聖書ではない解説を2世紀以降から西洋教父 偽預言者 偽教師によりされた | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

クリスチャンの間で、ポピュラーな定番の教え、儀式、宗教の記念日

皆がそれらが聖書であると疑わず信じている、実は聖書に根拠がない誰かの発想、人の作り物、創作話、思いつきであるのに、それらが

聖書の事実だと疑いもなく信じられ、浸透している数々の思想、

教えが無数にあります。

 

その代表例が、19世紀迄、誰もそのような聖書解説をしなかった

しかし、今クリスチャンなら皆、そう信じている仮説。

ラプチャー、空中軽挙。この言葉も、又説明が必要です。

創作話!!!!!

クリスチャン だけこの世の患難時代を逃れて秘密裏の再臨で

しかも聖書に書いてもない3度の再臨の二番目の再臨で、

クリスチャンだけが急に地上から消えて、空中に吸い上げられ、

永遠に天に消えると言う、これ、空想話ですが、これが聖書が語る

真実であるとされて浸透しています。

進化論と同じく、嘘でも、紛いものでも、騙しでも、一旦それが

本当と受け取られて浸透してしまうと、嘘だということに、気がつくのは大変なことなのです。皆が信じて、長い年月浸透したら、

取れないシミと同じになるからです。

 

しかも、空中軽挙で消えるという、その先の創作話は、父の花嫁は

ユダヤ人、ジーザスの花嫁はクリスチャン、ユダヤ人は永遠に地で、クリスチャンは永遠に天で、分裂して、天と地を治めると言う

創作空想話まで付いているのです。

これは、ユダヤ人でデイスペンセーション神学を信奉する人の

思いつき、発想、創作話ですから、目もあてらないのです。

聖書ではない!偽再臨預言をする牧師の思考回路と同じです。

聖書に書いてあることと、真逆を平気で解説して、多くの人を惑わす。

 

分裂家族???聖書、神が伝える事実、1つに修復する事とは

真っ向から相反する、神が造られた人の性質、神の性質、聖書から

逸脱した思想、神の性質、神が造られた人の性質とは相入れない

異物の生き方、性質です。

神の壮大な修復計画は、元に戻る。1つに修復、エデンに戻る!

天と地が1つになりイエシュアはエルサレムの父の家から、世界を

トラーで治める王の王、主の主、メルキゼデクの位の大祭司、

獅子であるイエシュアとして、君臨されるのです。

 

このような創作話、秘密裏の再臨、と3度目の再臨?

空中軽挙で患難逃れて、クリスチャンだけが天に吸い上げられる

地上から消えると言う、聖書に書いてもない、勘違いした空想、

創作ファンタジーストーリー。

聖書から逸脱した思想は、1800年代迄は、誰も考えたこともないもの、思いも浮かばないもの、話し合われたことなど無い、

非聖書的思想だったのです。

この様な発想は、一体どこから来たと思いますか?

神、聖書ではありません。

聖書を正しく知らない15歳の少女が重病で病の床に伏していた時に、彼女が見た、幻、幻覚、幻聴なのです。

 

偽預言者の特徴は、幻覚、幻聴を神から啓示を受けたと主張しますが、それは聖霊=神ではなく、その人の脳内で起きている幻聴、

幻覚なのです。

しかし、その人に取っては、それらの幻聴、幻覚は現実なのです。

レビー型アルツハイマーの人には、壁に無数の虫が這っているととか、部屋の中に誰かが立っていて、こちらに話かけているなど、

幻覚、幻聴とは対象がないにも関わらず、はっきりとした感覚が存在する症状があります。
幻覚には幻視や幻聴、幻触、体感幻覚などがあります。

 

啓示を神から受けたと本気で信じて主張している人は、頭部を怪我したり、長い間昏睡状態だったり、病気だったりそのような人が

目覚めた後に語る事が多いのです。

そして、生涯、何百というたくさんの幻を見たと人に伝えるのです。

しかし、騙されてはなりません!聖書が閉じられた後、聖書に登場する、聖書を記した預言者と同じ役割をする、預言者はいないからです。もしいたら、聖書を塗り替えられて、このような偽預言、

神の教えなどと、嘘を刷り込まれてしまうからです。

預言者のような、トラーを深く理解する洞察力、理解、知識がある

そのような教師は、どの時代にも存在しますが、その人達は、

まやかしを人に教えません!しかも、神の教えが廃れた、終了

キャンセルされた、人が時代ごとに解釈変えて良い!そんな大嘘を

教えるのは、聖書では、偽教師と判定されるのです。

神から啓示を受けたと確信する場合、妄想、思い込み、悪霊に伝えられたか、どれかです。神は、人に嘘を伝えないからです。

 

モルモン教の創設者も、幻覚、幻聴、又は悪霊に語られたのどれかです。

ジョセフ・スミスが見た最も代表的な幻です。

1)当時ニューヨーク州に住んでいた14歳のジョセフは、

周囲で様々なキリスト教派が互いに争っているのを見て、

「どの宗派が正しいのか」に深く悩んでいました。聖書のヤコブの

手紙1章5節(「知恵の足りない者があれば、神に求めなさい」)を

読んで感銘を受け、近くの森へ行って祈りました。

 

2)祈っていると彼の頭上に太陽より明るい光の柱が現れ、その光の中に父なる神と子なるイエス・キリストの二つの御姿が現れました。

 

3)一方の御姿(父なる神)がジョセフの名を呼び、もう一方を指して「これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい」と言いました。ジョセフが「どの宗派に加わるべきか」と尋ねると、イエス・

キリストは「どの宗派にも加わってはならない。彼らの信条はすべて

神の目から見て間違いである」と答え、初期のキリスト教会が失われた状態(大背教)にあることを告げました。

 

ここ迄の点ですが、4世紀にローマが作った宗教は、確かに

人造宗教であり、神の言葉を否定する、神に属するものではありません!聖書を記した、預言者や、そして使徒達が聞いて、学び、

生きていた神の教え=トラーを歪め、曲げて、キャンセル

変えたものです。

そしてそれが、ダニエル7:25で預言されている通り、

ローマ帝国が、4世紀に神のトラー=教え、言葉、契約を曲げ、変え

否定し、そして、神が創造されたアポイントメントの日、モアデイムを全て捨てて、別物を作り出した、それは預言された通り、歴史の中で起きた第四の獣が預言通りにした、神に対する大罪を行ったのです。

使徒達がこの世界を去った後、既に早速、トラーを知らない異教徒

上りの西洋教父達により、神の言葉を否定され、捨てさせられ、

変えた教えを施されてしまったのです。偽教師認定です。

ユダヤ人など、そんな紛いもの、偽物、神のトラー、契約を否定する生き方など嘘と分かるから、そんなものには聞かないし、

そのような西洋教父、ヘブライのトラーを教えられない教師を教師などと考えてもいないのです。

影響を受けたのは、ユダヤ人のように先祖代々、イスラエルの神の教え、トラーを全く知らない異邦人です。

その結果が今なのです。

人間ローマが作った土台が、神の教えをキャンセル、否定する宗教のどの宗派が正しいか?と考えても、全く意味がないです。

どれも、これも、人の思想が入り混じったものであり、人の思想で

分かれるから、色々な無数の宗派があるのです。

プロテスタントの宗派など、今や49、000あります。

神の教えだけ、イエシュアが教えられた父の教え、契約=はじめの愛

トラーだけに戻らないならば、結局どの道、偽物教えは、神の言葉を否定した所から、無限、無数に編み出され続けているからです。

大元、本当の間違いこそを根こそぎ正し直さないとならないのです。

 

神の教えを、人間が否定したその時点で、既にずれている!

聖書ではない教えは、無数に編み出され続け、今や罪が何かも分からない教師、牧師が人に罪を生きて良い!と教えているのです。

 

2)ジョセフ スミスが見せられたのは、神から見せられた幻ではなく、自分の幻覚、幻聴、もしくは悪霊、別の霊に見せられたものです。

3)初期のキリスト教会、これは元の意味を表さない不適切な翻訳

用語、言葉であり、その言葉を聞いていたら、意味不明な空想をしてしまいます。

クリスチャンの間で語られるような、「初期のキリスト教会」など

ありません。

クリスチャンが考えるのは、初期のキリスト教会、イコール、

古い律法、ユダヤ教が終わり、神の教えがキャンセル、終了し、

信じるだけで良い、恵で救われたのだから、その後古い教えに

戻るな!生きるな!と教えられるでしょう。

そして、その人達は、古い教えを捨てて、日曜礼拝に切替え、

クリスマス、イースター、聖餐式をしているなどと、考えていませんか?そんな記念日、儀式は、ローマが作ったものであり、聖書には

書かれていません。彼らは、イエシュアが教えたトラーを生きて、

シャバット、新月、過越、仮庵の祭りを祝っていた人達です。

彼らは、ローマ教の宗教など知らない、生きてもいません!

日曜が、主の日、聖日などと、考える人は、聖書には登場しない。

それは、ローマ教、西洋教父に聖書ではない彼らの思想、宗教を

教えられた人が、考えることなのです。

では、何を生きよと神に教えられていると考えているのでしょうか?

神の教えは、はじめの愛=モーセの五書=トラー以外にないのです。

クリスチャンが考えているような、人が神の言葉を分解し、捨て

破棄、終了させ、部分的つまみ食い信仰をするような、そんな違反

行為を神が教えてなどいません。

神の言葉を捨てる人には、神の言葉を捨てているから、神の考えを

人が理解する言葉で伝えているに、神の言葉を捨てる人には、神の

考えなど、正しく通じません。

白ヤギさんと、黒ヤギさんのお手紙交換状態なのです。

読まない、知らない、神に何を教えられているのか、本当は分からない。代わりに、人間が解説する、聖書ではない、聖書から逸脱した

思想が、聖書と思い込んでいるのです。

 

そして、日曜礼拝死守し、クリスマス、イースターを祝い、十一献金をし、宗教団体に加入し、メンバーになり、その団体の宗教活動、伝道活動、リーダーに忠実に従うこと、その他諸々の活動に参加すること、イコール、それが神を愛する、クリスチャンとしての生き方だと教えられているでしょう?

聖書には、そんなこと書いてもありません!

日曜礼拝、クリスマス、イースター、十一献金、ローマ帝国が

4世紀に創作した宗教の宗教活動をすること、それらは神の仰せでは

ありません!聖書に書いてもありません。

生きること、キリスト。イコール、神を愛する人は、神の与えた

はじめの愛=トラーを愛して生きる!と書いてあるのに、

ローマ帝国は、自由自在に神の教えを捨てよ!と教えたのです。

クリスチャンは、信じた最初からイエシュアが教えられた契約に

根付く生き方を教えられていない、知らない、だから生きていないのです。代わりにローマが作った宗教の実践、活動をしているのです。

ローマ教は、偽物の影を地上に映し出し、イエシュアの正しい影を

映し出さないものです。

 

使徒行伝、それ以降に記されているのは、昇天前後と変わらず、

モーセの五書、トラーを忠実に学び、生きていた人達のことしか

書かれていません。今のように、神の教えを捨て、否定し、

第四の獣が作った宗教を生きて、日曜を主の日、聖日などと言う

考える、実践する人は、誰もいませんでした!

どこで帰られたのか?考えれば良いのです。ローマ帝国の迫害

ローマの勅令、トラーを禁じ、4世紀、西洋という別の宗教を

作った!証拠があり、人間が預言通り、神の教えと、神の創造されたモアデイムをねこそぎ変えたからです。

1世紀のイエシュア信者、イコール、それはユダヤ人が殆どです。

その人達は、2世紀に出現した西洋教父達のような、神の教えを否定し聖書にない、別の教えや、日曜礼拝、神の教えを捨てて、別の新しい

生き方をしろと教える人たちなどではないのです。

 

イエシュアが来られて、キリスト教が教えられ、キリスト教会という

異邦人が主流、中心の群れが、教会という新しい群れだと、

聖書に書かれていない言葉で語るから、真実が覆い隠されてしまうのです。そのようなことは、聖書に書いてありません。

昇天以降も、全ての人は、変わらず、神の教え、トラー、はじめの愛、モーセの五書、クリスチャンの間で定番になっている、古い律法は廃れた!と言い続けている、その古い律法だけを生きている人の事しか、マタイ〜黙示録には、書かれていないのに、それが全く見えていないのです。

しかも、神殿がローマにより崩壊される70年迄、神殿の中では、

コルバンが日々捧げられ、シャバット、祭りも神殿を中心に行われていたのです。

そうです。第四の獣、そして2世紀以降の西洋教父達は、

人間であるのに、神の言葉を勝手に否定、キャンセルし、次から次へと聖書にない教えを編み出し続け、神の言葉と、神のシャバットや祭を作り替える大冒涜、違反、罪、神に敵対する、真実を偽物の教えで

すり替えた、聖書の定義では、反キリストが行う行為を、早々やり

始めて、一般の人に、偽の教えを伝授した、偽教師なのです。

 

クリスチャンは、異端異端と警戒して、モルモンやエホバ、

統一教会、その他を指摘しますが、異端思想、聖書ではない教えは

既に2世紀に西洋教父、そしてその後もローマ、司教、教皇、

西洋教父達により、人の信仰の中に、聖書ではない教えをふんだんに

編み出し続けては、浸透させて来た、そのことに注意を払うべきなのです。自分達の信仰の只中に、聖書ではない教えが、既に最初から

侵入していることに、気がつかないとならないのです。

既に浸透している、どこからどこ迄が聖書の事実か、どれが人の教えかクリスチャンは、区別、識別できないのです。

2世紀のイグナチウスのように、今と同じく、律法は廃れた!と

教える、聖書を正しく教えない教師だけが周りにいて、そして、

「クリスチャンは、シャバットではなく、日曜日を尊重しなさい」と、シャバットの主であるイエシュアを真っ向から否定することを

発言し、人に神の聖別された日を、汚すよう教えたのです。

そのような、無知な西洋教父に教えられてきてしまったのです。

日本で言えば、ヨーロッパやアメリカから来る、西洋宗教を教える

宣教師から、そう教えられたのです。

「人の子は、シャバットの主ある。」というイエシュアの言葉を

理解していないのです。

安息日、日曜日、そんな言い換えを、人間がするからです。

これが、どれ程の罪、神に対する冒涜、いや反キリストの発言を

代弁しているとも、全く気がついていないのです。

そして、ジョセフスミスはその後このようなことをします。

 
続く