20080326
朝、イクタナルドで1時間半作業。午前、田町へ直行。午後、机仕事、人事制度説明会。20時半退社。帰宅後、即NY。夜飯はカレー、サラド。食後、洞爺湖へ美味し水汲み。戻って泥濘。インターネット。テレビジョンで蹴球世界杯亜細亜予選観戦。前半終了後、就寝。
忍者ゲームねぇ・・・。
僕が少年だった頃、わけの分からない少年犯罪の原因として、メディアが好んで槍玉に挙げたのは、「鍵っ子」と「母子家庭」だった。けれど、「共働き」と「離婚」が普通になった今、それらが槍玉に挙げられることは、まずない。「わけの分からない犯罪を、わけの分からないままにしておくのは不安だから、自分達が理解できる理由をこじつけることで納得し、安心したいという心理が働く」、なんてことを識者の意見として耳にするが、僕も基本的にはそう思う。だから、わけの分からない少年犯罪の原因は、その時々で、極めて恣意的に、でっちあげられてきたのだろう。けどけど、ことテレビによるゲームへの攻撃に、並々ならぬ情熱を感じるのだが、それは僕だけか?「テレビが自己防衛のためにゲームを攻撃している」と見るのは、うがった見方だろうか?
テレビによる「犯罪とゲームの因果関係」に関する論調は、だいたい次のような感じだと思う。
ゲームのやりすぎで、フィクションの世界とリアルな世界の境界線が分からなくなってしまって、ゲーム感覚で命を扱って(他殺/自殺)いる。
全てのテレビ番組はフィクションだから、ゲームをテレビに置き換えても、そのまま筋が通る(たとえニュースであれ、ドキュメンタリーであれ、映像やコメントには発信者の意志が嫌でも入り込んでしまう以上、それはフィクションでしかないということは、昨日の日記で登場させた森達也を再度登場させるまでもなく確かなこと)。要するにテレビのゲーム叩きは、ゲームを悪者に仕立て上げることで、結果としてゲームをテレビのスケープゴートにしているのだ。
一応断るけど、僕はゲームを擁護しているのではない。僕はテレビ同様にゲームも子供には不要だと思っていて、与えるつもりもない。だけど、ゲームが子供にとって不要だと思うことと、ゲームを少年犯罪の原因と安直に結びつけることに同意することとは、全く別の話であって、ゲームの立場で代弁するならば、「テレビよ、お前だけには言われたかねぇよ!」という感じだ。ちなみに、わけの分からない少年犯罪が起こるたびに、「なんでだろう?」と考えるけど、僕には分かった試しなんて一度もない。けど、簡単に分かろうとしないで、「わかんねーなぁー」って考え続けることが、むしろ大事だと思っていて、安直にゲームのせいにして、分かったような気になって、安心して、そこで思考を停止させてしまうことの方が、数百万倍ヤバイと思うのダダABC。