《自我=わたし》が、《自我 ≠ わたし》となる | 氣付きの存在の美しさ

氣付きの存在の美しさ

人生の生きにくさから、様々なセミナー、セッションを受け、最終的には想念観察することで生きにくさから抜けました。
非二元ティーチャー/想念観察コーチ

おはようございます。

今日もご訪問頂き

ありがとうございます😊





自分を責める、言葉

自分をジャッジする 裁く、言葉が

出なくなっていく。




思考、感情に氣づき➡️流し

この繰り返しで

始めにやってきた体感は




自己を責める言葉が

出なくなったことだ。




この裁判官のような自我は

自我の中でも

超自我、と言われている。




例えば

仲の良い友人なとに

嫉妬心が出る。




出たのならば

出てしまったのだから



コントロールしようもないのだが




嫉妬した自分を

自我は責めだす。




そんなふうに

都合の悪い、

嫌いな自分を感じると




とにかく自我は自分を責める

責める、責める、




止めたい、

責めのを止めたいのに

止められない、と

ドツボにはまる笑い泣き



そして、嫉妬しない自分を目指し

自分を変えることに

エネルギーを注ぐ、、、無理なのに



昔のわたしヾ(´Д`;●)ォィォィ





嫉妬した心も湧く。

後悔した心や

自己否定する言葉も湧く。





湧いたならば

湧いたまま



あるがまま

そのままにしておける




ありがたさ(*^_^*)



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