黙示録2章 イゼべル ヤラベアムの罪は同じ | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

黙示録 2:18 テアテラにある群れ、カハール(エクレシア)の御使に、こう書きおくりなさい。
燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った
神の子が、次のように言われる。
 
テアテラという都市は、エペソ、ペルガモンなどに比べると、
重要な都市ではなく、駐屯地、要塞、軍が行き来して、いつ襲われ
破壊されるのか分からないような、命の危険に晒されていた場所でした。
ヨハナンは、ローマ帝国が読んでも分からない暗号、トラー、預言書
諸書に記された内容を理解するユダヤ人しか分からない言葉で書いています。
しかも、ローマ帝国下にあった神話になぞらえて、実はイエシュアのことを語っているのです。
 
 アポロ・テュリムノス神は、戦いの神であり、
「馬にまたがり、戦斧(両刃の斧)を肩に担いだ荒々しい戦士」
燃える炎、ヘリオス、太陽神〜炎、これらは、ローマが信奉する神々になぞらえていますが、実は本当の神はイエシュアであることを
伝えているものです。
「神の子」というタイトルは、ローマ帝国下では、皇帝だけに与えられる称号、名であり、皇帝以外「神の子」と名乗れないのです。
そうすると、イエシュアが人の子〜神の子と名乗る、イコール、
皇帝に対する冒涜、挑戦であり、国家反逆罪であったのです。
 
黙示録とは、アポカリプス〜裏にある本物、誰が主権者であるのか
引っ剥がして暴くこと。
詰まり、ローマ帝国の残虐な迫害は、やがて神により完全に裁かれ
いずれ未来はそれは全て無くなることを、書いているものなのです。
しんちゅうとは、青銅です。テアテラに住んだ人は、熱い炉で青銅を
作る労働をさせられたのです。
ユダヤ人は、70年神殿崩壊後、110万が処刑、9000人が
ローマ帝国下の奴隷として、パンと同等の値段で売られたのです。
奴隷労働です。その人達の苦労、苦難を、主は知っている!という
奴隷貿易の場所に生きていた人達へ、励ましのメッセージでもあるのです。そして、彼らの労苦を労っています。
 
黙示録2:19 わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と
忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている。

 

しかし、次に叱責があるのです。

 2:20 しかし、あなたに対して責むべきことがある。

あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。

この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、

不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。

 2:21 わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、

悔い改めてその不品行をやめようとはしない。

 

不品行、性的不品行です。異教の神々、女神の神殿で行われる

多産の儀式、又は春の祭り、多産を祈願する神殿娼婦達と交わる

不品行です。そして、偶像にささげた肉〜豚など、きよくない動物を食べることです。これ、今では異邦人は、平気でします。

きよいもの、きよくないもの、神の教えを捨てる人は、神が何を教えて、何を警告しているのかの理解がないからです。

イゼベルとは、誰ですか?1列王記16章に記されています。

アハヴ王の妻です。それ以前16章の前に、何が書いてありますか?

 

1列王記16:19 これは彼が犯した罪のためであって、彼が主の目の前に悪を行い、ヤラベアムの道に歩み、ヤラベアムがイスラエルに犯させたその罪を行ったからである。

 

聖書を、人間が分断して読む違反的読み方はできないこと、神の教えが最初から最後まで同じことを話していること、黙示録の警告は、

トラー、預言書、諸書の警告をそのまま暗号で書いていることを

理解すること。

神の教えは、ローマ帝国が主張したように、変化などしていないこと

神の言葉を曲げないで、考えれば何が書かれているのか見えます。

 

ヤラベアムの道、罪、主の前に悪を行ったとありますが、

ヤラベアム王は何をしましたか?

ローマ帝国がしたことと、全く同じ本質の罪を犯しました。

これは、ダニエル7:25にあること全く同じ罪です。

黙示録の警告、そっくりそのままが書かれています。

元が、イスラエルが行った罪、ズレ、それらへの警告が、預言書

諸書、そして、黙示録にも書かれているからです。

 

ダニエル7:25
彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を
悩ます。彼はまた時とトラーとを変えようと望む。
聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。

 

「時とトラーとを変えようと望む」とは、神のトラー=モーセの五書

=イエシュアが教えられた父の教え=契約に根付く生き方と、そして

神の創造された時、モアデイム、アポイントメントの日を変える!!

これ、気が付かないとなりません。ローマ、ギリシャ、ペルシャ

バビロン、皆同じことを、ユダヤ人に強制しました。

このローマ帝国が作った宗教は、神の時と、神のトラーをかえることを望む〜そして、数々の神の教えとは異なる人間の教えを編み出し続け、そして、神のモアデイム〜アポイントメントの日、

シャバット、新月、過越、仮庵の祭りをことごとく廃止し、

その代わりに、別物の祭りを作りました。

 

それが、ヤラベアムの罪と同じで繋がっているのです。

ヤラベアム王は何をしましたか?

1列王記12:28 そこで王は相談して、二つの金の子牛を造り、

民に言った、「あなたがたはもはやエルサレムに上るには、およばない。イスラエルよ、あなたがたをエジプトの国から導き上ったあなたがたの神を見よ」。

金の子牛、エジプトの太陽神のシンボル、この言葉シナイ山の麓

最初に神から契約を受け取った時、モーセが天の中、山の上で神と

直接会っていた40日の間、モーセが戻らないので、見切りをつけて

金の子牛〜自分たちの慣れ親しんだ偽の神〜太陽神を神と見立てて

それが、エジプトから引き出した神であると、それらの偶像を

通して、イスラエルの神の祭りを祝ったと書いてあります。

 

出エジプト32:4 アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を

造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、

これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。

 32:5 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた。

そしてアロンは布告して言った、「あすは主の祭である」。

32:6 そこで人々はあくる朝早く起きて燔祭をささげ、酬恩祭を供えた。民は座して食い飲みし、立って戯れた。

 

ヤラベアムの罪は、最初から人の中に巣くっています。

エデンの園から同じ罪、ズレです。神の言われたことではなくて、

自分たちが考えついたことをする、神の教えを捨てる!これをローマ帝国もイスラエルの神を信じる人達に、強制的にやらせたのです。

それに迎合したのが、異邦人であり、今のような西洋宗教の実践。

それに抵抗したのがユダヤ人であり、神の教え=トラーに書いてある

実践をしているのは、結局イスラエルだけです。

今はもちろん、それに気がついた異邦人も悔い改め、神の言葉

教えに戻る人が続出しています。

考えたら分かると思います。なぜ、2つ別の教え、2つ別の記念日があり、異邦人とユダヤ人では別々の実践をやっているのか?

 

その理由は、ローマ帝国が作った聖書ではない教えの数々を実践し

神の教え=トラー=契約に根付く生き方を捨てて、西洋宗教を

やって来たからです。

1列王記 12:29 そして彼は一つをベテルにすえ、一つをダンに置いた。

<神の神殿、その中に祭壇が置かれるのです。その神殿、祭壇は

エルサレムの神の家の中しか、置いてはならないものであり、

ヤラベアムは神の教えに反して、ベテルとダンに神の家を作る違反をしました。>

 

12:30 この事は罪となった。民がベテルへ行って一つを礼拝し、ダンへ行って一つを礼拝したからである。

12:31 彼はまた高き所に家を造り、レビの子孫でない一般の民を祭司に任命した。

 

神の言われたことに反することをすること、それが、神が伝える罪の定義なのです。

神が伝える罪の定義とは、神のトラー=教えに反する行為の全てで

あると聖書に書いてある意味を、はっきりと理解しないとなりません。

まして、ローマ帝国がやったように、人間が神の教えを変え

神のモアデイムを変え、捨て、汚す行為は、最も重い罪であることが聖書には、ずっと記されているのに、伝統で継承された人間の教えや

記念日を代わりにやり、神の教えを捨てることが、恵の時代!などというローマが作った大偽情報をすり込まれてしまっているから、聖書に基づき、正しく考えることが出来なくなっているのです。

今や日本も、「聖書を信じる人は、愚か!」などという偽教師が

堂々と偽の教えを発信し、人を罪へ、誤りへ導き、神の教えから離れさせ、LGBTQ賛同などと、人を罪に取り込んでいるのです。

これは、アメリカは、もっとひどい!その大元は、人間が、神の教えは廃れた!関係ない!無用という大嘘を信じ続けて来た結果であり、

神の言葉が正しく教えられる教育がないこと!

これが、大きな要因なのです。

地上の祭司は、レビ族の男子であり世襲制です。その他の部族は

祭司にはなれません。神がそう決められたからです。

そして大祭司は、レビ族であり同時にアロンの家系の子孫、男子だけがなるのです。

イエシュアは、ユダ族です。しかし、天の大祭司、メルキゼデクの

位に属する大祭司であり、ユダ族、ダビデの家系の王なのです。

未来、大祭司は、イエシュアです。レビ族は、メシアが世界を統一、

治める時代が来るまでの、影〜代役だからです。

その代役は、イエシュアをそっくりそのまま地上に反映する、

詰まり、神が教えた通りの生き方を教え、生きることをするのです。

 

1列王記12:32 またヤラベアムはユダで行う祭と同じ祭を八月の十五日に定め、そして祭壇に上った。彼はベテルでそのように行い、

彼が造った子牛に犠牲をささげた。また自分の造った高き所の祭司をベテルに立てた。

12:33 こうして彼はベテルに造った祭壇に八月の十五日に上った。

これは彼が自分で勝手に考えついた月であった。

そして彼はイスラエルの人々のために祭を定め、祭壇に上って香をたいた。

ここに、ローマ帝国がやった同じ罪が記されています。

ユダで行う祭りとは何ですか?神が創造された都上りの祭りの1つ

エルサレムの神殿に上り、祝う祭りです。イエシュアも都上りで

過越の祭りでエルサレムに向かう時、両親から逸れた記事が記されているでしょう。それです。ルカ2:41−52

春の祭りは、イエシュアの最初の到来でもあり、永遠の中に屠られた

子羊の血の代価が、真実である証明をされるために地上に来られ、

過越の祭りの日に、裁判も行わず、不当にローマ帝国の法の下、

処刑されました。そして、復活され、昇天されました。

それらが過越の祭りの一連で、最初から教えられているものです。

1)子羊の血を鴨居に塗り、贖いの代価を支払い、偽の主人の束縛の鎖が切断され、エデンから飛び出た外側、神と離れた場所に閉じ込められていたのを、父の元に、イエシュアにより引き戻された。

墓場〜イエシュアの死=水により死に伏して、子宮=哀れみ=レへン水により新しく生まれた。

新しくされている事実は、種無しパン、そして初穂=イエシュアに

連なる人にされたことで、表されています。

そして、その7週後、花嫁=神のものとなった人に、正式に婚姻契約法的拘束が共なう正式契約文書であるトラーを与えられた、それが

シャヴオートの祭りです。それらが、春の神のアポイントメントの日

 

秋の祭りの一連は、神の再臨を表す未来預言でもある祭りです。

1)角笛を鳴らす日、王の到来、戴冠式を思わせる日

2)その日から10日間、神のトラー、10の言葉に照らし合わせて

ずれて生きていた全てを振り返り、神の教えに戻る軌道修正を

神の民、全員がする期間です。

そして、10日目が、大贖罪日、主の裁き、主の日です。

そして、それから5日後が、仮庵の7日間の祭り。

イエシュアの中に荒野で住んだ。そして、永遠に朽ちない体、固定的神殿で表されるのと同じく、永遠に神と共に住まう時代に入る、

それが秋の預言的祭りなのです。神が創造された祭りは、

全てイエシュアの業を網羅しているものであり、人の人生のサイクルはモアデイムをめぐり、神に教えられ、新しくされた人で成長する

サイクルなのです。

聖書の暦では、秋の祭りは第7の月の15日から、仮庵の祭りの7日間が始まります。そして最後の日が、第8日目の祭りとしてプラスし

それが、イエシュアの永遠の統治に入ることを表している日でも

ある、それを、ヤラベアムが勝手に7月から、8月に変えたのです。

 

これを、ローマ帝国のやった同じヤラベアムの罪に照らし合わせると

見えます。

ローマ帝国皇帝は、第7日目のシャバットを、第一日=日曜日

皇帝崇拝、太陽神崇拝、土着宗教に馴染んだ異邦人にすんなり受け入れられる日に、皇帝崇拝中心の日に、切り替えました!

これが、神の伝えるヤラベアムの罪です。

神の創造されたものを、人間の思いつき、考えで別物に変えること!

これを、ずっとし続けているのに、全く気がついていないのです。

そして、新月、春の祭り、過越、種無しパン、初穂を変えた。

過越、種無しパン、そして、秋の祭りを全部捨てた!

初穂の日を、既存の多産の女神の祭り、イースター女神という名の祭りに変え、その日も神の暦ではない、異教の神々の祭りの日、春分の満月に合わせたその満月の最初に来る日曜日、イースター、復活祭とローマ帝国が勝手に変えたのです。

神が創造された日は、イースター女神の名ではなく、「初穂」

ビクリムという名の祭りなのです。人間が神が創造されたものを別物に変えてはダメということが、理解出来てないのは、神が今はいつでも、人間の考えで、神の教えと、神の祭りを変更して良いと言っていると聖書に書いてもないことを信じているのです。

ローマ14章、コロサイ2、1コリント16、 使徒21などが、

その代表で使われるでしょう。

それらの箇所の聖書解説は、100%間違いです。聖書に書いてもない、勝手な読み込みと、間違った聖書解説をしているからです。