御金神社
・御祭神…( )、天照大御神、月読命
・御利益…金運・招福、開運
・境内には樹齢200年を超える御神木の( )
瀧尾神社
・大丸を創業した( )家代々から厚い信仰
・本殿は( )奥院旧殿を移築
・拝殿の木彫りの天井龍の作者…( )
・境内にある「鰻の神様」…( )神社
【解答】
金山毘古命 銀杏
【解答】
下村 貴船神社 九山新太郎 三嶋
御金神社
・御祭神…( )、天照大御神、月読命
・御利益…金運・招福、開運
・境内には樹齢200年を超える御神木の( )
瀧尾神社
・大丸を創業した( )家代々から厚い信仰
・本殿は( )奥院旧殿を移築
・拝殿の木彫りの天井龍の作者…( )
・境内にある「鰻の神様」…( )神社
【解答】
金山毘古命 銀杏
【解答】
下村 貴船神社 九山新太郎 三嶋
武信稲荷神社
・西三条大臣と呼ばれた( )の創建
・父の藤原冬嗣の( )院と藤原( )が設立した医療施設の( )院
・市指定天然記念物の御神木の( )
・( )が「龍」の文字を彫り、お龍に自分の無事を知らせる
【解答】
藤原良相 勧学 良相 延命 エノキ 坂本龍馬
京都仙洞御所
・京都御所の南東、豊臣秀吉が聚楽第の破却後に築いた( )の跡地
・寛永七年に( )上皇の御所が始まり
・後水尾上皇の后の( )の為の女院御所も造営
・仙洞御所の南端の御茶屋、後桜町上皇の時代に再建…( )
・庭園…( )の作庭
・北池、近衛邸から移築、玄々斎好み…茶亭の( )
・山吹が美しい( )淵
・南池…小田原藩領内からの( )を敷きつめた。
【解答】
京都新城 後水尾 東福門院和子 醒花亭 小堀遠州 又新亭 阿古瀬 一升石
昭和39年 東海道新幹線京都駅開業、京都タワー開業…( )設計
昭和41年 古都保存法公布、国立京都国際会館開業…( )設計
昭和43年 清水焼団地完成、平安博物館開館…初代館長( )、京都府京都文化博物館
昭和47年 特別保全修景地区(祇園新橋・産寧坂)指定
昭和54年 ( )鉾の再興
昭和55年 京都駅前地下商店街( )開業
昭和56年 京都市高速鉄道(京都市営地下鉄)烏丸線開通…( )~京都間
蟷螂山再興
昭和63年 四条傘鉾再興
#京都検定
【解答】
山田守 大谷幸夫 清水焼 角田文衞 綾傘 ポルタ 北大路
昭和26年 宇治市設置
昭和27年 恩賜京都博物館→京都国立博物館
…明治古都館( )設計、平成知新館( )設計
国鉄京都駅舎再建…3代目、現在の4代目( )設計
( )鉾の再興
昭和28年 ( )祭復活
昭和29年 鴨川花火大会で( )の焼失
昭和30年 京都市交響楽団発足(第一回定期演奏会は京都市円山公園音楽堂にて)
葵祭に斎王代を置き、女人列を再興‥初代斎王代( )
昭和31年 祇園祭山鉾巡行の巡行路…( )通から御池通に変更
昭和35年 京都会館の開館…ロームシアター京都、( )設計
昭和36年 京都市電北野線廃止、祇園祭前祭の巡行路…( )通から河原町通に変更
昭和37年 壬生寺本堂焼失
昭和38年 国立近代美術館京都分館の開館…京都国立近代美術館、( )設計
京都府立総合資料館の開館(京都府立京都学・歴彩館)
#京都検定
【解答】
片山東熊 谷口吉生 原広司 菊水 葵 小御所 荒田文子 松原通
前川國男 寺町通 槇文彦
昭和2年 先斗町歌舞練場完成…( )設計
京都市役所本庁舎完成…( )設計
中央卸売市場(京朱雀市場)
昭和3年 大礼記念京都博覧会(岡崎公園)、平安神宮大鳥居…( )設計
昭和4年 ( )天文台(京都大学、のちにブライアン・メイが見学)
昭和7年 西京極運動場、NHK京都放送局
昭和8年 大礼記念京都美術館(現在京都市京セラ美術館)…( )設計
( )干拓
昭和12年 第十六師団が支那事変に投入…第十六師団は現在の( )
昭和14年 二条離宮を京都市へ移管→二条城
昭和15年 七・七禁令の施行→( )に打撃
昭和17年 京都日出新聞+京都日日新聞→京都新聞
昭和19年 第一次建物疎開(御池通・五条通・堀川通拡幅)
昭和20年 馬町空襲、西陣空襲
昭和21年 第一回国民体育大会
昭和24年 ( )がノーベル物理学賞受賞
昭和25年 金閣焼失…( )による放火、三島由紀夫の『金閣寺』、水上勉の『金閣炎上』
#京都検定
【解答】
木村得三郎 武田五一 伊東忠太 花山 前田健二郎 巨椋池 聖母女学院 西陣織
湯川秀樹 林養賢
10 京都の「伝説」に関する記述について、( )に入れる最も適当なもの書きなさい。
(91)「八半」という織屋の15歳の丁稚と13歳の織子が張り合ったことがきっかけで生まれた伝説にゆかりのあるものは( )である。
(92) 平安中期、三条小鍛冶家近は日頃信心していた稲荷の狐の化身である童子に助けられて名刀「小狐丸」を打ち上げた。謡曲「小鍛冶」にもなったこの伝説ゆかりの場所が( )である。
(93)( )の境内にある稲荷社には、千利休の孫宗旦に化けて見事なお点前を見せたり、豆腐屋の破産を救ったりした伝説のある宗旦狐が祀られている。
(94) 平安初期、「昼は朝廷、夜は間魔庁」に出仕したという伝説を持つ文人官僚( )が、冥土へ行く時に使ったといわれている井戸が六道珍皇寺にある。
(95)「源平盛衰記」には嫉妬の神として、妬ましい男女を呪い殺す女性( )の話が記された。のちに彼女を祀った宇治の神社は、縁切りの神として悪縁を切る効験があると伝えられている。
(96) 延暦寺の法正坊尊意僧正が宮中に向かう途中、鴨川が溢れ出したので、数珠をひと揉みしたところ、水流が分かれて石の上に菅原道真が現れて消えた。僧正が持ち帰り道真の霊を供養したとされるその石は( )である。
(97) 源融が造営した邸宅( )では、奥州塩竈の風景を遷した庭で塩焼きをしたり、風雅に連日宴が開かれていた。しかし、融の死後に幽霊や鬼が出没する「物の怪屋敷」になった様子が「今昔物語」に記されている。
(98)謡曲「鞍馬天狗」において、牛若丸(遮那王)と大天狗が出会った場所は鞍馬山の( )谷である。
(99) 上品蓮台寺の墓地の椋の木の下にある、源頼光を襲った妖怪にゆかりのある史跡は( )である。
(100) 京都人の信仰心を表す俗諺で、「伊勢へ七たび、熊野へ三たび、( )様へは月参り」という。
9 安士桃山〜江戸初期の京都に関する下記の文章を読み、( )に入れる最も適当なものを書きなさい。
織田信長は、永禄11年(1568)に室町幕府将軍( 81 )を奉じて上洛し、将軍のために二条御所を現在の( 82 )学院のあたりに建てた。「本能寺の変」により信長が自刃した後、後継者となった豊臣秀吉が信長の菩提寺として( 83 )を建立した。秀吉は、京都での政権の拠点としての聚楽第建設をはじめ、短冊型の町割、( 84 )町の形成、洛中を囲む御土居の建設など京都の大規模な都市改造を進めた。秀吉は死後、( 85 )に葬られ、その山腹に豊国大明神として祀られた。
秀吉の側室の淀殿が、父である( 86 )の菩提を弔うため、( 87 )を建立した。後に焼亡するが、淀殿の妹、崇源院(お江)が夫の徳川秀忠に願い出て再建し、以来、徳川将軍家の位牌所となった。この寺にある杉戸絵「白象図」や「獅子図」は( 88 )の作と伝えられ、ユーモラスな表情をしている。
江戸に幕府を開いた徳川政権は、京都を直轄都市とし、( 89 )を京都所司代として、その支配を強めた。また、京都の社寺の復興に努めるとともに、都市産業にも手厚く、特に( 90 )の保護に大いに尽力し、京都は大きく発展するところとなった。
8 京都御苑と京都御所に関する下記の文を読み、( )に入れる最も適当なものを書きなさい。
京都御苑は、今出川通、( 71 )、丸太町通、寺町通に囲まれ、周囲約( 72 )を有する国民公園として知られている。御苑内には、宮内庁所管の京都御所、仙洞御所、大宮御所や、平成17年(2005)4月に開館した内閣府所管の( 73 )があるが、公園部分は( 74 )が所管している。
京都御所の歴史については度重なる類焼による変遷をたどっており、現在の京都御所は里内裏の一つであった( 75 )が前身となっている。その後、応仁の乱により荒廃し、戦国時代から世にかけて、織田信長の父( 76 )が後奈良天皇の要請に応じて、内裏修理費を献上した他、織田信長、豊臣秀吉の時代に各々改築が行われ、徳川幕府に引き継がれた。天明8年(1788)の京都大火後、幕府から内裏の造営を命じられた老中( 77 )は、有職故実家裏松固禅(光世)が作成した「( 78 )」に基づき、古制にならって寛改元年(1789)から翌2年にかけて復元した。この内裏は後に焼失するが、幕府は安政2年(1855)に寛政度の内裏造営をモデルとして再興した。これが、現在の京都御所であり、大半の建物はその際の建築になる。
一方、御苑南西に位置し、四親王家の一つである( 79 )の邸跡には、京都御苑の自然と歴史に関する収納展示室と庭園などがある。また、その東にある( 80 )の茶室「拾翠亭」は、書院風数寄屋造で当時の貴族の生活の一端を今に伝えている。