今日はこちらのブログを紹介します。
人の話しをちゃんと聞けない眼科医に出会ったおかげで、
「人の話しを聞けること自体がすんごい価値だと思った」
という上様。(笑)
多くの人は、自分のことを話したい。
それをフラットに、ジャッジメントなく聞いてもらうって、
安心して話せるって、めっちゃ価値高くないですか?
勇気を出して話したのに、変にとられたり
誤解されたり、逆にダメ出しされた日にゃ、
もう誰にも話したくないって思いますよね。
そういう経験をしている人が多い中、気持ちよく話せて
「わかってもらえた」っていう気分になれるとしたら、
こんなに価値のあることって、なかなかないと思うんです。
僕は、この経験をしたことで、
カウンセラーとして益々努力しようと心の底から思えた。
と書いてあり、とても共感しました。(笑)
そして、ふとこの詩を思い出しました。
今日、高級ホテルのバイト代が振り込まれたのですが、
毎回ナフキンを折ったり、お皿を下げたり、
テーブルを拭いたり、といった小学生でも出来るような
お手伝いレベルの仕事しかしていないのに、
高時給なので、けっこうな額が支給されていました♡
仕事内容は「退屈」と言ってしまえば退屈なのですが、
こちらの本に「雑用という用はない」
と書いてあったのを思い出したので、再読してみました♪
著者がアメリカの修練院で生活をしていた時、
毎日100人以上の修道女のお皿やコップを並べるという
単純作業を黙々としていると、修練長から
「同じ仕事をするなら、祈りながら並べてゆきなさい」
「つまらない仕事を
つまらなくない仕事に変える術を教えてもらえた」
と書いてあるように
「どういう思いで仕事をするか」がとても大事!
小学生どころか幼稚園生でも出来るような仕事をして
お金をいただけるという有り難さもさることながら、
単純労働がつまらないと感じた時、
「時間の使い方は、そのまま自分の命の使い方ですよ」
という言葉を思い出し、心を込めて、
祈りながらナフキンを折るということができました。(笑)
祈りの言葉は、マザーテレサの祈りの言葉や慈悲の瞑想、
「この世に雑用という用はない」という言葉の通り、
このナフキンを使って食事をする人が幸せでありますように
と祈りを込めて折ることもできるわけで、
同じ仕事をするなら、一人ひとりのお客さまのために
祈りながら丁寧に折っていこうと思いました。
そうでも思わないと退屈過ぎて心が折れるというのが本音です💦(笑)
高級ホテルのバイトは駅から30分も歩いて行くのですが、
どこへでも歩いて行ける足を与えられたことにも
感謝しながら歩いています♪
この足を使って、出来ることがあるならば、
歩ける限り、感謝して出来ることはしたいなと思います♡
また同じように、神様から与えられた両手を使って、
出来ることがあれば、どんなことでもしたいなと思います。
渡辺和子さんの本を再読していると、
どんなことにも感謝できるし、
また感謝しなければいけないなと気づかされます。
嫌な仕事やしたくない仕事をしなくてはいけない時、
「主よ、私の手足をお使いください」と祈ることで
ストレスなく、少しでも気持ちよく仕事が出来るとしたら、
こんなに有り難いことはないな♡と思うのでした。
高齢になっても働けることは有り難いな~と思います♪
こちらのブログもおススメです♪