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20080318

朝、メグロナルドで1時間半作業。素饂飩を食してから失禁ではなく出勤。午前、会議。午後、机仕事。20時半まで労働。夜飯はサラド、おひたし、納豆、汁。食後、NY。皿洗い。泥濘。ヘプトーンズ。芋焼酎。0時就寝。


萱野稔人氏の『国家とはなにか 』を読んだ後に、チベットの問題を見ているから、とても興味深い。不謹慎かもしれないが、面白いのだ。『国家とはなにか』を読んだ直後には、丸谷才一『裏声で歌え君が代 』を思い浮かべ、読み返そうと思ったんだけど、ここに来て、台湾の総選挙の話題も熱い。おもろだ。



20070317

3時半起床。泥濘でインターネット。皿洗い。日の出と共に家を出て、メグロナルドへ。3時間作業。終日机仕事。19時半退社。夜飯はグラタン、サラド、味噌ソップ。食後、NY。泥濘。芋焼酎。音楽鑑賞。 23時就寝。


目黒のつけ麺屋で午飯をとったのだが、店主の好みか、BGMがジャマイカン・オールディーズで、ヘプトーンズ、ホレス・アンディ、アルトン・エリスなんかが鳴っていた。久し振りに聴いたけど、良いのだよ、ロックステディ。で、帰宅後、泥濘会館でもジャマイカン・オールディーズに針を落とした。すると忽ち強めのアルコールが欲しくなり、芋焼酎をオン・ザ・ロックで。ここ数ヶ月、泥濘会館で酒を呑みながら音楽を聴くなんてことがなかったから、気持ちが良い。ベロンベロンでドロンドロンで、これぞ、泥濘の快感。

デルロイ

シンガーとしてまだ未完成なこの時期のデルロイ・ウィルソンの、危うい感じの歌唱が、なんとも魅力的だ。Treat me right を聴くと、渋谷のDJバー・インクスティック時代のクラブ・スカを思い出す。まだ儂も二十代前半だった。今や、ジャージにサンダルが主たる活動スタイルだが、この頃は梅ヶ丘の並木で誂えた細身のスーツにポークパイなんて小洒落た恰好で遊んでた。体重も今より10キロは少なかった。懐かしい気分になる。今でもたまに、出勤時の井の頭線下北沢駅でナベさんを見かける。フレームスを観に行かなくなったのは、ナベさんがいなくなってからだ。ところでバルコン並木ってまだあるのだろうか?これからバスターを聴こう。伊佐美も美味。幸せだ。

20080316

朝、イクタナルドにて3時間作業。午飯に茄子と芋のサブジを拵え食す。午後、カーで水沢の森 へ。娘とウギャギャ。夕、ホームセンターで種を購入。帰宅して即NY。剃髪。夜飯はサラド、洋風粥。だるまちゃんとかみなりちゃん。困憊故に21時半就寝。




20080315

朝、イクタナルドで3時間作業。洞爺湖で水を汲み帰宅。午飯は納豆。午後、娘と近所の公園へ。初対面の子と直ぐに仲良くなる子供。儂もかつては子供だったのに、なんてことを考えながら、日溜まりで読書。暑い。夕、チルダを焼く。後にスーパーマーケットの天皇。夜飯は温野菜。食後、NY。泥濘会館でインターネット。0時半就寝。

20080314

朝、イクタナルドで1時間作業。午前、越中島へ直行。午後、机仕事。19時半退社。帰宅後、即NY。絵の中のどろぼう。娘に「自由ってなに?」と聞かれる。泥濘。杏酒。ニコニコ動画でレピッシュばかり見続ける。0時半就寝。



餃子事件以来、中国野菜の輸入が激減して、外食企業各社は原材料に国産野菜を用いらざるを得ない状況にあるらしく、このまま中国野菜が入らなければ、外食の価格高騰は避けられないとのこと。そんなことだから、中国野菜の輸入業者は悲鳴を上げていて、外食企業は数に限りのある国産野菜の確保に必死らしいのだが。。


ここはひとつ日本の農家に気概を見せてもらって、今まで国産野菜にそっぽを向き、「低コスト」というコスト意識だけで中国野菜を扱っていたような外食企業には、野菜を売らないでもらいたいと思うのだが。まあ、それは無理だろうけど、仮に国産野菜を原材料とすることで外食の価格が高騰するということになっても、それが適正価格であるならば当然なことであって、後は消費者の選択だ。ここで言う消費者の選択とは、単に国産ニンニクと中国産ニンニクの二者択一ということではなくて、消費行動全般の見直しということだ。例えば、携帯電話に毎月2万円払ってるなら、それを1万円にして、浮いた1万円を食費の足しにし、安全で質の良い食品を買うとか。外食を止めるとか。


食に限らず、僕らは意外と日々どうでもいいものに金を費やして、大切なものをケチったりしている。それが何を意味しているかと言えば、僕らの消費活動は、一見自らの自由な意思で行われているようでありながら、無意識のうちに権力と資本とメディアにコントロールされているということであって、だから、チョムスキーの『マニュファクチャリング・コンセント 』を持ち出すまでもなく、テレビを消して、情報誌は水洗便所に流してしまった方が良い。目に水が入る前に、ゴーグル、それをしろ! ということだ。真に自由な消費活動こそ、資本主義(新自由主義)の理不尽に対する「レベル」になるだろう。更に言えば、人間の生の営みの根源的な部分に関して自ら生産者になることが、資本主義の在り方を変える、最初の一歩になると思う。


千葉の山奥で、いわゆる半農とカレー屋をやって、シュタイナー教育を実践したいと考えることは、全部繋がっている。頑張れ俺。子供のためにも。