人が編み出した教えこそが神の語る真実を発見する妨害をしている | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神を愛する人は、イコール、神の仰せ、トラーに根付いて生きる!と、イエシュアが申命書に記された父の言葉を解説している

ます。

夫と結婚し、この世で一番親しい関係に入った妻は、夫が教える

こと、夫の家の家訓を知らないから、1から教えてもらい、

その家の生活になれる、生き方に学習するのは、当然ではないのでしょうか?

嫁いで来た妻が、その家族の中で、一人だけ異物の生き方をする

以前の家のやり方、生き方、構造を持ち込む。

そのようなことは、出来ない、しないのです。

 

クリスチャンには、イエシュアが言われた言葉の意味が

正しく通じていないのは、古い教えが廃れた!という思想を

刷り込まれて、イエシュアが教えた教えは、100%モーセの

五書であり、父の教え、いましめ、仰せなどと書いてあるのは

クリスチャンが言う「律法」そのもの、モーセの五書以外にない

ということが、全く理解していない、見えていないからです。

 

イエシュアがメシアであると信じた!と言う意味は、神の大家族の一員になり、神が提示された婚姻契約を生きよ!と教えられていることを、教えられていないのです。

それが、西洋宗教の教えの世界、宗教活動、実践、儀式、

記念日を生きる別世界の教えなのです。

ローマ帝国、皇帝、別の旦那の教えを、神の家、主、夫の

家訓だと勘違いしているのです。

しかも、神の教えを捨てよ!?これ、神の声ではない!と

気が付かないとならないのです。

 

正しく聖書を教えられていないのは、人の思想で、神の教えの

方を勝手に変えた解説しか、聞かされていないからです。

神の律法は廃れた〜という、龍の物言いのスローガンを教え

込まれて来たからです。

そして、神の深いところにある考えを、神が言葉を通して、

人に伝えている、永遠普遍の神の教え、言葉、天の家の家訓を、ローマ教は「律法」という誤訳で呼び、神の言葉に対する歪んだ概念を刷り込んでいるのです。

 

古い、悪い、廃れた、人を縛る厳しい教え!今は無効、一時的に

使われた廃れる律法で、十字架で処分された!くらいにしか

理解していないのです。

聖書ではない、空想話を信じさせられているのです。

しかも、イエシュアが教えられたのは、クリスチャンが

廃れた律法と言い続けている、まさにそれの完全版を教えて、

生きて見せたのです。

イエシュアは、トラーを引用して、神を愛する人は、神の仰せ

トラーを生きる!とイエシュアの口から言われているのに、

その意味は、モーセの五書とは違う、新しい別の教えを生きよ!

と言われていると、完全に勘違いしているのです。

モーセの五書、婚姻契約、はじめの愛とは違う、神の別の教えや

契約書など、この世、神の中に存在しないという事実だけに

立って考えて下さい。1つしか無い!神の教えは永遠普遍、

すたらず、完全である!

 

イエシュア ハ マシアは、トラーの目標である。

ローマ10:4キリストはトラーの目標であります、

信じる者すべてに義をもたらすために。

 

イエシュアご自身が生きられた生き方、父の教え、トラーの

生き方が、人の生き方の究極の最終手本、ゴール、完全版の手本である!とパウロが解説している意味を、真逆に捉え、

誤解した解説をしているのです。

 

キリストが律法を終わらせた!?と解説していますが、

とんでもない、誤訳です。聖書から逸脱した聖書解説の

オンパレードで、どこからリコール、回収したら良いのか

クリスチャンが神の教え、言葉を誤解することは、そう簡単に

くつがえせないほど、偽物の聖書解説はガッチリ浸透して

しまっているのです。

デイスペンセーション神学のような思想を信じている人が

聖書翻訳したり、聖書解説すれば、それは神の言葉の方をまげ、

人間の思想を語り、聖書ではない聖書解説を刷り込まれ続けて

行くのです。

 

ずっと以前からアメリカでもそうでしたが、聖書を神の言葉で

ある、完全の言葉であると信じない聖書教師が、神学校で次世代の牧師、教師、伝道師を教えているのです。

しかも、20世紀のアメリカは、牧師、教師がこぞってダービーの作った聖書から逸脱した思想に飛びついたのです。

 

全員ではありませんが、友人が言った言葉の意味が今なら理解

出来ます。「神学校に行くと、信仰を失う。」と。

そうでしょう。真実ではない、聖書ではないことを、教えられてしまうからです。

聖書教師、牧師、伝道師が、もし、神の言葉をどの箇所でも

否定する教えをするならば、それは要注意!警戒して、注意しないとなりません。

有る部分の聖書の真実は語っても、結局、人間が編み出した

宗教と、そして人間の思想で作った神学を土台とした思想を

持ち、それを信奉しているからです。

 

人の思想を通して、神の言葉の事実を曲げて、歪めた聖書解説をされてしまえば、当然のごとく、神の言葉とは辻褄が合わないので、神の言葉が歪められ解説され、真実は伝わらないままになります。

聖書は聖書で解釈する。神の言葉は、神の言葉で解説するという

基本大前提のルールを、人造宗教と、人造神学を使う人が破っているのです。

 

何を信じているのかで、聖書解説が歪み、違うものになるのです。聖書解説や、翻訳には、人の思想、信条が反映されてしまうのです。

聖書ではない、人の思想を刷り込まれてしまっているのです。

オリジナル、ヘブライ聖書の中身は違います。

一点一画、付け足し、差し引き出来ない。

同じ文字数、同じ言葉で記されています。

それを、厳重にガードしてきた人たちがユダヤ人です。

ギリシャ語翻訳は、ヘブライ聖書の翻訳なのです。

詰まり、オリジナルに戻り、ヘブライ聖書を根拠として、

聖書を見ないとならない。それは、普通の人には出来ないから

教師は、それが出来なくてはならないのは、当然の義務なのです。

言語が語る意味通りを、神が人に伝えている、その究極の証拠が残されている!!!

それを探れば、定番の聖書解説、神が神の教えを変えたように

勘違いする箇所は、全部誤訳、間違った聖書解説が施されて

いる箇所なのです。

 

1900年近く、異邦人の世界で、神の言葉を塗り替える思想

人間が作った宗教が浸透してしまったのです。

使徒たちがこの世から居なくなった後、1世紀後半に出てきた

西洋教父達から始まったのです。

フラダンスのダンサーが、歌舞伎を教えるのと同じ。歌舞伎を知らない人が、勝手に作ったなんちゃって歌舞伎を伝授した。

 

クリスチャンは、キリストが日曜に昇天されたから、日曜日が

安息日になったと、聖書に書いてないことを、書いてあるが

如く信じているでしょう。イエシュアは土曜の日没に復活されようが、いつ昇天されようが、シャバット、神のアポイントメントの日は、変更しない、変わらないのです。

神の教えと、神の時、モアでイムを変える!というそれを

やったのは、西洋教父であり、ローマ帝国皇帝、教皇、司教

なのです。

イグナチウスのように、このようなスローガンを言い始めたのです。何故か分かりますか?

彼らは、ヘブライのトラーを知らない、プラス、ユダヤへート

反ユダヤ思想、反モーセの五書思想が根底に根付いているのです。ユダヤ的なこと一切排除!自分たちの西洋的なものに

変える!

「クリスチャンは、シャバット、第七日目ではなく、日曜日を

尊重せよ!」

これは、神の仰せではなく、神に敵対することを する「666」

神の言葉、トラーと神のモアデイムを変えることをする!

と預言されていることを、やったのです。

反キリスト、反キリストと必死に探し回っても意味ないです。

反キリストとは、1)神に敵対するもの、神に反逆するものであり 2)神の教え、言葉を別物にすげかえる、すり替える

そのようなことをするもののことだからです。

そして、「666」とは、「神の教えを変える、脇へおいやる、

捨て去ることをする」勢力のことです。

知らない間に、反キリスト、666の片棒を担ぎ、神に敵対する思想を主張し、神の教えを捨て、別物を生きることを捺せられていることに、聖書から気がつかないとならないのです。

 

  

神が神の言葉を破棄した!ということが、人間の作った思想

大嘘であり、神に対する大冒涜である事実に、聖書から気が付かないとならないのです。

聖書を読み、西洋宗教がなぜローマ帝国により作られたのかその歴史を調べれば、それがどれ程トンデモナイ冒涜であり、

まやかしであることは、よっぽど眠った状態でなければ、

真実だけに根付いて考え続ける人にははっきり本当のことが見えて来ます。

 

4世紀に作ったローマ帝国製造の混ぜもの宗教、神の教えを否定する、破棄する思想を土台とした、龍の物言い、人間が神の言葉に手を加え、かいざんした宗教など、最初から作ってはならなかった人造宗教なのです。

なぜなら、神の言葉、教えとは違う。

100%忠実、純粋な神の言葉ではないからです。

人の考えで神の言葉が歪められ、しかも異教まみれの教えが混じる、

混ぜものがされた宗教だからです。

 

イエシュアが教えられた父の教え通り、トラー、契約に根付く

生き方を教えられなくてはならなかったのです。

皇帝崇拝、異教の神々、女神、グレコローマ哲学思想で語る

聖書ではない教えが、ローマ教により無数に作られましたが

プロテスタントも、同じように神の言葉には100%完全に

戻ってもいない。異物の思想を排除しないまま、同じ思想を土台とした宗教の教えを実践信奉、しているのです。

 

神が伝えている事、聖書に書かれている事実を、正しく把握して

いないのです。

神が一方的に支払われた代価、子羊の血の代価で買い取られ、

神のものとなって、新しくされた人は、神の家に住まう、

天の国の一員になったのです。

 

その人たちは、神が創造された通りの、神の性質=自分の本来の性質=イエシュアが生きた通りのトラーの性質を生きる!

これを、正しく理解していないのです。

義とされた人は、神が定義する義を生きるのです。

義とされるその目的の為に、神が定義する義=トラーを生きるのではないのです。この2つが全く区別がつかないまま、混同した聖書解説をしているのです。

 

そして、あたかも神の教えが悪いもの、有効期限があるもの、

不完全なもの、廃れるべきもの、そして神の教えを律法という

誤訳で翻訳されそう呼び続けているのです。

イエシュア=言葉=聖霊であり、人は神の言葉で造られたと

神が言われたでしょう。

そして、人は、神の口から出る1つ1つの言葉により生きる!とある、その言葉とは、トラー、婚姻契約、はじめの愛、父の教え、モーセの五書に記された神の家に加えられた人が生きる

家訓のことなのです。

 

そうすると、神の教えは古くて悪いという敵対心を自動的に

刷り込まれ、インプットされ、神の教えに対する歪んだ思想で

洗脳されてしまっているのです。

古い教え?そうです。エデンの園から、永遠の中から同じ

太古から語り継がれる古い古い教えです!同じ教え、同じ福音!神の教えは、クリスチャンが主張するように分解など出来ません!

そして、彼らが私たちの現代で一般に、一度救われたら、新しくされた人は、自動的に成長出来ると考えていませんか?

 

神が自動的に、自分の中身、思想、行動の全てを変える?

そうではありません。それをするのは、自分です!

神の言われる通りを選び、それを生きる練習をするのは、

自分なのです。

体験的に分かるように、それは事実ではありません。

学習は、本人がするものです。スポーツでも、楽器演奏でも

料理、建築、衣服製造、何でも、与えられたインストラクション

通りをやって上達するでしょう。

インストラクション読んだだけで、上達しますか?しません。

 

新しい人として、成長するのは、本人が参加しないとならない。

古い人の記憶は、自分が持っているから、誰も変えられない。

新しくされた人、頭脳の一新で変えよ!とパウロが言っているのは、神の言葉に注意を払い、古い人の生き方を、本物の生き方

イエシュアの生き方に切り替える日々の訓練がある!と書いていあるのに、それが全く通じないまま、意味不明の「自由」が

与えられたと解説しているのです。

クリスチャンの言う自由は、神の教えを脇へ追いやり、

何でもする自由です。

神のモアデイムも、人が考える日、いつでも自由にできるのだ?

今は何でも自由に食べられる!

今はいつでも記念日、主の日。その人が考える事が主体。

果は、今は同性婚、同性愛もokだ。人を差別するな、

偏見を持つな!愛が大事。

聖書とは関係ない逸脱した教えをクリスチャンは教えられて

それを実行しているのです。

人間の教え、宗教の教えを実践し、宗教活動に招かれている。

 

それらは、イエシュアが教えられた生き方とは違うものです。

自分を見ても分かる通り、神の教えを知り、神の教えに根付いて生きる事をしなければ、生まれたままの赤ちゃんのまま、

成長しません。いつまで立っても、変化しない。

古いままの自分で、生きているだけ。

成人として成長する過程が、ごっそり抜けて、体験主義、

インスピレーション、印、奇跡、癒やし、不思議、預言などを

求める事ばかり教えられているのです。