西洋宗教というものは、預言書で4世紀に第四の獣と呼ばれている
ローマ帝国、人間、皇帝の手により編み出された宗教です。
神から出たものでは無い、人間が作った宗教であり、聖書を利用しながら、人間の教えを土台にし、聖書では無い教えを通した、聖書解説
又は、神ご自身が伝える神では無い、別物の神を語る、
それが西洋宗教の思想、哲学、教理です。
宗教とは、人の思想が混入したものであり、聖書そのもの、純粋な
神の言葉、神の教えではない教えが入り込んだコピー品です。
似ているようで、違う。聖書を利用しながら、神の教えでは無い
聖書解説をしているのです。
ある部分の聖書の真理を語るので、その宗教の教えが本物と思いますが、神は人間が、神の言葉に付け足し、差し引きすること、変えること別物の教え=偶像=人の思想を混入させることを断固として禁じているのです。そのことに真っ向から違反しているのが、西洋宗教の
教理、教えなのです。
それの罪、ズレが、トラー、預言書に記されています。
イスラエルが辿ったズレ、罪を全世界の人、イエシュアを信じる人が
同じ罪を繰り返しているのが今の時代の実情なのです。
時代ごとに、人間の文化や風習や生活スタイルに合わせて、神の言葉を自由自在に変えて良い?とカトリックも、プロテスタントも解説します。
人が神となり、神の教えや、神のモアデイム、記念日を変えて良い?
神がそう言われたらそれが真理、事実ですが、神は人がそのような
ことをすることを、禁じています。
神のモアデイムは、シャバット「7」で代表して表されています。
それは、イスラエルの神が創造主である宣言、そして、神の民となった人達、これは血筋に関係なく、誰でもイエシュアを通して購い出されて神の元に引き寄せられた人全員、イスラエルの神の家族とされた人に与えられた「印」〜婚姻指輪であると神が言われたのです。
時代ごとに神の言葉と、神のシャバット、祭りを人間が変えて良い!
それこそが、聖書に無い思想、第四の獣、ローマ帝国の主張であり、
聖書、神の教えなどではないのです。
教会、律法、ルシファー、サタン、神殿に反キリストが立つ、
クリスチャンだけしか分からない方法で、極秘でキリストが再臨で
地上に来られて、空中軽挙でクリスチャンだけが永遠に天に引き上げられ、患難を免れる?
クリスチャンは、ジーザスの花嫁で、永遠に天を治め、
ユダヤ人は、父の花嫁で、永遠に地上を治める?
2つ分裂した家族が、聖書に書かれてもいないのに、書いてあるが如くに解説しているのが、人の編み出した神学です。
これ以外にも、無数に語られている一般に浸透している聖書解説や
聖書とは異なる思想は、実は聖書に何も根拠のない、人の作り話なのです。
神の言葉の真実ではないこと、嘘を本当と信じるのは、イワシの頭も信心からと同じであり、全く、虚無、騙しそのものを信じる無意味な行為なのです。
クリスチャンが語る最も一般的な思想や、又は実践で、聖書ではない聖書の記述から逸脱した教え、解説、聖書の事実、神の仰せや教えではないことがたくさんあるのです。
それが宗教文化、思想として定番の教えとして定着しているのです。
日曜礼拝も、クリスマスも、イースターもその代表です。
聖書に記されてもいない!それらは、神が聖別された記念日、呼び出し日でもない!聖書が完全に閉じられた後、4世紀、ローマ帝国、
人間が作ったものです。人間の作り物であり、聖書ではない。
では、神の前に何が罪、何がいけないのか、ダメなのか?
それは、神のモアデイムを救い主を信じる人が捨てている行為!
はじめの愛=神の教え、婚姻契約を捨てている!
これこそが、神が伝える罪であること、聖別を汚す行為であることが
はっきりと聖書に書いてあるのに、全く気がつけないのです。
そして、神が聖別していない日を聖日、主の日と呼ぶ偽証の罪!
日曜、クリスマス、イースターを神が聖別された日と発言、主張し続けること!
これは、偽証罪であり、神に対する冒涜行為、敵対行為そのものだからです。
それは、聖書ではなく、人の思想、第四の獣の嘘を信じているからです。神の教え、言葉が廃れたというのも、大嘘そのものです。
しかも、クリスチャンの間で浸透している教えや、スローガンは
神聖に聞こえるし、神の教えのように聞こえるものなのです。
Tシャツやマグカップ、その他のグッズに印刷されてもいます。
人へ送るカードへも書いたり、そのようなことをします。
ある部分は真実、他は間違った言葉、教え、聖書とは全く関係のないことを互いに語り合い、人に教え伝えあっているのです。
人の心、耳にアピールする心地良いけれど、実は嘘、不真実です。
神ご自身が伝える、神の厳しさや、クリアーに、偽物と本物、
神が聖別したものと、聖別していないものの境界線を敷いていることを見させないものでもあるのです。
人間が神の領域に入り込んで、神の伝える永遠不変の真実、言葉を
破壊する行為こそ、罪の根源、闇の大元でもあるのです。
問題は、真実の中に嘘が混入している。いや嘘の中に、神の真理が
点在している、それゆえ何が神の伝える真実なのか、見分けられず
人の教えで、神の教えが、汚され、破壊され、汚染されてしまうのです。
ことの始まりは、同じ、エデンの園の事件と同じです。
神の言葉を少し歪め、嘘を付け足し、人を神の真実、真理ではない
方向に向かせてしまうことです。
薬物に、毒、劇薬と書いてあれば、それを飲みませんが、偽物の教えが真実の中に混入していたら、それを実際に飲んでしまうのです。
自分の頭脳、思索、信条の中に、偽物という毒を取り入れて
そして、嘘を信じれば、その嘘は確実にその人の思索に歪んだ神の
教えをすり込み続けて行くのです。
食べやすい、飲みやすい、神の教えのような味、匂いがすると勘違いしますが、それらは嘘、偽物!人間の教えです。
しまいには、聖書に書かれていない、聖書が伝える神ではない、
別物の神に変えられた幻想、偽の神像を人の中に刷り込んでいるのです。
それが、変身する神!変化する神の言葉、教え!時代ごとに、
救い、購いの方法が違う!神の性質が違う!
怒りの神、恵の神というに面相の神。
怒りの時代=律法時代、恵の時代=律法が破棄されて人が主体で
神の言葉に頼らず、聖霊により生きる!という意味不明な解説。
聖霊=言葉、神の言葉は聖霊そのもの、聖霊により書かれた神の考えであるのに、正しく神の言葉を理解しない人の空想話を刷り込まれているのです。これらは全部嘘の思想を、本当だと毒物を飲まされているのということに、全く気がつかないだけです。
聖書に語られている闇とは、嘘、騙しのこと、それを信じて、神の教えを捨て、人が作った嘘を生きる、本来神が創造された人の生き方ができなくなることなのです。
神の言葉を正しく把握、理解するということは、神ご自身を正しく
知り、正しい関係の中に留まり、育むということに繋がるからです。
西洋人、ローマ帝国、人間が作り出した宗教、混ぜ物=神の教えを
覆し、神の言葉、教えは廃れた!終了!反ユダヤ、反モーセの五書
このような思想を土台とした宗教は、聖書ではありません。
イエシュアはユダ族のメシアであり、ユダ族ダビデの系図の王でありメルキゼデクの位に属する大祭司であるのです。
ユダヤ的なことを、心のどこかで拒絶、憎む意識は、第四の獣により
刷り込まれたものであることを自覚して下さい。
このような言葉が、聖書だと思っていませんか?
クリスチャンではない普通の人の間にも、浸透している言葉です。
「天は自ら助くる者を助く(神は自ら助ける者を助ける)」という
フレーズは有名な格言ですが、聖書のどこにも出てきません。
実際、聖書に於ける考え方は逆の方向を指していることが多く、
神は「助けのない者」や「謙虚な者」を助けるという点が強調されています(例:詩篇 121:1–2、箴言 3:5–6)。
このフレーズの本当の由来はどこから来ていますか?
この諺の根底にある考え方には古い歴史があり、この格言は、
何世紀にもわたって変化してきました。
イソップ寓話(古代ギリシャ、紀元前600年頃):
最も古い既知の形の一つは、寓話『ヘラクレスと御者』に登場します。ぬかるみに車輪がはまってしまった御者が、ヘラクレスに助けを祈ると、ヘラクレスはこう答えます。
「立ち上がって車輪に肩を当てよ。神々は自ら助ける者を助けるのだ。」
古代ギリシャ劇: 劇作家ソフォクレスは『エレクトラ』の中で、
「怠け者に向けられた格言など存在しない。天は自ら助ける者を助けるのだ」と記しています。
ベンジャミン・フランクリン(1736年): このフレーズが現代英語で広まったのは、ベンジャミン・フランクリンが自身の有名な刊行
物『貧しいリチャードの暦』に掲載したことがきっかけです。
「神は自ら助ける者を助ける。」
神を信じる人の間で、常にこのようなこと〜神の言葉ではないのに、
神の言葉とされたり、神の言葉が歪めらることがされているのです。
勝手な作り話、空想話、聖書とは外れた逸脱した、無数の聖書解説の
オンパレード。
神ご自身が伝える神像、神の教えや言葉ではなく、自分の考えの中で
勝手に編集、修正した神像を信じているのです。
自分に納得行く神像を、勝手に作り上げているのです。不真実!
自分の頭の中で、変形させ、飼い慣らされた神は、本当の試練に直面する時、又は判断をする時、何も役に立ちません。
神の言葉を捨て去る場合、それは神の意図とはズレたことを、選択
してしまうからです。
本当の神〜聖書の中に記された、神ご自身が紹介している神は
私達の空想、創造を遥かに越えたお方であり、素晴らしいお方です。
その神を、人間の思想という箱に閉じ込めてはならないのです。
その人が信じる神像、イコール、神の実態、真実とはならないからです。
神は耐えられない試練を与えないという聖書の言葉があります。
これは、1コリント10章にパウロが記した言葉です。
パウロは、モーセの五書、イスラエルが通った様々な出来事を通して
神が教えられていることを、解説しているのです。
そして、モーセの五書を解説する、預言書、諸書をパウロは抜粋して
語っているのです。
パウロは、自分の考えを人に伝えてなどいません。
パウロは、モーセの五書=神の教え=はじめの愛=イスラエルの神の
大家族の家訓、生き方=婚姻契約に記された生き方を解説しているのです。
1コリント 10:1 兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、
10:2 みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。
10:3 また、みな同じ霊の食物を食べ、
10:4 みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。
10:5 しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。
<イエシュアは、最初から教えられています!2000年前から
初めてイエシュアが人に教えられたのではありません!>
10:6 これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、
彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。
10:7 だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。すなわち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。(出エジプト32:6-8)
10:8 また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。(民数記25:1-9)
10:9 また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。
(民数記 21:5-6)
10:10 また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。
(民数記 14:2, 37 16:41)
10:11 これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。
10:12 だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。
ここに書いてある内容は、何ですか?黙示録の7つの群、カハール
ローマ帝国下、今の西トルコ周辺の都市に住んでいたユダヤ人の群れ
が直面した、皇帝崇拝、偶像礼拝、神の教えを捨てる!汚れた行為をする、きよくない動物を食する、そのような姦淫の罪、神の教え=
はじめの愛を捨て、偽物、第四の獣、ローマ帝国皇帝の指示する
偶像礼拝に交わる誘惑のことを書いているのです。
読めば分ります。
神は、人が避けられない誘惑に導くことはしない!
これらは、拒絶できる!それを、ここの箇所で書いているのです。
しかし、次の箇所をどう考えて解説していますか?