本性の私は赦しの器

本性の私は赦しの器

人生の生きにくさから、様々なセミナー、セッションを受け、最終的には想念観察で自動思考消え、人生か軽やかになり生きにくさから抜けました。
非二元ティーチャー/想念観察コーチ

おはようございます😊

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🌿 ◆ 自分を好きになる?好きにならない?
その時点で“私が二人”になっている 



 「自分を好きになろう」とするとき、
心の中ではこういう構造が生まれている。 

 - 好きになろうとしている“私” 

 - 好きになられるべき“自分” 


 つまり、
私が二人に分裂している。

 これは「自己改善」の世界では当たり前の構造だけれど、 


 観照が深まるとすぐに違和感が出てくる。

 なぜなら── 


 本来、好きになる側と好きになられる側に分かれる“私”は存在しないから。

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 🌏◆ 「好きになろう」とした瞬間に、自我が二重構造になる


好きになろうとする行為は、

 実は自我を二重化する。 


 - 評価する私 

 - 評価される私 

 この二重構造が苦しみを生む。


 なぜなら、
評価する側は常に不安で、
評価される側は常に不足だから。 


 だから「自分を好きになろう」とすると、
心は必ず重くなる。


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🌋 ◆ では、好きにならなければいいのか?

 → それも違う。まだ二人いる。 


 「好きにならなくていい」と言ったとしても、 

 構造はまだ残っている。 


 - 好きにならないと決める私

 - 好きになられない自分

やっぱり二人いる。


つまり、  

“好きになる/ならない”という二択そのものが、  

自我を二人に分裂させる仕組み。


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🍁◆ 観照の視点では、“好きになる対象としての自分”が消える


観照が深まると、  

「好きになるべき自分」という対象が薄れていく。


すると、  

評価する側も消える。


残るのは──


ただ気づいている静けさ。  

ただ現れを見ている透明さ。


そこには、  

好きになるべき自分も、  

好きになろうとする私も存在しない



ただ、  

現れがあり、  

気づきがあるだけ。


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💮◆ 好きになる/ならないは“色”

気づいている静けさは“空”


般若心経の核心。


- 「好きになろう」という思考 → 色  

- 「好きにならない」という判断 → 色  

- 「私が二人?」という違和感 → 色  


どれも現れては消える。


そして、  

それらを観ている静けさが“空”。


色即是空。  

空即是色。


好きになる/ならないという現れは空であり、  

空はそのまま現れとして姿を取る。


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🌛◆ 締め:弟子と老師の短い会話


弟子「老師、自分を好きになるべきでしょうか」  

老師「好きになるお前と、

   好きになられるお前がいるのか」  


弟子「はい、二人いるように感じます」  

老師「その二人はどこから来た」  


弟子「……思考の中です」  

老師「ならば、好きになるも、ならないも、

   どちらも思考の遊びだ。  

   思考が静まれば、お前は一つだ」  




合掌(´ー`).。*・゚゚



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