黙示録2 イゼベルとは | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

聖書を正しく教えられていない、正しく学べない、神の教えは廃れた、今は関係ないから、参考程度に、ある箇所だけを取り出して読むという読み方をクリスチャンはしていますが、それでは聖書に何が

書かれているのか見えません。

人の書いた書でも、ある箇所や、ある章だけ取り出しても、

全体を読まないで、文脈から逸脱したら、何が書いてあるのか、

読み取れません。

ある箇所を取り出して、人の教えを解説する、それが西洋宗教の

聖書解説です。

そしてマタイ以降しか読まないのが一般的、普通ですから、

そこに書いてある意味を、多大に誤解、空想で読み込みしているのです。

これは、別枠ですが、女が教えてはならないと書いてあるその裏に

あるギリシャ語の言語、何の言葉が使われて、どういう事情が

その群れにあったのか、知らないまま読めば、女性は教師になれないという、間違った解釈をしているのです。

それならば、神は、女預言者など立てません。

とにかく、勝手な読み込みの聖書解釈で、神の言葉を曲げて解説していることにも、全く気がついていないのです。

 

しかし、今や注意深く聖書を学ぶ、言語から学ぶ異邦人が出て来ているので、今迄浸透して来た、人の思想を通して間違った聖書の読み込みを、ただしている解説が出て来ているのです。

宗教の世界は特殊です。一般の世界なら、学ばないで何かを教えるということが通用しないのに、宗教の世界は通用してしまうのです。

しかも、学んでいることが、聖書に記されたオリジナルは学ばず

人間が作った宗教〜ローマ教とそのローマ教に照らし合わせた、人の教理を神学校で教えられてしまっているのです。

聖霊が教えてくださるという場合、大前提があります。

神の教えが変わった、人が選んで良いという間違いを前提とする

それは、聖霊が記された神の言葉ではないから、間違った解釈

ズレた生き方に導くものです。

書かれている意味通りに、まず知る!神が伝えている通りの中では

あれも、これも、それもあるということが見えてくるのです。

人が神の言葉を変えて良い、廃れたと言い続けるのは、ローマ帝国

皇帝崇拝から来ているのです。

人間が、神の座に座り、神の権威を盗んでいる!ということに

気が付かないとならないのです。

自分が分からなくても、神が言われることが正しいという理解がないなら、それは肉の目で、自分が神になり代わり判定者となり、勝手に神の教えを仕分け続け、自分に都合の良い教えだけを取り入れて、

神を都合の良いように利用し、神が伝える神との関係に入り、

それを大事に育むということが、無くなります。

だから、世界はズレてしまっているのです。

神は人間に、神の教えや神のモアデイムを勝手に変えて良いなどと言われた事は、1度もないどころか、そのようなことをすることは

死に匹敵する重たい罪であり、神の前に大冒涜、敵対する行為であり

聖別を汚す行為であると教えています。

イスラエルが、神の契約を破り、シャバット、祭りを汚し、神が

大事であると教えたことを、ことごとく捨て、異教の神々の教えと

交わり、不品行をし、きよくない動物を無差別に食する。

異教徒と何ら変わらない生き方をしたのです。それが罪。

それで、預言者に警告されたのです。

神の教え=トラーに戻れ!と言われた、それが気に入らなくて、

イスラエルは預言者をことごとく殺しました。

神の教えに戻れ!その警告が気に入らない!

これは、今の西洋宗教を教えられる人も、全く同じでしょう。

古い教え、悪い、人を縛る律法に戻る気か〜!この思想、誰に教えられたと思いますか?ローマ帝国であり、神ではありません。

神は、神のトラーから、右へも左へもそれるな!寝ても覚めても

神のトラーを思い巡らし生きて、子ども達に教えよ!と伝えているのに、全く通じないまま、ローマ帝国の教え、神の教えは廃れた!

という教え、ローマ教の宗教活動の教えを、教えられてしまっているだけなのです。

神は、神の教え、契約を破ったイスラエル、神の教え、トラーを

正しく教えるはずの祭司達が、神の教えを正しく教えず、

きよいもの、きよくないものの区別をせず、神のシャバット、祭りを汚し、神を汚している!と何度も何度も警告しているでしょう。

それが、黙示録に書かれた警告でもあるのです。

 

聖書を書いてある通りに読めば、シャバットは日曜日に変更などと

どこにも書いてないのです。ローマ帝国が、神に対する違反、冒涜をして、勝手に変えて、それを世界に広めただけだからです。

聖書に書いてもないことを、あたかも書いてあるように語るのが

西洋宗教なのです。嘘でしょう、嘘!の教えなのです。

西洋宗教は、ある部分は、聖書の事実でも、聖書に書いてある本当に狭い範囲しか教えていません。

黙示録の最後に至るまで、神の教え=トラー=契約は変わっていません。その証拠は、聖書に書いてある通りだからです。

しかも、黙示録の警告は、ローマがやった犯罪、神の教えを塗り替え

彼ら皇帝と皇帝の為に存在する異教の神々、女神を崇拝すること。

そして、多神教なので、それにカトリックが加わっただけです。

その中身は、異教の神々、女神の思想、偶像、記念日がふんだんに

混ざり込んでいるでしょう。

プロテスタントは、それら偽物の教えから決別したと考えていると

思いますが、本当の問題の根=神の言葉、教えを人間が変えた!というところを軌道修正、正されていないのです。

思想、信仰の土台が、同じ思想〜神の教えが廃れ、新しい別の教え、人間が自由に選べる、今はいつでも安息日などと、神に対する冒涜を平気で言い、実際に神の言葉、教えを捨て、神のモアデイム全て

捨て、代わりにローマが作った日曜礼拝、クリスマス、イースターと聖書にないもの、人間が作った記念日を通して神を礼拝すること

OKと考えているのです。それを神が許可していると、聖書に書いてもないことを、書いてあると解説しているのです。

しかし神の警告は何ですか?

神の教え=契約を捨て、神のシャバット祭りを汚す行為、それらは

神の目に完全にNGであることが、黙示録の最後までずっと記されているのに、全く気がついていないのです。

偽の教えは、闇そのものです。闇とは、嘘偽の教えに騙されること

それが、聖書では闇と書いてあるのです。

光〜神の言葉が伝える性質通りを生きること、それが光であり

イエシュアそのものなのです。

ユダヤ人が約束のメシアに気がつけないのはなぜ?と考えるなら、

なぜ、クリスチャンは、神の言葉が変わらない。イエシュア=聖霊=

神の言葉=トラーと聖書に書かれている事実に気がつけないのか?

同じ闇なのです。

 

どれ程神が、人が神のシャバットを汚すこと、シャバット、イコール

それは神が創造された記念日全てを神の子らが祝うことです。

シャバットこそが、神の創造、神が創造主であり、神の民全てに対して与えた婚姻指輪である!それが、分からないから捨てて、

本当の夫ではない、隣の旦那にもらった、別物の偽物のダイアモンドの指輪を代わりにしているのです。

 

エゼキエル20:16これは彼らがその心に偶像を慕って、

わがおきてを捨て、わが定めに歩まず、わが安息日を汚したから

ある。

20:20わが安息日を聖別せよ。これはわたしとあなたがたとの間の

しるしとなって、主なるわたしがあなたがたの神であることを、

あなたがたに知らせるためである。

20:21しかしその子どもたちはわたしにそむき、わが定めに歩まず、人がこれを行うことによって、生きることのできるわたしのおきてを守り行わず、わが安息日を汚した。そこでわたしはわが憤りを

彼らの上に注ぎ、荒野で彼らに対し、わが怒りを漏らそうと思った。

 

20:24これは彼らがわがおきてを行わず、わが定めを捨て、

わが安息日を汚し、彼らの目にその先祖の偶像を慕ったからである。

22:8 あなたはわたしの聖なるものを卑しめ、わたしの安息日を

汚した。

22:26その祭司たちはわがトラーを犯し、聖なる物を汚した。

彼らは聖なる物と汚れた物とを区別せず、清くない物と清い物との

違いを教えず、わが安息日を無視し、こうしてわたしは彼らの間に汚されている。

神の教えを教える人が、きよいものと、きよくないもの、神の教えと

人間の教えの区別がない!これが問題であると書いてあるのです。

聖書は、西洋宗教が語るように、2つに分断された教えや、人間が

神の言葉を時代ごとに合わせて変えて良いなどという寝言、戯言など記されていません。

カルト、異端と警戒するならば、神の教えとは違う教えを、断固として拒絶、警戒しなくてはならないのです。

その一番の大元が、神の教えが変化した!廃れた!関係ない!終了!

十字架で処分された!これこそが、異端思想そのものであり、人を

神の言葉から遠ざけて、別物を追い求めさせる闇なのです。

イスラエルは、異教の神々の教えや儀式、記念日に交わり、

それらを通して、イスラエルの神を礼拝できない、近づけないことを

厳しい訓練、捕囚を通して教えました。

交わる〜これ、交わる、迎合、同化、シンクロ、妥協、エキュメニカル、何と呼ぼうと、神の教えとは違う物を取り入れて、それを通して

イスラエルの神に近づき、神の教えを捨て、神が禁じていることを

する!それは出来ないということなのです。

道徳的なことなら、神を知らない人にも分かるでしょう。

神を知らない人でも、神の性質〜DNAで造られているからです。

プラス、普通の常識、道徳心、良心では知り得ないことが、

神に聖別された人の生き方なのです。

神の言葉を廃れた!という人は、その場で既に、神の言葉から

意識が離れる思考回路になっているのです。

そして、自分が考える、自分に馴染むことだけを取り入れて、

勝手に自分教、自分の聖別を生きることをするのです。

聖書は分厚くて、色々書いてありますし、やはりその中に書かれて

いることは、書かれた言語の意味、そして、その時代の様々な情報が

ないと、空想で読み込めてしまいます。

しかも、翻訳聖書なので尚更、何が書いてあるのか、正しく読み取れない箇所は、無限にあります。

しかし、簡単に言うと、神が言われたことを、分からなくても

そうだと認めて、受け取り、それを生きること。

そうして、神の言葉を正しく教えられれば、その意味がだんだんと

分かって来るからです。

それらは、全て神が創造された人の生き方そのものであり、

そこからズレるから、破壊されるのです。

ヤラベアムの罪は、ずっと記されていますね。何度も何度も何度も、

ヤラベアムの罪とあります。

それが、ローマ帝国がやった罪でもあります。

神の言葉、トラーを変え、神のモアデイムを変える大罪がそれです。

そして、神の教えを離れると、必ず様々な罪、特に不品行が侵入しているのです。それは、異教の神々の教えは、不品行をする、不品行の祭りをする、子どもの命まで、偶像の神に捧げるなど、おぞましい

行為をするのが、異教の神々の教えだからです。

異教の神々など本当はいません!それらは、全部人間の思想。

しかも、その究極が、命を神の捧げる犠牲なのです。

悪魔崇拝です。

1列王記16:29 ユダの王アサの第三十八年にオムリの子アハブが

イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年

イスラエルを治めた。

16:30 オムリの子アハブは彼よりも先にいたすべての者にまさって、主の目の前に悪を行った。

イスラエルの王はユダ族です。イスラエルの国を、正しく治め、

そして、国民を保護する役割がある人であり、トラーを正しく

生きないとならない人なのですが、そうではない人が、王になると

イスラエルという国自体が、不安定になったのです。

悪を行う人、どの国のリーダーもそうですが、一旦ズレたら、

自分のために、何の悪でもしてしまう、そのようなものに巻かれてしまうのです。

16:31 彼はネバテの子ヤラベアムの罪を行うことを、軽い事とし、

シドンびとの王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、

行ってバアルに仕え、これを拝んだ。

16:32 彼はサマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を

築いた。

16:33 アハブはまたアシラ像を造った。アハブは彼よりも先にいた

イスラエルのすべての王にまさってイスラエルの神、主を怒らせることを行った。

 

軽いこととし〜神の教えが廃れた!という軽いことを、している。

黙示録の書かれている「イゼベル」とは何をした人ですか?

バアルとは異教の神です。

嵐と、多産の神です。嵐とは、雨をもたらし、豊潤、収穫をもたらす

からです。異教の神々に対しての、雨乞いの儀式はどの国の宗教にもあります。そして、多産の神。それが、アシェラ女神です。

太陽神も色々別々の名があるように、アシェラ、アシュトラ、

イシス、イースター、色々な名がありますが、元は同じコンセプト

女神なのです。

バアルの妻が、アシェラです。この概念をイスラエルも取り入れて

古代ユダヤ人の遺跡、ユダヤ人の町の入り口に、バアルとアシェラに

ちなんで、イスラエルの神と、アシェラ像をセットで作ったものがあります。

詰まり、このように、異教の神々のしきたりや思想を、取り入れて

偶像設置をする罪をしていた証拠が残っているのです。

イゼベルがしたことは、

偽の神を広める: 自分の国の神である「バアル」をイスラエルに

持ち込み、多くの人に拝ませました。

預言者を殺す: 神の言葉を伝える預言者たちを迫害し、多数殺害しました。

ナボトのぶどう畑を奪う: 夫のアハブ王が欲しがった土地を手に入れるため、無実の農民ナボトを偽証罪で告発して処刑し、土地を強奪しました。

最期: その後、神の裁きにより窓から突き落とされ、犬に食べられて

悲惨な最期を迎えました。

ここまで露骨に、異教の神々崇拝を取り入れていなくても、

異教の神々、女神のどんな要素も、儀式も、記念日も神の教えの中に

実践、生活の中に取り入れてはならない!という理解が、異邦人にはないのです。

キリストという名がつけば、何でも無差別にOKしているのです。

罪が侵入するのは、戸口に迫った罪を全部追い払わないからです。

ローマ帝国の作った宗教は、土台が既に偽物の教え=罪が

混ざっているのです。

1)神の教えが廃れた!という偽の教え

2)神のモアデイムを捨てて、異教の神々、女神の記念日を作り変えたものに、すり替えた罪

3)そして、神の教えを捨て、神の創造された本当のアポイントメントの日を全て捨てた!

 16:34 彼の代にベテルびとヒエルはエリコを建てた。彼はその基を

すえる時に長子アビラムを失い、その門を立てる時に末の子セグブを失った。主がヌンの子ヨシュアによって言われた言葉のとおりである。

黙示録を読んでも、トラー、預言書、諸書に記された意味を知らないなら、何を警告されているのか気がつけません!

ヨハナンの警告は、代々このように神の教えを捨て、混ぜ物の教えに

交わり、不品行、異教の神々のしきたりや記念日、儀式を通して

イスラエルの神を礼拝した、それが偶像礼拝の正体なのです。

混ぜるな!と警告されていても、最初から大元が混ざっているから、気がつけないだけなのです。