日本で初めて(蒸気)自動車を製作し、旭川沿いをドライブしたのが、山羽虎夫やまばとらお、という岡山県人の偉業を讃えるべく
5年に1度のペースで開催されている
純国産第1号車 山羽式蒸気自動車115周年記念 1904-2019 パイオニアラン
の模様をレポートしています。
今回は、その 第 6 回目です。
2019(平成31)年4月27日の土曜日、若干肌寒い曇り空の中、楊田家は、ゼッケンナンバー27、Gミーヴ号として会場入りし、
開会式にて実行委員長の片山様はじめ、地元岡山市幹部職員の方、山羽虎夫氏のご一族の親族の方、実行委員会幹部の方などが手短なスピーチをされました。
参加台数は、約30台であるため、運営関係者などを併せて総勢、50人前後の参加者が集ったことになります。
先回より、山羽虎夫氏が115年前に走行したコースと同様のルートを
お馴染みSONYアクションカムで撮影した動画からキャプションした写真を中心にレポートしています。
ゼッケンナンバー1、片山様の三菱500を先頭に
ゼッケン番号順に、一台一台、次々と、出走して行きます。
地元日刊紙、山陽新聞の「パイオニアラン」の記事に目が届き
クルマを、こよなく愛する<ひと>達による自動車イベントの存在を知ることとなり
そのような自動車イベントに、楊田も参加すれば
相当、リーズナブルに、上述した「夢」を実現させることができることを「発見」しました。
スタート・ゴールポイントである、岡山プラザホテル駐車場から、参加車両が1台ずつアナウンスされ
ギャラリーに見送られ、出発し、
戦後の復興を乗り越え、昭和・平成の市町村大合併を経た、人口70万都市
「大都会」岡山の中心部を走行した様子をお届けしました。
そして、
大雲寺交差点を西端とする、国道250号線(旧国道2号線)に入り
山羽虎夫氏の工房が在った場所の前を通過するポイントに近づつあるとき!
可成りの台数の先行車両が、この信号で左折してしまいまして、、、
いったん停車し、協議の結果、ミスコースであることが判明し、
当初のコースに戻るルートが判明したようなので、再出発します。
隊列が動き出しましたので、付いて行きます。
因みに、この辺りは、表町、というエリアとなります。
岡山県最大級の商店街、「岡山表町商店街」を横断します。
「岡山表町商店街」とは、「岡山市北区表町の桃太郎大通りから国道250号に至る総延長 1 キロメートル以上のアーケードで覆われた商店街の総称である。北から(1)上之町商店街(アムスメール上之町)、(2)中之町商店街、(3)下之町商店街、(4)栄町商店街、(5)紙屋町商店街、(6)千日前商店街の順に南に伸び、紙屋町商店街、千日前商店街を東西に交差する形で(7)西大寺町商店街があり、その西に(8)新西大寺町商店街が伸びている。狭義にはこれらのアーケード商店街から成り立っており、広義には、中之町商店街の東側に南北に伸びる、(9)オランダ通り商店街を含めた一帯を指す。町名では岡山市北区表町一丁目、二丁目、三丁目に該当する」ということで、大変、複雑な事情があります。
<出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/岡山表町商店街>
山羽虎夫氏の工房があった場所は、ここから右方向に300m南に位置する「千日前」というエリアにあったそうです。
この信号を右折しますと、本来のルートに戻ります。
両備グループに属する岡山電気軌道(通称「岡電(OKADEN)」)が通る道に合流し、次の信号を左折します。
右手に見えるのが、通称「西大寺町商店街」でして、
いわゆる「京橋筋」とも謂われます。
この場所で、右手から後続の参加車両とも、無事合流できました。
(写真左手に、手を挙げている人たちがいますけれど、多分、イベント参加車両に手を振って居られたのでしょう。まさか、右から参加車両が来ていたとは、気が付かなかったのかもしれません。)
「京橋筋」に入ってきました。
この通りは、歴史に名高い「旧山陽道」の一角ですから、交通の要衝でもあったわけけです。
写真右手に見える2階建ての建物は、岡山中央警察署京橋立寄所です。
これより、「京橋」を渡ります。
「京橋(きょうばし)は、岡山県岡山市の北区と中区区境の旭川に架かる橋である。歩道のある片側1車線で橋の中央には岡山電気軌道東山本線の併用軌道がある。 毎月第1日曜日には橋のふもとで備前岡山京橋朝市が行なわれている。日本百名橋の一つである。
2000年(平成12年)には、土木学会 選奨土木遺産に指定された。
現在の京橋は1917年(大正6年)に架け替えられ、1923年(大正12年)に岡山電気軌道東山本線の開通の際、拡張された。」
<出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/京橋_(岡山市)>
岡電の電車とすれ違います。
カメラマンさんが、我がGミーヴを撮影して下さいます。
歴史と伝統のある橋と電車、そして「ミライ」の象徴であるアイミーヴとの、コラボレーションです。
地元民とはいえ、倉敷市民にとっては、隣町であるが故に、「灯台下暗し」、
このように、風情ある道路が、地元にあるのだと、今更ながら、感慨深い心境です。
ここでも、カメラマンさんが待ち構えて下さいました。ありがとうございました。
旧山陽道の京橋筋には、旭川に架かる橋が「京橋」を併せて 3つ ありまして、
一番長い「京橋」を東方面へ向けて渡りますと、「中橋」を渡ります。
3つの橋を渡る、ということは、京橋筋には、中洲が二筋、通っているということになりまして、
旭川の氾濫や、大東亜戦争末期の空襲の影響などは、如何程であったのか、個人的に興味が涌きました。
そうこう(走行!)行っておりますうち、3番目の橋である「小橋」に差し掛かります。
旧大原財閥の金融部門を担った、中国銀行小橋支店が、向かって右手に見えますと、
小橋交差点の信号を右折します。
(お!新型LEAFだ!近い将来、街中に、EVが溢れる日が、実現することを、祈るばかりです。)
(ここにも、カメラマンさんが!実行委員長片山様の声掛けの賜物なのでしょう。素晴らしいです。)
小橋交差点を南方面に右折した先には、旭川沿いに、岡山湾を臨む岡山港までの一本道が待っていました。
法定速度は30km(!)安全運転で、南下して行きます。
(キヨウハ、コノアタリデ、ヨカロウカイ)
今回は、旧岡山市中心部の名所を複数、紹介しましたから、写真枚数が比較的少ない割には、文書量が多くなりました。
これもまた、
まちづくり
これもまた
エコノミライ運動
そして、このシリーズの中心ネタ
パイオニアラン
に関するレポートは、次回も続きます。
片山様、いつも、お待たせしています。こんな感じで続けていますが、如何でしょうか?
パイオニアランや、児島ブルージーンズラリーのことを、一人でも多くの方々に注目して頂けるよう、微力を尽くします。
次回も、お楽しみに!
エコノミライ研究所
所長 楊田芳樹
このシリーズ
5年に1度開催しているパイオニアラン_1予習編(2020.4.24)
前の記事
5年に1度開催しているパイオニアラン_5往路編1岡山中心部走行編(2020.5.22)
次の記事
5年に1度開催しているパイオニアラン_7往路編_3旭川沿いをドライブ
片山様が居られたからこそ、日本自動車史でも大変貴重なイベントが、5年に1度、開催されています。
※イベント案内用紙に記されている、かがみ文書より
岡山県という地理的環境は、様々な幸運に恵まれています。
乗り物関係で申し上げるならば
日本で初めて飛行機を製作し、飛ばそうとしたのが、浮田幸吉という、岡山県人でしたし
日本で初めて(蒸気)自動車を製作し、旭川沿いをドライブしたのが、山羽虎夫やまばとらお、という岡山県人でした。
そして、クルマ好きの方なら、「嗚呼、此処か」と直ぐにご理解頂けるかもしれない、この場所「WAGEN」も、「聖地」の一つ、であるかもしれません。
<蛇足のついでに>
新型コロナウィルスの影響で、巣籠り、せざるを得ない状況が続いている影響もありまして、
当研究所からアップロードしたyoutube動画のうち、
材料費ゼロを目指したミニ四駆コース紹介の動画の2本が、それぞれ、2千回程度の再生をして頂くに至り、驚いています。
再生回数が急激に増えたのは、2月中旬ごろからですので、
お家(うち)でできるDIYが盛んになっていることの表れなのだろう、と推察しています。
DIYといえば
今年の夏休みに宿題に合わせて、このアイテムのバージョンアップも画策しています。