうちに押し付けられて、思想をなんか固定化されてしまって、多様性を排除して縮こまっている間に、足元の経済が崩れ落ちて世界から取り残され、エンタメや表現の場そのものが干からびてしまうのでは?

 

それでもそれは耐えられる痛みで、悲しみから優しさに育てるべきなのか?

これのどこが愛国なのか、と私は思う。本当に日本が好きで、日本の文化を守りたいのなら、私たちが自由に息をして、好きに歌って踊れる環境を、政治の力で、経済の底上げで、維持していくことだと私は思う。(異論はめちゃあるだろうけど)

人間は駒、みたいなシステムに搾取されて、耐え続けるだけなんて嫌だよ。 文字通り汗水たらして稼いできたお金を税として納めたら、本当に人の暮らしが良くなることに使ってくれる人に政治をしてほしいよ。

 

My name is human.って言いたい。

嫌なことは嫌って言って生きていける社会であって欲しい。

 

 

読んでくれてありがとう!

次ブログ書くときも自由にものが言えますように。お願いします。

絵子でした。