神の言葉を悪いもの、廃れたものと思わせられ、密かに憎む気持ちを刷り込まれています。その証拠が、律法に戻る気か!恵を捨てた
古い生き方に戻るな!その発言こそが、イエシュアに敵対する行為
そのものであるのに、敵は人に何をさせられているのか気がつかないように、人を偽の教えで上手く騙し操作するのです。
エデンの園の騙しと同じ手口なのです。イエシュアを信じる人を
通して、イエシュアに敵対する偽の教えを、拡散させています。
全て、ユダヤ的なことに対する距離感、いやドン引き感、異物感
そういうものを知らない間に刷り込まれているのは、ヘブライではなく、西洋を刷り込まれているから、本物ヘブライが異物に聞こえるだけなのです。
神の神殿を憎む意識も、とことん刷り込まれていますが、
未来、イエシュアはエルサレムに戻り、ご自分の国、父の家、
祈りの家から、世界を王の王、主の主として、統治する時代が
来るのです。
このような未来預言を、西洋教父達は尽く、寓話であるとし、
その思想を引き継いだ人たちも、同じように信じて解説していますが、これが、未来起きます。
私も、父の家の一番親しい場所に招かれて、祝宴したいと思います。
イザヤ56:2 安息日を守って、これを汚さず、その手をおさえて、
悪しき事をせず、このように行う人、これを堅く守る人の子は
さいわいである」。
56:3 主に連なっている異邦人は言ってはならない、「主は必ず
わたしをその民から分かたれる」と。宦官もまた言ってはならない、
「見よ、わたしは枯れ木だ」と。
56:4 主はこう言われる、「わが安息日を守り、わが喜ぶことを
選んで、わが契約を堅く守る宦官には、
56:5 わが家のうちで、わが垣のうちで、むすこにも娘にもまさる記念のしるしと名を与え、絶えることのない、とこしえの名を与える。
56:6 また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人は――
56:7 わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈の家のうちで
楽しませる、彼らの燔祭と犠牲とは、わが祭壇の上に受けいれられる。わが家はすべての民の祈の家ととなえられるからである」。
56:8 イスラエルの追いやられた者を集められる主なる神はこう言われる、「わたしはさらに人を集めて、すでに集められた者に加えよう」と。
祈りの家、父の家=エルサレムの神の家、神殿のことです。
生贄は罪の為にするのではありません。分かりませんか?
これ未来預言であり、神の家、父の家、祈りの家に来た人たちが捧げるコルバンを神が受け取られると書いてあるのに、その意味が全く
通じないまま、神殿、生贄、悪い!と思うのが、クリスチャンの思想ですが、聖書に何が書いてあるのか、知らないからです。
彼らの燔祭と犠牲、これらは、正に廃れてなくなったと言い続けている「コルバン」のことですが、パウロが昇天以降、エルサレムの祭壇の捧げたコルバンのように、未来も、神の家、父の家の祭壇で、
燔祭と犠牲コルバンが捧げられるようになるのです。
そうすると、西洋宗教の聖書解説は、全く聖書とは辻褄が合わない
ずれた解説をしていることが、聖書に照らし合わせれば明らかになります。
しかも、全世界が、エルサレムの神の家に、祭りで上って来るようになる!と預言されています。
神が伝える事実は、神の言われたことを、寓話などと曲げる西洋教父の思想を信じる人には、全く通じないままになります。
ゼカリヤ 14:9 主は全地の王となられる。その日には、主ひとり、
その名一つのみとなる。
14:10 全地はゲバからエルサレムの南リンモンまで、平地のように
変る。しかしエルサレムは高くなって、そのもとの所にとどまり、
ベニヤミンの門から、先にあった門の所に及び、隅の門に至り、
ハナネルのやぐらから、王の酒ぶねにまで及ぶ。
14:11 その中には人が住み、もはやのろいはなく、エルサレムは安らかに立つ。
14:12 エルサレムを攻撃したもろもろの民を、主は災をもって撃たれる。すなわち彼らはなお足で立っているうちに、その肉は腐れ、
目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れる。
14:13 その日には、主は彼らを大いにあわてさせられるので、
彼らはおのおのその隣り人を捕え、手をあげてその隣り人を攻める。
14:14 ユダもまた、エルサレムに敵して戦う。その周囲のすべての国びとの財宝、すなわち金銀、衣服などが、はなはだ多く集められる。
14:15 また馬、騾、らくだ、ろば、およびその陣営にあるすべての
家畜にも、この災のような災が臨む。
14:16 エルサレムに攻めて来たもろもろの国びとの残った者は、
皆年々上って来て、王なる万軍の主を拝み、仮庵の祭を守るようになる。
14:17 地の諸族のうち、王なる万軍の主を拝むために、
エルサレムに上らない者の上には、雨が降らない。
14:18 エジプトの人々が、もし上ってこない時には、主が仮庵の祭を守るために、上ってこないすべての国びとを撃たれるその災が、
彼らの上に臨む。
14:19 これが、エジプトびとの受ける罰、およびすべて仮庵の祭を
守るために上ってこない国びとの受ける罰である。
14:20 その日には、馬の鈴の上に「主に聖なる者」と、しるすので
ある。また主の宮のなべは、祭壇の前の鉢のように、聖なる物となる。
14:21 エルサレムおよびユダのすべてのなべは、万軍の主に対して
聖なる物となり、すべて犠牲をささげる者は来てこれを取り、
その中で犠牲の肉を煮ることができる。
その日には、万軍の主の宮に、もはや商人はいない。
異邦人には、神の家、父の家、祈りの家という意味、感覚、感情、
愛着ゼロで刷り込まれ、それを悪いもの、廃れるべきもの
劣るものという、拒絶、憎む思想だけを刷り込まれています。
神の教えとは、真逆な西洋教父、哲学思想、物理的なものは悪い
霊的なものがより優れているとい思想を教え込まれたから、
神がこの世界を物理的に造られたのに、物理的、体も汚れている、
霊的なことの方が優れている、よりきよいから、体は悪い!と考えるのです。
未来、透明人間になるのではなく、新しい朽ちない物理的な体が
与えられるのです。
エデンの園は、物理的、霊的、天と地が一体出会った場所なのです。
そこに戻るからです。
西洋教父、西洋人、哲学思想に染まった人達。
16世紀に宗教改革があっても、根本的な問題は、同じままで
残りました。
オリジナル、本物、イエシュアが教えられた父の教え=トラーに
戻る生き方は、しないまま、今日迄来たのです。
2世紀、100年以降、西洋教父達の影響が、浸透して行くことになるのです。
グレコローマ哲学思想に染まった人達、神の言葉、教えを預言者、
使徒達のように厳重に受け止めない、理解していない人達の手に
神の言葉が渡り、徐々に人の思想という添加物を混ぜられて行った
形跡は明らかです。
神の言葉を変える、神の創造されたシャバット、新月、祭りを変える
このように神に対する違反、敵対を異邦人がした!だから、西洋宗教というものが4世紀に出来たということに、はっきり目覚めない限り、
混ぜ物の教えを受け入れ、エキュメル二カルOk、それが愛などと
とんでも無い勘違いをして、反キリストの行為を、キリストを信じながら堂々とやり続けてしまいます。
日曜礼拝とは、聖書、イエシュア、神の教えなどではありません。
神はその日をシャバットとして創造していない、聖別していない。
又は、昇天が日曜日?なので、その日を記念日としたと解説しますが
それは、人の主張であり、聖書ではありません!
いつ、誰が、神のトラーと、神の創造されたモアデイムを変えたのか?歴史の中で、誰がそれをしたのか明らかです。
神ではありません!ローマ帝国、皇帝、教皇、西洋教父達です。
神の言葉を無視、否定し、勝手な教えを編み出した人達!
神に対する違反を堂々とやる、罪が罪とも理解しない異邦人。
創世記2:1 こうして天と地と、その万象とが完成した。
2:2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての
作業を終って第七日に休まれた。
2:3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。
出エジプト 20:8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
20:9 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。
20:10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをも
してはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、
家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。
20:11 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを
造って、七日目に休まれたからである。
それで主は安息日を祝福して聖とされた。
出エジプト 31:12 主はまたモーセに言われた、
31:13 「あなたはイスラエルの人々に言いなさい、
『あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない。
これはわたしとあなたがたとの間の、代々にわたるしるしであって、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、知らせるためのものである。
31:14 それゆえ、あなたがたは安息日を守らなければならない。
これはあなたがたに聖なる日である。すべてこれを汚す者は必ず殺され、すべてこの日に仕事をする者は、民のうちから断たれるであろう。
31:15 六日のあいだは仕事をしなさい。七日目は全き休みの安息日で、主のために聖である。すべて安息日に仕事をする者は必ず殺されるであろう。
31:16 ゆえに、イスラエルの人々は安息日を覚え、永遠の契約として、代々安息日を守らなければならない。
31:17 これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。それは主が六日のあいだに天地を造り、七日目に休み、
かつ、いこわれたからである』」。
旧約聖書、キャンセルされたという教えを信じる人は、聖書を正しく学んでいない人、西洋教父の思想を通して解説された聖書では無い
聖書の教えを聞かされてしまった人です。
聖書には、神の言葉を、神ご自身がキャンセル、無効、破棄、又は
ある人種には関係ないなどと教える神のことなどは記されていません。それこそが、偽物の宗教の聖書ではない教えの聖書を読んでいるのです。
神は、シャバットは、第七日目であると宣言されました。
その日を汚すことは、死に匹敵するほど重たい、神はその日がどれ程
神に取り、重要であるかを人に教えているのです。
シャバットを後から、第一日目変更だ!などと、神は言い換えてもいません。言い換えたのは、西洋教父、司教、教皇、皇帝。
イエシュアが、シャバットをガードし、人に教え、当時の人の慣し
通り、トラーを朗読するために、シャバットに会堂に行った記録が
あります。
イエシュアが、いつ、日曜礼拝をせよ!と命じましたか?
命じていませんし、日曜日は、神が聖別された日ではない、普通の日
です。主の日、聖日という、聖書ではない宣言、神に対する偽証を
するのをやめましょう。
日曜日は、ローマ教の宗教の日と言い換えてください。
マタイ〜黙示録には、神のモアデイムは、レビ記23章に記された
通りの神のアポイントメントの日の暦通り、それを祝っていました。
聖書に書かれていない別の日は、国の記念日であり、聖書の中に
唯一、ハヌカの祭りがヨハネ11章に記されています。
それは、ギリシャ帝国、第三の獣がエルサレムの神殿を乗っ取り
豚の血で神殿中を汚し、神の聖なる祭壇に豚を捧げ、ゼウス神を
取り込み偶像礼拝の場として乗っ取ったものを、マカバイ兄弟一族が
弱い小さい軍隊で、このギリシャ帝国軍隊に戦いを挑み、勝利したことを記念した祭りです。
時期は、冬の時期であり、キリストの誕生日などという勝手に作った日に祝うクリスマスとは違います。
歴史の史実があり、そして、クリスマスやイースターのように、
元の祭りが、異教徒、異教神、女神の祭りを作り替えたまがいもの
混ぜ物の祭りではないものです。
聖書暦での第9月、キレブの25日です。
ハヌカの祭りと、クリスマスが近いのは、同じ冬の時期だからです。
1つは歴史の史実、戦争勝利を記念して祝われている、イエシュアも
祝われた祭りです。
クリスマスは、ローマ帝国が異教の神々の祭り、既存の異教の冬至の時期の祭りを、キリスト的に作り替えて、キリストが生まれた日がいつか聖書に書いてもないのに、勝手に
キリストの誕生日は12月25日という偽情報を作って、人に拡散させた
祭りです。今や異教徒までもがクリスマスを祝いますが、別の意味で祝っています。異教神の祭りならではの、サンタクロース、その他として
知られているのです。元の本物が異教神祭り、異教の神々が主役だから当然なのです。
シャバットが、神の創造された記念日であり、それを神の子らが皆
祝うように神が命じて、イエシュアも、使徒も、その他全ての神を
信じるユダヤ人が祝っていたのに、今日、なぜ、イエシュアを信じる
クリスチャンはその日を祝わないのでしょうか?という疑問を
是非考えた方が良いのです。
それは大抵、古い教え、旧約聖書は、律法で廃れたからだ!と、
聖書から完全逸脱した定番の答えを教えられますが、
それこそ嘘、偽情報なのです。