聖書を教える人は、ヘブライ聖書、そしてギリシャ語、
「西洋宗教歴史」という、人間が作った西洋宗教史を学ぶ必要があります。誰が作り、何が聖書ではないのか?どのような西洋教父たちが
出てきて、聖書、神の言葉を曲げる解説をし続けたのか?
それを、突き止めないとなりません。
なぜなら、それら西洋教父達、第四の獣、ローマ帝国がやった神に対する冒涜、人間が神のトラーを捨て、否定し、別の教えと別の記念日
にすり替えた宗教を作ったという冒涜があるのです。
神がしたのではないのに、神が十字架で古い教えを処分、破棄した
という大嘘の聖書解説を、牧師や教師が堂々とし続けているからです。
歴史の史実や、聖書の事実、神が語る言葉ではないことを根拠に
語る聖書解説は、最初から歪んだ逸脱した、聖書ではない解説なのです。
クリスチャンの間では、キリストが来られて、キリスト教という
新しい宗教が出現し、ユダヤ教が廃れたというようなことを
考えているのが一般的だと思います。
聖書には、ユダヤ教も、キリスト教もカトリックも、その他諸々の
宗教の教えは書かれていません。
聖書には、キリスト教が語るように、神の言葉が変化し、最初の部分は終了、廃れたという教えなど、書いてもありません。
聖書とは、クリスチャンが廃れた!無効と主張している、
モーセの五書、これが神の言葉の完全版であり、聖書全体は、
モーセの五書を解説している書なのです。それしかないのです。
全部が、モーセの五書、言葉=イエシュアを指して語っているのです。聖書に聖書と書いてあれば、それらは100%もれなく、
モーセの五書、モーセの五書の解説の預言書、諸書のみを指して
聖書と書いているのです。
これ、ゆっくり考えれば分かります。
新約聖書と名付けられている箇所には、クリスチャンが考えているような、最初の部分、モーセの五書を否定した教えなど1つも記されていません。
神の言葉を神が否定する、又はキャンセル、削除、終了する
これこそが、「龍」の声であり、イエシュアが語る教え、言葉、声
ではありません。
こんな誤解をしているでしょう。
律法はモーセにより与えられ、キリストにより律法がキャンセルされ
新しい教え、めぐみとまこととが教えられたと。
聖書に記されたことを、正しく読まない、読み違えた解説だけを
聞かされるから、書いてある意味を誤解するのです。
聖書に書いてある通りに理解しない、それは、偽の教えに導き、
神の言われること、神の深い所にある神が伝えている考えを理解する
ことが出来ない状態に留まっているのです。
それが、「龍」が神の言葉を塗り替える、それらしくてイエシュアが言われることとは違う教えという障害物なのです。
ヨハネ1:17 トラーはモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。
キリスト教が、聖書にない思想、律法と恵を対比させていますが、
神のトラー=契約は、恵、愛そのものであることさえ、聖霊が
内側に住んでいて、聖書を読んでも理解していないのです。
トラーに神の恵、愛、約束、許し、癒し、全ての供給、保証が
記されているのに、何を考えてそんなことを言うのか?
律法という誤訳自体が、人に神の言葉に対して敵対、憎む、
価値以下に取り扱う意識、態度を刷り込んでいるのです。
律法という言葉を、神の教え=聖霊=イエシュアと言い換えて
言ったら、変だと分かるはずです。
神=言葉=聖霊=イエシュア一体であり、切り離せないからです。
神の言葉を否定捨てる、イコール、イエシュアを捨てている!
同じことなのです。
預言者モーセを通して、聖霊により神の言葉が文字として書き記されました。その中に書かれた神の言葉、教えを、イエシュアが肉体を
とって地上に来られ、トラー=はじめの愛に記された、神が創造された神の子らの生き方を、そのまま体現し、表して、教え、真理に
導いてくださったのがイエシュアであると書いてあるのです。
モーセの律法は、廃れて、イエシュアがトラー とは別の教え、
生き方を教えに来たとクリスチャンは疑いもなく、聖書ではない教え伝統的に伝えられてしまった聖書とは何も関係のない、神の教えを
歪める解説だけを聞かされているのです。
モーセが神の言葉を書いたから、人が救われた、贖われたのではないのです。
贖われた人が、モーセが記された神の言葉を生きる!
そして、新しくされた事実は、イエシュアを通して以外、誰一人
モーセも、コルバンの動物を通しても成されることは出来ない!
簡単な事実でしょう。文字が与えられたから、それで自動的に
購い、救われたのではないのです。
神と出会うとは、神の方から来て下さり、私達を水ーイエシュアを
通して、古い自分を伏して一緒に死んで下さり、新しく生まれ変わるのは、水=イエシュアを通して、生まれ変わった。
それができるのは、神しかいない!それが書いてあるのです。
神の言葉は人を救わないなどと、言いますが、考えている次元が
違うのです。
購い、救いは、永遠の中に神が屠られた子羊の血以外にない。
この事実があるだけです。この事実を、どの時代のどの人種も
神がアプローチしてくださって、神と出会った人は、もれなく
受け取っているのです。
聖書に書かれていない人も、神がアプローチして来てくださったのです。中国語の漢字の中にイエシュアがされた業、その他、文字を見るだけで分かるような漢字です。
詰まり、同じ神の言葉、福音は、口頭で世界に伝えられていたのです。そして、それが文字として正式に与えたのが、シナイ山での
婚姻契約を与えたシャヴオートです。
それは、神の民となった人、イエシュア、子羊の血の代価を受け取った人だけ、花嫁に与えたのが、婚姻契約なのです。
神の言葉を生きて、太古はユダヤ人は義とされたと言う、聖書ではない聖書解説を捨ててください。誰一人、何かをしたから、購い、救い
新しい人を受け取るのではないからです。
神が一方的に来て下さり、神が永遠の中に既に成し遂げた事実
子羊の血の代価を信仰により受け取る人、もれなく神の元に戻った
事実があるだけです。
太古は、伝道集会や、文字で記された神の言葉は存在しません。
全て、口頭伝達の世界です。
今は文字として記された聖書、それが翻訳であっても少なくとも
手元にあり、何が書いてあるのか確認出来ます。
神の言葉に人間が手を加え、歪め、曲げ、変え続けるようなことを
ずっとして来たから、神の言葉に対して誤解が誤解を生み
雪だるま式に聖書とは違う教えが作られ、その結果プロテスタントは49000という数の宗派に分かれてしまっているのです。
人間が勝手に、神の教えを作り替えて、歪んだ聖書解説をし続けて
いるからです。
人の書いたものでも、勝手に書き換えないのに、龍の声は堂々と
それをやり続けているのです。
黙示録の最後に何と書いてありますか?
15:3彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌って言った、「全能者にして主なる神よ。あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります。万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります。
モーセの歌と子羊の歌を歌うとあるのです。
詰まり、神の言葉で約束されたこと、モーセが書き記した購い、
救い、それが、永遠の中に既にイエシュアにより完了されていて
地上で証明され、神の国が地上に到来する、それが書いてあるのです。文字で記されたこと、イコール、イエシュアの実態です。
文字そのものは人を救わない、殺すとあるのは、文字で記された
実態、それが内側にないなら、字面を読んでも意味がないからです。
勘違いした、聖書の読み方、ずれた読み方を、全て正して、
神は一貫して、神の言葉を神ご自身が否定することなど1度も人に
教えていないことを、知る必要があります。
人により記された神の言葉、その実態は、イエシュアである!
この翻訳も、誤解されている箇所です。神のモアデイムを人間が
破壊、変えて良いという根拠にされています。
しかし、この箇所は、黙示録90年代と同じ、偽教師、偽の教えが
氾濫していた時代なのです。
偽教師、偽の教えに警戒せよ!それを念頭に置いて読まないとなりません。
コロサイ 2:8 あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、
人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに
従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。
その他で語るように、苦行、天使崇拝、禁欲主義、結婚を禁じる
グノーシス主義、人の教え、言い伝えなどなど、グレコローマ哲学
思想、初代の西洋教父達の思想を擦り込む、偽教師が周りにいたのです。
当時の古代中近東には、休日などありません。ユダヤ人だけが、
シャバットや祭りで止まって休み、祝ったので、「ユダヤ人は相当の怠け者だ!」と異邦人、ローマ帝国下で批判されていたのです。
パウロが、神の食規定を破り、きよいもの、きよくないものの
区別もできず、せず、なんでも食し、そして、祭り、新月、
シャバットを祝わないことを、批判されるなかれと、パウロが言っている意味とは、真逆の解説をクリスチャン牧師、教師が施しているのです。
パウロが書いた意味を理解しない、事実から逸脱した解釈を施し
破滅を招いているとペテロが警告している通りのことが、起きているのです。
人に聖書ではない、聖書を曲げる間違った聖書解説をして、神の教え、モアデイムをないがしろにして良いという、龍の声を拡散しているからです。
コロサイl 2:16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、
あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されては
ならない。
2:17 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。
彼らが、神が創造されたモアデイムを祝うこと、その祭り、シャバット、新月で止まり、祝うことで批判されるなかれ!又は、
その祝い方で、色々口出しされるなかれ!と書いてあるのです。
そして、シャバット、新月、祭りとは、影であるとあります。
影、イコール劣るものではありません!
影目に見えない実態を映し出すシルエットです。
影=本体、同一!わたしを見たものは父を見た!とイエシュアが
言われたでしょう。それと同じです。
神が創造されたモアデイム、アポイントメントの日は、イエシュア
そのもの、目に目えないイエシュアの実態であると書いてあるのに、それを正しく教師が読み取れない問題があるのです。
それは、神の教えが廃れた!という大嘘を信じているから。
龍の大嘘、オリンピアローマの作り物の宗教を信じているから。
常にそこに戻るのです。その間違いの大元を、一掃根こそぎ正さない限り、聖書を正しく読めない、理解できないままになります。
神は神の深いところにある考えを、人の言葉で人に伝えているのです。その神の言葉を無効と捨てる人、適当に読み流す人には、神の
考えなど分からないまま、人間の教えとすり替えることをし続けるだけです。
そして、何が神の教えとずれているかも、気がつけないままになります。
影とは、実態と同じ。目に目えない実態を、地上でそっくりその通りに映し出す、それが影という聖書での意味です。
目に見えないイエシュア、イエシュアがされた業、性質、全て網羅する預言的祭りが、シャバット、新月、過越や仮庵の祭りであるとは
クリスチャンは全く理解していないし、いや教えられてもいません。
神が創造されたモアデイムを、イエシュアを信じます、愛しますと
いいながら、全く知らない、丸無視。
妻が夫との記念日を知らない、やらない、こんなこと普通ではない
とも、分からない。それは、龍の声、ローマが作った別物に
すり替えられた、混ぜ物宗教、主の名を使いながら、実は中身は
イエシュアが教えられたことではない、龍、獣を拝まされている
それをさせられているから、聖書に書いてあることが、分からない
イエシュアが教えたことを生きてない、イエシュアが祝った
シャバット、新月、祭り、未来永遠に祝われるモアデイムを
知らない、祝わない状態なのです。
自分の夫の与えた婚姻指輪を捨て、関係を表す印を捨て、隣の旦那に
もらったガチャポンで出てきた偽物の指輪をして、そして、隣の旦那が決めた別の記念日を祝う。
こんなこと、妻はしないと分かりませんか?それをやらされているのが獣、龍、オリンピアローマが作り替えたユダヤ人ラビイエシュアではない、西洋、偽物のイエシュア、龍が語る別物の教えと、その龍の
作った記念日なのです。
ソクラテス 、プラトン、サルトル、ニーチェグレコローマ哲学思想
西洋教父や、その他神学者は頭脳明晰、IQ高い人でしょう。
しかし、彼らはヘブライの世界、ヘブライ聖書をパウロのような
教師、ガマリエル、ヒレールのようなラビに学んだこともない
西洋宗教という人間が作った宗教の学問、神学を学んだことしか
ない人達です。
大元を正さない限り、聖書とは違う数々の教えを指摘しても、
巣にいる害虫、シロアリ、ネズミを根こそぎ退治ししないとダメなのです。
大体、人間が神の言葉を変える、曲げる、獣、龍の声を復唱している!これに気がつかない人には、大元の問題まで辿り着けません。