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20080328

朝、メグロナルドで1時間半作業。終日机仕事。19時半退社。寿識字学校へ。滞在時間は15分程度。溜息。22時帰宅。夜飯は芋サブジ。食後、NY。泥濘。ラム酒。溜息。0時就寝。

20080327

朝、イクタナルドで2時間作業。午前、机仕事。午後、溜池山王。直帰で印度。ココナッツのチャツネが美味。22時半帰宅。馬鈴薯のサブジを拵える。NY後、泥濘。気になるメールを受信する。ラム酒。0時半就寝。


20080326

朝、イクタナルドで1時間半作業。午前、田町へ直行。午後、机仕事、人事制度説明会。20時半退社。帰宅後、即NY。夜飯はカレー、サラド。食後、洞爺湖へ美味し水汲み。戻って泥濘。インターネット。テレビジョンで蹴球世界杯亜細亜予選観戦。前半終了後、就寝。


 

茨城・土浦市8人殺傷事件


忍者ゲームねぇ・・・。
  
僕が少年だった頃、わけの分からない少年犯罪の原因として、メディアが好んで槍玉に挙げたのは、「鍵っ子」と「母子家庭」だった。けれど、「共働き」と「離婚」が普通になった今、それらが槍玉に挙げられることは、まずない。「わけの分からない犯罪を、わけの分からないままにしておくのは不安だから、自分達が理解できる理由をこじつけることで納得し、安心したいという心理が働く」、なんてことを識者の意見として耳にするが、僕も基本的にはそう思う。だから、わけの分からない少年犯罪の原因は、その時々で、極めて恣意的に、でっちあげられてきたのだろう。けどけど、ことテレビによるゲームへの攻撃に、並々ならぬ情熱を感じるのだが、それは僕だけか?「テレビが自己防衛のためにゲームを攻撃している」と見るのは、うがった見方だろうか?


テレビによる「犯罪とゲームの因果関係」に関する論調は、だいたい次のような感じだと思う。


ゲームのやりすぎで、フィクションの世界とリアルな世界の境界線が分からなくなってしまって、ゲーム感覚で命を扱って(他殺/自殺)いる。


全てのテレビ番組はフィクションだから、ゲームをテレビに置き換えても、そのまま筋が通る(たとえニュースであれ、ドキュメンタリーであれ、映像やコメントには発信者の意志が嫌でも入り込んでしまう以上、それはフィクションでしかないということは、昨日の日記で登場させた森達也を再度登場させるまでもなく確かなこと)。要するにテレビのゲーム叩きは、ゲームを悪者に仕立て上げることで、結果としてゲームをテレビのスケープゴートにしているのだ。


一応断るけど、僕はゲームを擁護しているのではない。僕はテレビ同様にゲームも子供には不要だと思っていて、与えるつもりもない。だけど、ゲームが子供にとって不要だと思うことと、ゲームを少年犯罪の原因と安直に結びつけることに同意することとは、全く別の話であって、ゲームの立場で代弁するならば、「テレビよ、お前だけには言われたかねぇよ!」という感じだ。ちなみに、わけの分からない少年犯罪が起こるたびに、「なんでだろう?」と考えるけど、僕には分かった試しなんて一度もない。けど、簡単に分かろうとしないで、「わかんねーなぁー」って考え続けることが、むしろ大事だと思っていて、安直にゲームのせいにして、分かったような気になって、安心して、そこで思考を停止させてしまうことの方が、数百万倍ヤバイと思うのダダABC。



20080325

午前、会議。午後、神保町、溜池山王。直帰で印度。ローストチキン。23時帰宅。即、NY。泥濘。ラム酒でカルチャー。インターネット。2時半就寝。


昨日の日記を読み返したけど、酔って書いた文章はやっぱり分かり辛い。ただ気になったのは、分かり辛いだけならまだしも、暗に「自分は親としてのセンスがある」とでも言いたげな風に、読むことも出来てしまうこと。けど、これは違う。では「親のセンス」とは何か?「親の考え方」とも少し違うし、適当な説明が難しい。強いて言えば、森達也『視点をずらす思考術 』の「視点をずらす思考」のことか。これだけだとまた、なに言っているか分からないかもしれないけど、間もなくテレビジョンで蹴球世界杯亜細亜予選が始まるから、おしまい。

20080324

終日机仕事。19時半退社。夜飯はモヤシ炒め、サラド、納豆。食後、NY。やまなし。22時半就寝。



昨日の今日でこんな記事を見つけた

 ↓

<子供の将来>「高学歴」志向の母親増える。学力への不安募り


シュタイナー教育を理想と考える親がいるその一方で、ひたすらに「高学歴」を志向する親もいる。もっとも前者は少数派で、後者が圧倒的な多数派なんだろうけど。面白いのは全く正反対の志向にもかかわらず、恐らく動機は同じで、我子のためを思えばこそ、ということであろう。これはどっちが正解不正解という問題ではないから、言ってみれば親のセンスなんだな。ただ、今の社会における合理非合理の観点で言えば、改正教育基本法の理念に合致する早期知育や学歴志向が合理であり、シュタイナー教育なんて非合理の最たるものだ。突然畑の話をする。化学肥料と有機肥料の違いを簡単に述べると、野菜の生育にとって効率的であるよう科学的な処理が施されているものが化学肥料で、野菜よりもまずは土中の微生物を育てるという、実利的な視点から言えばある意味非効率なものが有機肥料だ。化学肥料と有機肥料。早期知育とシュタイナー教育。繰返すが、どっちが正解不正解ではなく、あくまでも選択者のセンスの問題だと思う。