おはようございます😊
ご訪問いただきありがとうございます!
🌟母は「寂ししい、寂しいのよ」
ある出来事が起きてから
近くに住んでる妹から連絡がないと
電話口で嘆く母、、、
------
🩸母の寂しさは、母の内側で起きている自我の揺れ。
娘が背負うべきものではなく、
それぞれの身体の中で静かに扱われるべきエネルギー。
境界線が整うとき、関係性は自然な温度へ戻っていく。
-------
🍀1. 弟子と老師の会話
弟子
「老師、母の寂しさを背負わなければいけない気がしてしまいます」
老師
「寂しさは、その人の内側の揺れだよ。背負う必要はない」
弟子
「揺れとは何でしょう」
老師
「自我が、自分の存在が揺らぐのを怖れているだけだ」
---
🍀◆ 1. 母の寂しさを、娘が背負う必要はない
母が「寂しい」と言うとき、
その言葉は娘に向けられているように見える。
まるで娘がその寂しさを埋める役割を
果たさなければならないかのように感じられることもある。
でも本当は──
母の寂しさは、母の自我の揺れであって、
娘が背負うものではない。
母の内側で起きているのは、
「自分はもう必要とされていないのではないか」
「自分の存在が薄れてしまうのではないか」
という、自我の震え。
その震えは、
身体の中ではこう現れる。
- 胸の奥が空洞になる
- 呼吸が浅くなる
- ザワザワ
母はこの身体の揺れを「寂しい」と表現しているだけ。
---
❄️◆ 娘が背負うと、境界線が壊れる
娘が母の寂しさを背負おうとすると、
身体はすぐに反応する。
- 胸が重くなる
- 肩が緊張する
- 胃のあたりが固くなる
これは身体が
「これは自分のものではない」
と教えてくれているサイン。
母の寂しさを背負うと、
娘の境界線が壊れ、
自分の静けさが奪われてしまう。
だから娘が距離を取りたくなるのは自然で健全。
---
💐◆ 母の寂しさは、母の自我の揺れ
「母の自我も、必要とされていないような揺らぎを感じている。
自我にとっては、存在がないと分かることがいちばん怖い。」
母の寂しさの根っこは、
まさにこの“存在の揺らぎ”。
自我は「自分という物語」が揺らぐと、
存在が消えてしまうような怖さを感じる。
だから母は娘にしがみつく。
娘を支えに、穴を埋めようとする。
でもそれは、
母の自我の揺れを娘が背負うべき理由にはならない。
---
🌓◆ 娘が背負わないとき、関係性は軽くなる
母の寂しさを娘が背負わないとき、
関係性は静かに軽くなる。
母の寂しさは母のもの。
娘の静けさは娘のもの。
それぞれが自分の内側の働きを
自分のままにしておけるとき、
関係性は自然な距離と温度を取り戻す。
---
🌱◆ 結び──寂しさは、それぞれの内側で扱われるべきもの
寂しさは、
誰かが背負うべき荷物ではなく、
それぞれの内側で静かに扱われるべきエネルギー。
母の寂しさを娘が背負う必要はない。
娘の静けさを母が奪う必要もない。
寂しさは、
見られた瞬間に静けさへ戻る。
そして、
それぞれの心は、
それぞれの身体の中で
ゆっくりと整っていく。
合掌(´ー`).。*・゚゚
🟪個人セッション始めました🟪
お申し込み、こちらから↓↓↓
