デイスペンセーション神学 聖書から逸脱した思想は神が伝える真実から人を引き離す | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

キリストが来られた後、以前の古い教え=律法が終了、破棄、

神の教えが変わったという人間、西洋教父達の主張、

第四の獣=ローマ帝国の作った宗教の教えが、人にそう教えますが、それは、神の教えなどではありません。

龍の物言い、子羊イエシュアを否定する声です。

神=聖霊=イエシュア=言葉であり、言葉が肉体となって

来られたとヨハナンが書いている通りだからです。

 

はじめの愛=シナイ山で神の花嫁となった人達へ、法的効力の

ある婚姻契約書を文字に記して、永遠の保証、証拠、関係を正式に結んだ暁に与えたのです。

それは異邦人も含む人たち。神が言われた通りを信じて

実行し、子羊の血を鴨居に塗って、初子の死を免れた人達。

その中には、多くの異邦人もいたのです。出エジプトした

240万人は、ユダヤ人の子供、女性そして、異邦人の数です。

イスラエルの成人男性は、60万人です。

この出エジプトした人全てが、イスラエルという正式な国家

国民と神がされたのが、シナイ山でのシャヴオートの祭りの

出来事であり、使徒2章は、同じシャヴオートの祭りであり

世界の四隅に住む、全民族に対して、神の言葉、教え、イエシュアを受け入れる人は、もれなく神の元に戻り、神の大家族に加えられ、同じ神の家の家訓を生きることに招かれた、その幕開けが

使徒2章の出来事なのです。

 

トラーに記された神の教え=父の教えを、イエシュアは、

神が意図した通りを生きて人に示したのです。

イエシュアの生き様は、100%、天直送の神の意図通りの

生き方、トラーに記された事を、実際にイエシュアが生きたのです。トラーが肉体を取って、人の間に住んだとヨハナンが記しているのがそれです。

それを聞いたユダヤ人は、出エジプトして荒野で、ミシュカンを

与えられ、神の臨在が人の間に住んで、神の家の中でイエシュア

そのものを教えられたことを、理解している人が聞いているのです。

 

それは、イエシュアが来られる迄、人がトラーの実態そのものを生きることをする人を歴史の中で見たことがなかったのです。

 

しかし、イエシュアが地上に来られて、神のトラーを神に意図通りに生きることを、人に教えられ、実際に生きて、手本を見せてたのです。

今と同じく、1世紀も、トラーから逸脱した聖書解説や

人間のルールを様々に作ったユダヤ人がいる中それらが神の教えの意味通りではないから、イエシュアが天直送の解説と

実践を見せたのです。

4つの福音書の中で、イエシュアが様々な人と討論、議論しているのは、彼らが神の言葉の意図通りではない考え、実践、

ルールを編み出していた、それが伝統の教え、人の言い伝え、

律法の戒めなどと書かれているものなのです。

シャバットに人を癒やすなとか、落ち穂を拾うな、手洗いの

儀式をしないなら、その手で触る食べ物は汚れるなどと

聖書にはない教えを編み出したことが記されているのが、

それです。

 

1世紀当時のユダヤ人の間で、トラーに関する解釈、実践で

たくさん意見が分かれて居たことが書かれています。

それを、イエシュアが来られて、成就=神の意図通りを教え

生きることを示し、破棄=神の意図ではない解説、解釈、

生き方を教えた!とあるのが、マタイ5:17なのです。

 

神の教えを人間が破棄してはならない。

神が言われる事、神の言葉に付け足し、差し引きしてはならないと神が言われる事に、真っ向から平気で逆らえるのは、

第四の獣が作った宗教と、そして、神の教えとは違う教えを

作り出す様々な教師、思想、置換神学や、デイスペンセーション神学のような思想を、神の言葉を塗り替えて作る。

これが、冒涜だとも気がつけないほど、聖書を正しく理解していないことが、問題なのです。

人間が神になり変わるのが、ローマ帝国、皇帝崇拝、その思想が

土台として作らえたのが4世紀の西洋宗教なのです。

人間が神になりかわる冒涜に対して、全く無感覚でいられるのは

神の言葉を理解していないからです。

 

聖書から逸脱した,人間の編み出した教えの方 こそを、

全て100%完全破棄しないとならないのです。

偽物の教えは、蛇のように音も立てずに、人の頭脳に入り込み

人の思想を、偽の教えで占拠しているのです。

 

神の教えを、人間が破棄するように教えているのが、龍の物言い、見かけは子羊でも、実は偽物、神の言葉を否定する

人間の思想です。

 

神は何と言われていますか?何を人に教えていますか?

 

申命記 4:29 しかし、その所からあなたの神、主を求め、

もし心をつくし、精神をつくして、主を求めるならば、

あなたは主に会うであろう。

 6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一=エハッド
(1つ以上で全く1つ)の主である。
6:5 あなたは心=頭脳をつくし、精神をつくし、力をつくして、
あなたの神、主を愛さなければならない。
6:6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの
心=頭脳に留め、

 6:7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。

 6:8 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、

あなたの目の間に置いて覚えとし、

6:9 またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。

 

イスラエルとは、神が「我が子よ」と呼ぶその名です。

人種に関わらず、イスラエルの神の元に戻った全ての人のことです。

イスラエルが大家族の長男、代表であり、イスラエルという名

が、イスラエルの神の大家族の名字なのです。

 

イスラエルと書いてあるから、日本人には関係ない!異邦人には

関係ないと考えているなら、その場合、聖書、神の教えは、

異邦人にはほぼ関係ない教えとなってしまいます。

異邦人、他国の人、寄留者という名指しで語られている箇所は

極少だからです。

詰まり、長男に向けて、神の言葉、契約は託され、渡され、

同じ福音、教え、神の祝福、約束、贖い、救いを全世界の民族へ

渡す、伝える役割をユダヤ人が最初に与えられただけです。

 

イエシュアが処刑される前の夜、過越の祭りの晩に祈られた祈りは、過去、その時点、未来、全ての人に到達する祈りなのです。

イエシュアが祈られた祈りが、未来の私達迄ちゃんと実現している。それは、イエシュアに出会った事実で証明されているのです。ヨハネ17章

 

申命記11:13 もし、きょう、あなたがたに命じるわたしの命令によく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心をつくし、

精神をつくして仕えるならば、

11:18 それゆえ、これらのわたしの言葉を心と魂におさめ、またそれを手につけて、しるしとし、目の間に置いて覚えとし、11:19 これを子供たちに教え、家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、それについて語り、

11:20 また家の入口の柱と、門にそれを書きしるさなければならない。

 

神の教えの完全版、はじめの愛、法的婚姻契約書、神の家の

大家族の家訓は1つしかありません。

それを、西洋宗教では、律法という誤訳で呼んで、神の言葉に対する歪んだ概念、思想で語り続けますが、それは正しくない

聖書解説そのものが浸透しているのです。

 

読めば分かる通り、イエシュアが教え、語られているのは、

100%モーセの五書、父の教え、はじめの愛、神の大家族

天の家族の同じ家訓なのです。

 

以下は、申命記に記された言葉を、イエシュアが引用しているのです。トラーを引用する、イコール、神の教えが無効になった

という思想が、嘘、偽情報、まやかしであるということに

気がついて下さい。

 

マルコ 12:28 ひとりのトラー学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、
イエスに質問した、
「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。

12:29 イエスは答えられた、「第一のいましめは

これである、

『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。

 12:30 心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。

 
マタイ22:37 ルカ10:27 マルコ12:33も同じ
事が記されています。
 
神を愛するとは一体何であると、神が教えていますか?
ふわふわ、気持ち、感情、抑揚感の事など神は言っていません。
神が言われた言葉、それを真実であると、認め、受け止め、
実際に行動すること!
これ、普通の生活でも体験するでしょう?
家族であれば、両親や、夫、妻、又は子供に何か伝えて、
それを、その通りに受け止め行動するなら、それは、相手に対する敬意、尊重を示す行動でしょう。
逆に、自分の言ったことを無視し、それをやってくれない
又はやらないでという事を、やめてくれない。やり続けていたら
その相手は、自分を無視、尊重などしていないと行動で
分かるのです。
それと同じ事なのです。神が神であると認めるなら、なぜ神の言われることを、聖霊が内側に住む人、聖霊が記された神の言葉
神そのもの、私達の性質そのものを、捨て去ることが、恵みの
時代の自由な生き方であるという、獣の大嘘を信じるのか?
聖書に書いてない嘘をこれほどまでに長い間、多くのクリスチャンが信じる事の方が不思議なのですが、これは預言されていたことです。
 

ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するならば、

わたしのいましめを守るべきである。

 

イエシュアが語るいましめとは、モーセの五書、トラーに記された神の教えのことなのです。イエシュアが父の教え以外、

勝手な発想で、今迄聞いたこともない、トラーとは別の教えをしていると考えているなら、それは聖書から10000%逸脱した

場所、龍の声の周波数の下で、別の教えを聞いていると気がついて下さい。

神の教えではない、龍の声が語る別のチャンネル登録して

その教えを聞いているのです。

 

14:20 その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたは

わたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、

わかるであろう。

14:21 わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、

わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に

愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。

 

わたしの戒めとは、トラー、父の教え、モーセの五書に記された

神の言葉、教えです。それを聞いて、ガードして、実際に神が

言われた通りを生きる人は、イエシュアを愛する人である!

その逆は、何ですか?イエシュアが教えられた教え=

モーセの五書、トラー、父の教えをないがしろにし、それを
捨て去るように教える人は、イエシュアを愛していないことを
神の言葉を捨てて、違う事を生きる行動で示している。
 
マタイ5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
 
神の教えは廃れた!という教え、主張、行動は、神の伝える
教え、戒めの大半を破るように教えることをしているのです。
その代わりに、人間が編み出した、神の教えではないことを
やらされているのです。それが、宗教活動、実践、儀式、
人間が作った記念日を通して、神に近づく、礼拝することなので
す。
神の教えを捨てるように教える人は、神の国の中で、一番価値ない無意味、羽より軽い存在であり、神から遠く離れた場所に追いやられる事が、聖書に最初から最後まで書かれています。
 
神の仰せを愛する人、その人が異邦人でも、その異邦人は、
神の家、祈りの家の茶の間、祭壇の前で、神の前に差し出す
コルバンの捧げものを神が喜んで受け取り、その人と祝宴を
するという預言が書いてあるのです。神の最も近い場所。
お茶の間、神の家で一番親しい交わりをする、それが祭壇
食卓、テーブルでの宴会なのです。