20080314
朝、イクタナルドで1時間作業。午前、越中島へ直行。午後、机仕事。19時半退社。帰宅後、即NY。絵の中のどろぼう。娘に「自由ってなに?」と聞かれる。泥濘。杏酒。ニコニコ動画でレピッシュばかり見続ける。0時半就寝。
餃子事件以来、中国野菜の輸入が激減して、外食企業各社は原材料に国産野菜を用いらざるを得ない状況にあるらしく、このまま中国野菜が入らなければ、外食の価格高騰は避けられないとのこと。そんなことだから、中国野菜の輸入業者は悲鳴を上げていて、外食企業は数に限りのある国産野菜の確保に必死らしいのだが。。
ここはひとつ日本の農家に気概を見せてもらって、今まで国産野菜にそっぽを向き、「低コスト」というコスト意識だけで中国野菜を扱っていたような外食企業には、野菜を売らないでもらいたいと思うのだが。まあ、それは無理だろうけど、仮に国産野菜を原材料とすることで外食の価格が高騰するということになっても、それが適正価格であるならば当然なことであって、後は消費者の選択だ。ここで言う消費者の選択とは、単に国産ニンニクと中国産ニンニクの二者択一ということではなくて、消費行動全般の見直しということだ。例えば、携帯電話に毎月2万円払ってるなら、それを1万円にして、浮いた1万円を食費の足しにし、安全で質の良い食品を買うとか。外食を止めるとか。
食に限らず、僕らは意外と日々どうでもいいものに金を費やして、大切なものをケチったりしている。それが何を意味しているかと言えば、僕らの消費活動は、一見自らの自由な意思で行われているようでありながら、無意識のうちに権力と資本とメディアにコントロールされているということであって、だから、チョムスキーの『マニュファクチャリング・コンセント 』を持ち出すまでもなく、テレビを消して、情報誌は水洗便所に流してしまった方が良い。目に水が入る前に、ゴーグル、それをしろ! ということだ。真に自由な消費活動こそ、資本主義(新自由主義)の理不尽に対する「レベル」になるだろう。更に言えば、人間の生の営みの根源的な部分に関して自ら生産者になることが、資本主義の在り方を変える、最初の一歩になると思う。
千葉の山奥で、いわゆる半農とカレー屋をやって、シュタイナー教育を実践したいと考えることは、全部繋がっている。頑張れ俺。子供のためにも。