1517年、「95条の論題」という聖書からズレた、4世紀に
第四の獣=ローマ帝国が作った宗教と、その宗教の教えを、皇帝、
司教、西洋教父達が、ユダヤ人全員を追放して開き続けた、
人間の教えを会議する宗教会議で編み出した宗教の教えの数々に
対して、挑戦状を突きつけたルターの行動から宗教改革というものが始まりました。
詰まり、今現在に至る迄、イエシュアが教えられた本物の教え、
神の言葉ではない、偽物の教えがクリスチャンの中に浸透している、
その大元の問題は、これです。
人間が神の言葉、根幹、神の権威を否定して、4世紀に混ぜ物の
宗教を作ったからです。
もし、この偽物の教え、西洋宗教が浸透しなければ、イエシュアが
教えた通りの父の教え=はじめの愛=トラーをイエシュアが教えた通り、その通りを生きて、第四の獣が4世紀に作り替えた宗教の教えと、その実践、記念日など祝ってもいなかったはずなのです。
ローマ帝国が4世紀に作って、神に対する違反を堂々とやり作った
宗教、その裏にある思想は、人間崇拝、皇帝崇拝カルト思想が土台なのです。詰まり、皇帝が神、神の子と呼ばせていた。
ローマ皇帝のため、神々、人民、全てが存在すると考えていた、
これは紀元前1世紀からずっと同じなのです。
ローマ帝国の安泰、統治、繁栄、支配の為に作った宗教なのです。
だから、階級制度。最初は皇帝がトップ!
ローマ帝国が、LGBTQで滅び、崩壊した後、実質上、皇帝の二番手、
皇帝のために作った宗教のトップ、教皇が皇帝の座に座ったのです。
そして、これが皇帝と同じ、神と同等の権威があると主張し、
神の言葉を勝手に曲げて、作り替えることをし続けているのです。
ローマでは福音とは、ローマ皇帝がもたらすグッドニュースであり、皇帝が
神であり、皇帝が、ローマ帝国市民の救い主だと宣言していたのです。そして、皇帝のために、神々が存在すると考えていたのです。
黙示録を読む時、偽の王国とその王=ローマ帝国と、本物の王
イスラエルの神、イエシュアの統治される世界、この二つを対比させて語っていることに注目すると見えてきます。
皇帝崇拝と、皇帝が崇拝する異教の神々、女神崇拝をローマ市民
全員が、皇帝と神々、女神を崇拝しないとならない。
そうしなければ、ローマ帝国支配下の国々では、売り買いができない、社会生活が出来ないようにされたからです。
皇帝が、ローマ帝国に、幸せ、繁栄、安泰をもたらす存在=神の子
と呼んでいたのです。
ローマ教を4世紀に皇帝が作ったのは、イエシュアと親しい関係に
入ることを望むからではない、それが第一の目的ではない。
このイスラエルの神が、コンスタンチヌスに戦争の勝利をもたらしたのかもと考え、そこから始まったのです。利用です。なんでも利用。
元が偶像崇拝の思考回路だから。関係ではなく、利用。
しかし、コンスタンチヌスは、異教徒です。自分の偶像を宮殿に
飾り、異教の神殿、バシリカをイスラエルの神の神殿にした。
思考回路は、異教徒のまま、混ぜ物宗教を作ったのです。
だから、サンデー、太陽神の日、皇帝の日。
コンスタンチヌスは、太陽神を信じていた人。
いや、異教の神々は何でも受け入れるのです。
太陽神は、聖書では、全ての異教の神の大元であることが書かれています。エジプトの神、ラー。
そして、エジプトの王も同じく、太陽神より上に、王が権威を持っていると考えていたのです。
だから、最後十番目の裁きが、エジプトの王に対する裁き、初子を
打ったのです。
九番目が、エジプトの太陽神、ラーに対する裁きです。
その魂胆、動機は、ローマ帝国に、安泰をもたらす、戦争の勝利を
もたらす、未来永劫ローマ帝国が繁栄し、存続する為、そのために
作られた宗教だからです。
その時代には、多くの異邦人も、イエシュアを信じて人数が増えたからです。
しかし、1世紀後半から、ローマ帝国の勅令である、偶像崇拝
皇帝崇拝に巻かれて行った人達がいたのです。
そして、聖書から逸脱する、偽の教えをする西洋教父達が続出したのです。使徒達が地上を去り、偽物の教えを正す人達、ユダヤ人と
完全決別を決め込んだからです。
ローマ帝国は、異教徒、グレコローマ哲学思想に浸っている思考回路の人達です。
神の言葉、それが神同等の権威であるとも、理解できない人、
それが異邦人です。
人間が神の権威を奪い、その座に勝手に居座ることを平気で出来る。
これこそが、皇帝崇拝カルト思想を、見かけが子羊である
けれど、その口から出る言葉は「龍」のように語る、それが人間が
作ってはならなかった第四の獣の4世紀創作宗教なのです。
神の言葉を正しく理解する人なら、人間が神の言葉を勝手に排除、
捨て、作り替え、神が創造された永遠に祝われる「わたしの記念日
シャバット、祭り」をことごとく破壊、排除、作り替えるような
ことなどしないのです。
それらの行為こそが、神に対する敵対、反抗、反逆、そして、罪
そのものであるからです。
見かけは、子羊、しかし、その語ること、やることが「龍」と
ヨハナンが書いたのは、このローマ帝国が4世紀にしでかした
いや1世紀後半から既に、ローマにより混ぜ物、偶像礼拝に染まることをさせられて行ったからです。
偽物の教え宗教のことなのです。そして、聖書に書いてあるイエシュアではなく、聖書に書いてない獣を人に拝せてきた。
人間が神の権威を奪い、ハイジャックし、神の言葉と、神の創造されたモアデイムをことごとくなし崩しにし、すり替えたのです。
クリスチャンは、十字架で古い教えが処分され、新しい教えと、
新しい聖書に書いてない記念日を祝うようになったと、聖書に書いてもないことを信じてやっていることを、1度も考えてみたこともないと思います。
それらを、神がして良いと言ったと、ローマ14章を完全に勘違いした誤った聖書解説を信じているから、神が人が考えた日、いつでも
OK,いつでも聖別した日、主の日などと勘違いしているのです。
勘違い、嘘、そこからは真実な生き方は出てきません。
神を愛しているのに、実は神ご自身を堂々と否定し、敵対することを
理解しないまま、知らないままやらされているのです。
黙示録 13:11 わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。
地、イコール、ローマ帝国が支配したイスラエルの国です。
子羊のような角、イエシュアのように見えて、実は「龍」
ローマ皇帝が神となり、異教の神々、女神の宗教を人にやらせ、
そして、神のシャバットを西洋教父達が、それをやるな!
クリスチャンは、日曜日を尊重せよ!と既に100年代にそれを
言い始め、神の言葉をなし崩しにするような異端思想をする
西洋教父達、そしてその後ローマ帝国では、ユダヤ人ラビイエシュアではなく、オリンピアローマ=龍が語る、別物のローマ化けした
聖書とは違うイエズス像を作ってしまったのです。
その龍は、神の言葉を捨て去るように教える、それが龍の口から
出るとあります。
神の教えは廃れた!古い律法は十字架にかけられ処分された!
今は無効の教えだ!恵を捨てた生き方に戻るな!
これら、龍の語り口そのものです。
これらを主張する人は、ヘブライのトラー、神の教えを正しく理解しない、西洋教父達と同じ思想、別の宗教の思想を信じる人達です。
ルターが1517年に、カトリック 第四の獣が作った宗教に対して
疑問を呈しましたが、間違った教えのある部分が正されただけで、
本当の問題、龍が語る神の教えを捨てよ!という偽物の教え、砂の
土台を一掃しないまま、同じ思想、思考回路、神の教えを人が作り替えた宗教と、神の創造されたイエシュアを表す、永遠に祝われる
神の記念日をことごとく別物にすり替えたものを、継続して、今も
やっているのです。偽物から本物は出ません。
その宗教改革後も、続々と偽の教え、偽の宗教運動、聖書から逸脱した神学、置換神学や、デイスペンセーション神学は、完全に破棄されないまま、多くの牧師、教師が、聖書ではない教えを通して、
聖書を曲げて解説し続けることは、止まらない、後を絶たないままなのです。
ルターはこのようなことを提示しました。
龍の語ることを、部分的に修正しても無駄です。
大元、土台、シロアリの巣、ネズミ、ゴキブリ、害虫の巣を全部
駆除しないとならないのです。偽物の教え、宗教の教えの土台を
一掃する。
全て100%イエシュアが教えられた父の教え=はじめの愛=
モーセの五書に記された、神が人に伝える神の性質通りの人の
生き方、契約に根付く生き方を知り、それに戻らない限り、
本当の悔い改め、軌道修正など出来ないまま、龍が語る偽物の教えを
引きずったまま、世界へ、偽のイエシュアを伝え続けてしまうことを
しているのです。
異邦人の間に伝えられてしまったのは、聖書とはズレた、人間が
作った宗教の思想、教えです。
だから、聖書に書いてあるイエシュアが教えられた教え、神の言葉から右へも左へも逸れるな!ではなく、神の言葉を捨て去れ!666と
いうヘブライ文字で表される、龍が語る真逆な嘘、偽りが浸透したのです。
黙示録を読むなら、ヨハナンが、警告している意味、メッセージを
正しく理解しないなら、15歳の少女が語った幻をダービーが
解説して浸透させたような、聖書ではない思想、現実逃避思想を
生きさせられてしまいます。
考えても分かる通りですが、第四の獣が作った宗教は、イエシュアなどではなく、皇帝崇拝カルト思考回路が土台なのです。
論題の冒頭で、ルターはイエス・キリストの教えを引き合いに
出します。
主張: イエスが「悔い改めよ」と言ったのは、心からの回心や生涯を
通じた反省を意味しており、教会にお金を払って司祭から
罪のゆるしを受ける儀式(告解)のことではない。
ポイント: 外見的な金銭の支払いで罪が消えるわけではない、
と訴えました。
2. 教皇の権限の限界(第5〜26条、81〜89条)
当時、免罪符を買えば「煉獄(れんごく:天国に行く前に罪を清める場所)」にいる死者の罪まで赦され、天国に行けるという触れ込みで販売されていました。
主張: 教皇が罰を免除できるのは「教会法が定めた地上の罰」だけ
あり、死後の煉獄の魂を救う権限は神にのみある。
教皇には煉獄の罪を赦す力はない。
有名な批判(第86条など): 「巨万の富を持つ教皇が、なぜ貧しい
信者の金で聖ピエトロ大聖堂を建てるのか。自分の金で建てるべきではないか」と、過度な資金集めを痛烈に批判しました。
免罪符の販売員(ヨハン・テッツェルなど)が発していた
「コインが箱の中でチャリンと鳴ると、魂が煉獄から飛び出る」
といった宣伝文句を直接否定しました。
主張: お金で罪のゆるしが買えると信じ込ませることは、信者を偽りの安心感に陥らせ、真の信仰から遠ざける「道徳的な害毒」である。
ここで、勘違いしてはならないことがあります。
未来永遠に、そして過去、荒野のミシュカンで、そしてエルサレムの
神殿、父の家、祈りの家の祭壇で捧げられたコルバンは、罪の許しの
為ではありません。これを、正しく理解しない教師が、聖書とは
違うことを、人に教えるので、偽情報が拡散され続けているのです。
ポイント: 免罪符を買うくらいなら、そのお金で「生活に困っている
貧しい隣人を助ける(慈善を行う)ことの方が遥かに神に喜ばれる」と説きました(第43, 45条)。
4 福音とキリスト者の姿勢(第62, 92〜95条)
主張: 教会の真の宝は免罪符による収益ではなく、「神の栄光と恵みの聖なる福音(聖書の言葉)」である(第62条)。
結び: キリスト者は、お金で安易な平穏を買うのではなく、
苦難を通してキリストに従い、天国に入ることを目指すべきである。
続く