プロテスタントであり、モルモン、エホバの証人、統一教会とは
関係ありませんと宣伝しているのをよく見ます。
それら、逸脱した新興宗教団体とは関係ないという意味です。
しかし、神の教えから逸脱した、人間の作った宗教は、神の教え
実は、イエシュアが教えられたものとは、内容、本質的なもの、
一切関係のないものなのです。
モルモン教を作ったジョセフスミスはその後このようなことをします。
天使モロナイの訪れ(1823年)
「第一の視覚」から3年後、17歳のジョセフのもとに現れた幻です。
内容: 彼の部屋に光が満ち、「モロナイ」と名乗る天からの使者
(天使)が現れました。
メッセージ: モロナイは「神がジョセフに果たすべき仕事を与えられた」と告げ、近くの丘(クモラの丘)に「古代の住民の記録が刻まれた金版(金のプレート)」が埋められていることを示しました。
結果: ジョセフはこの金のプレートを受け取り、神の力によって翻訳したと主張しました。これが後の『モルモン書
(The Book ofMormon)』となります。
3. その他の重要な幻
モルモン教の教義が形作られる過程で、ジョセフ・スミスは
その後も数々の幻を見たと主張しています。
モルモン教だけではなく、偽預言をする牧師、再臨がいついつと
主張する人も、同じように神から特別な啓示を受けたと確信して、
再臨の日がいつとか、神の教えを否定する内容の書物を出版したり、発表するのですが、その出所は、神、聖霊ではなく別の霊であることは、100%証明されます。
神は、聖書に記されていないこと、真実ではないことで人を嘘で騙し、そそのかし、不真実な教え、生き方に人を導くようなことは
決してされないからです。
バプテスマのヨハネの訪れ(1829年): ジョセフと助手のオリバー・カウドリーのもとにバプテスマのヨハネが現れ、小バプテスマを
行う権能(アロン神職)を授けたとされる幻。
使徒ペテロ、ヤコブ、ヨハネの訪れ(1829年): イエスの古代の使徒たちが現れ、より高い権能(メルキゼデク神職)を授けたとされる幻。
カーグランド神殿での幻(1836年): 建てられた神殿の中で、
イエス・キリスト、モーセ、エリヤ、エノクなどの古代の預言者たちが次々と現れ、神権の鍵(権限)を託したとされる幻。
ジョセフ・スミスが見た幻の中で最も根本的なものは、1820年の
「父なる神とイエス・キリストが現れた『第一の視覚』」と、
1823年の「金のプレートの存在を告げた『天使モロナイの幻』」
です。
モルモン教では、これらの幻によって「失われていたイエス・
キリストのまことの教会が地上に再び復元(回復)された」と教えられています。
教会という造語は、使わないで欲しいですが、教会とは、建物では
なく、イエシュアに属する個人個人、人の事であり、その集まりが
群れカハール、エクレシアなのです。
教会と聞くと、建物を想像しますが、人なのです。
神の群れ、家族は、エデンの園、永遠の中から1つだけです。
これを2つに分断させているのが、人の思想であり、聖書ではありません!
教会という言葉は、聖書にありません!異邦人が編み出した造語。
それが、定番になり、教会、クリスチャン、新約時代など、
聖書とは違う思想、聖書にない概念、デイスペンセーション神学で、聖書を語るから、聖書に記された事実が、覆い隠されてしまっているのです。
時代ごとに変化、進化する、神、神の言葉、救い、購いの方法を
語るのが、偽教師の教えです。
時代は2つだけです。悪が統治する時代、そして永遠に神が
トラーに於いて世界を治める、修復された時代。
この2つしかないからです。物事を細かく分けて解説する、
それこそがグレコローマ西洋哲学宗教思想の解説であることを
覚えておいてください。ヘブライ思索と、全く違うのです。
誰かが、幻を見た、このようなことに人が惹かれるのは、
西洋哲学の特徴です。エクスタシー、体験を求めるからです。
不思議、奇跡、印を追い求めるとあるでしょう。
一般的に、誰かが天から啓示を受けたと言えば、このようなことは、普通の人でも、ズレている、おかしいと分かる事ですが、
今のように、牧師、教師、クリスチャンがグループを作り、
LGBTQ賛同という罪に皆を引き寄せているのがあります。
これは、聖霊から出た、神から出たものではないことを、理解しない人は、罪、悪霊の支配、自分の中に罪を招き入れる行為に賛同しているのだと、気がつかないとなりません。
罪を生きることを主張し、賛同する人は、聖書を神の言葉だとも信じていません。
いや、プロテスタントは、聖書信仰ですとか、聖書は誤なき完全な神の言葉ですと言いながら、実際には、そうは信じていませし、
神の言葉に対してそのような取り扱い、生き方もしていません!
その証拠に、同時にこう言うからです。律法は廃れた!という、
ローマが作った宗教を信じて、発表しているでしょう。
それが、どういう意味なのか、全く考えてもいないのです。
神の教えが2つある、又は神の教えが大分終了したという、大嘘を
あり得ないことを、信じて、神の言葉を捨てている、変えています。
人が生きていたら、体のある部分だけが、死にますか?
そんなこと、あり得ないでしょう。それをクリスチャンが、
神の言葉に対して、主張している。
正義の如く主張するのは、神が十字架で呪いの律法を破壊してくれたのに、その恵みを捨てる気か!古い教えに戻る気か!と何を
言っているのか、分からないまま、それを堂々と主張している。
無学で無知な聖書解説が施されている理由は、聖書を正しく学ばない
その教師に代々代々、聖書とは違う、第四の獣が作った宗教と
その神学を教え続けられて来たせいなのです。
聖書のある部分だけは、神の言葉と信じて、ある部分は終了、
廃れた、無効無用!と、人が判定し堂々と解説していますが、
そのように、聖書を正しく教えられない教師に、聖書ではない思想を刷り込まれているということさえ知らないのです。
アメリカの神学校では、大分以前、30年前以上から、20世紀に
デイスペンセーション神学のような、偽物、紛い物の神学が浸透させられ、その思想を信奉する教師に、聖書を正しく学ばないまま、
人の思想や、神学を学んだ、それが聖書教師の中心、実態です。
それがアメリカの神学校の実態だったのです。
だから、アメリカの神学校を出ても、ヘブライ聖書を、ユダヤ人のように精通し、教えることの出来る教師など、全然いない。
日本でも同じではないのでしょうか?聖書教師が、皆がヘブライ語聖書に精通し、ギリシャ語聖書にも精通し、ヘブライ聖書を毎週解説し、満遍なく神の言葉を教えることができて、それを生きている。
そして、イエシュアが教えたトラーを教え、イエシュアが祝われた
シャバット、新月、過越、仮庵を祝うい、教えている教師そんなのは、無いと思います。
そういうことをする人のことを、クリスチャンは、異端、律法主義者だと、敵視するだけです。
どっちが、偽物ですか?人間人造由来、それともイエシュアが教えられた本物のトラー、モアデイム?考えても見たことが、ないのです。
考えたら変な現象なのです。英語教師が、英語を知らない、
それが普通に受け入れられている世界。
それは世間では通用しないのに、宗教の世界では通用してしまうからです。聖書に何が書かれているのか、本当は知らない人に、聖書を
教えられしまったのです。いや、聖書を教えられたのではなく、
人の思想で解説する聖書解説を聞いたということです。
大分前から、そして流行病を境に、アメリカのメガチャーチから、
人がどんどん離れて行っていますが、今でも一方、行列が出来る場所もあります。その場所は、奇跡、癒しを売っている場所です。
その1つで癒しを謳い文句にしているメガチャーチがあるのですが、
人が来られた時に、アンケートや、その他入り口で話を聞いて、
それを牧師にあらかじめ伝え、あたかも透視した預言のように、
その人の病状や、今の問題などを当てて、人を騙している牧師が
います。
でも、今はバレていますが、このように偽のステージ、
役者、さくらをたくさん雇い、人を騙す牧師がアメリカには
無数います。それは、クリスチャンの人が多いからです。
アイルランド人ダービーが、ある少女が見た幻に感銘を受けて作り
出した思想が、秘密裏の再臨、空中軽挙でクリスチャンが
全員消えると言う空想ファンタジーストーリーです。
ハリウッド映画ストーリーです。黙示録も同じです。
この世の終わりの大惨事が書かれている〜と、疑いもなく信じて、
ヨハナンの黙示録の警告、預言は、はじめの愛を捨てた人たちへ
偽物の教えに同化、迎合、同調、シンクロしてはダメである!
はじめの愛=トラー=神の教え=契約=モーセの五書に記された
神が伝える生き方からずれず、しがみつき、そこから離れないで、
患難を乗り越えろ!と言うメッセージなのに、イエシュアの意図、
警告は全然伝わっていません。
1800年代、その時代まで見逃されていた真実、真理?
聖書記者、預言者、使徒、ユダヤ人にはそのような思想は、異物、
フォーリンなものなのです。
人の思想で編み出す聖書から逸脱した聖書解釈、解説は、1世紀後半
以降、使徒達がこの世界を去った後、正しく聖書を理解しない西洋
教父達により、神の言葉が自由自在に曲げ続け、破壊し続け、歪めた思想を編み出した、その延長線上でもあるのです。
神の言葉のハイジャック。ユダヤ人全て追放して、西洋風、フラダンス風に歌舞伎を変えるようなことを、やり続けて来たのです。
先ず、キリストが来られてキリスト教という新しい教えが初めて
伝えられた、古い教え=神の言葉を律法と呼び、律法が廃れた!
と言う、嘘、偽情報の誤解を解かないと見えません!
聖書は、モーセの五書、預言書、諸書だけなのです。
それらの中に、記されているメシア、イエシュアを残りの民は
待っていたのです。
ユダヤ人の中には、イエシュアの最初の到来、悩める僕、罪なき人が罪となり、神の言葉そのものが、肉体となって地上で人の間で生きることで、人が目えない神、言葉で表されたその通りを生きるイエシュアが真実だと証明されるために来られたのです。
その第一の到来と、二番目の到来は、獅子として来られる。
王の王、主の主、大祭司、世界を統治するお方として再臨される
この2つの区別がないまま、最初の到来でローマ帝国の迫害、
圧力、支配から、完全解放してくださる方と期待していたのです。
それが、いとも簡単に、ローマ帝国に、裁判も通さないまま処刑され
てしまい、こんな姿は、メシアではない!と判定した人達も多く
いたのです。
一方、当時イエシュアをタナックに記された約束のメシアであると
はっきり認識した人の殆どがユダヤ人だったのです。
その事実を頭から外さないで考えてください。
異邦人の中で、トラー、預言書に記されたメシアを待望していた人
はいないでしょう。なぜなら、トラーを知らない、イコール、
それが異教徒異邦人だからです。
ごく少数のトラーに親しんだ異邦人は、周りのユダヤ人の誰かにそれを教えられた、特殊な環境に居た人達だけです。
今でも分かるでしょう。クリスチャンで、トラーに精通し、生きて
シャバット、新月、過越、仮庵を代々祝って来たなんて人は、いません。
黙示録の7つの群れも、クリスチャン異邦人の教会などではありません。
教会という言葉も、聖書にはありません。原典にない言葉を、
造語にしたものだからです。
カハール、エクレシア、群れです。しかも、その7つの群れは、
現在の西トルコ周辺にあった7つの都市に住んでいたユダヤ人の
カハール、群れなのです。
空想で読む場合、キリスト教という新しい教え、ユダヤ教から
脱出した異邦人クリスチャンの7つの教会と考えていませんか?
黙示録には、そんなことは書かれていません。
聖書には、カトリック、キリスト教も書かれていません。
最初から、イエシュアは教えられているのです。
途中で神の言葉や教えが変化したいうのは、西洋人の思想であり
聖書ではありません!
そのような無数の聖書とは逸脱した思想が、20世紀のアメリカで、しかも牧師、神学校の聖書教師、伝道師に大人気となり受け取られ、人間の思想、見解、意見をあたかも聖書の如く、その解説を
聖書のページ、1つ1つの節に書き込んだ個人註解書であるものを
聖書として売り出したことにより、この偽物の思想は、アメリカ、
世界に、爆発的に受け取られ、浸透して行ったのです。
トラーを知らない人には、納得行く、アピールする思想だからです。
正しい聖書教育がなされないまま、エクスタシーを求める。
体験、現象、不思議、奇跡、癒し、印ばかりを求める世界。
それが、20世紀の特徴であり、今や衰退方向に傾く、宗教活動。
エクスタシーとは、体験主義、高揚感、体験それを今も求めて
偽物の教えが拡散させる場所に、行列を作って並ぶ人たちがいるのです。
主に出会う体験、イコール、エクスタシーを求める体験です。
特別な高揚感、不思議、奇跡、癒し、預言そのような目に見える
手に取れる体験を求めて、神が教える深い考えを知ろうともしない。
神の教えに根付いて、生きる、成長がない。
正しく学ぶ機会も与えられていないのです。
乳飲み子状態で、信じた後、生まれた状態から、正常に成長して行くには、神の言葉を知る、学ぶ、それがなければ、何を生きたら良いのか分からないまま、人間が考えるそれ、宗教を生きさせられてしまうのです。
それ以前に、2〜4世紀に異邦人により、神の言葉がキャンセルされ
曲げられ、変えられると言う大違反、罪が堂々と横行し、
その後4世紀に、それら、反ユダヤ、反トラー思想を土台とする宗教が
作られてしまったのです。
その宗教の思想に乗っている限り、神の純粋な言葉の理解はできないままになってしまうのです。
イエシュアが教えられたトラー=父の教え=はじめの愛とは程遠い
人間が作った宗教の教えを、異邦人は聞かされて来たのです。