黙示録には、この世の終わりの大惨事が記されていると教えられて
殆どの人は、黙示録はこの世の終わりの大惨事の預言が描かれていると、疑いもなくそう考え、捉えているでしょう。
もし、著者本人が現れて、その間違った前提、誤訳、解釈の全て、
世間一般に解説されている事とは違う内容を、著者の意図通りに
直に解説され直され、教えられたらどうなるのでしょう?
今迄の固定概念、偏見、憶測、空想、思い込み、決めつけ、それらの
定着した既存の「物の見方」「前提となる枠組み」「常識」を
根底から、正す必要があるのです。
第一に根本的な本当の問題、本質は、聖書を読む前提がずれて
しまっていることにあるからです。
土台が、神の教えを人が作り変えた、削除、排除、破棄したという
皇帝崇拝を第一としたローマ帝国の思想と、その勅令を受け継いで
作ったローマ教という宗教であり、それら全て純粋な神の言葉ではないからです。
昇天以降は、神の教えが十字架で処刑され、破棄され、なんでも人が決めて、神の言葉を付け足し、差し引き、選別して良い。
今はいつでもその人が考える日が安息日とか、人の考えでLGBTQに
賛同し、それを支援し、自分もそれを実践して良いのだと、
もしも、もしも、神が言い換えたとしたら、それこそが、聖書には
記されていない、人間の空想、偽物の神を語っているだけであり、
偶像礼拝そのものを、人に教えているものなのです。
聖書を書いてある通りの意味で正しく学ばず、神の語る意図を捉えず、理解しない場合には、聖書の真実を語っても、人間の教えで曲げられた思想を刷り込まれて行きます。
神があれ程厳重に、神の教えの一点一画も変えるな!と言いながら
昇天以降は、変身して、今はなんでも人が考える通りで良いと
言うような神ならば、それは、姦淫の罪を許す、いい加減な夫です。
聖書を読めば分かりますが、神の契約=教えから外れて生きること、神のシャバット、祭りを汚すこと、聖別を汚す行為、生き方、
レビ記11−27に記された神の性質通りの人の生き方を破る生き方に対して、どれ程厳しく、神の口から直接人々へ言及しているのか、
分かっていないのです。
イエシュアが来られて、厳しい教えが神の手により消されて、
楽に生きれる時代が来た?
そんな戯言は、ただの1つも聖書には書いてもありませ。
こんなズレた思想、考えに基けば、聖書に記された教えは、
全部無意味になることが、理解できないでいるだけです。
神の言葉は、丸ごとで1つ、他の教えはありません。
そして、クリスチャンが語るように神の言葉は、分解できません!
人の体を分解できないのと、同じと考えたら分かるはずです。
分解して、捨てたり、別の教えという臓器移植をしたら、その人の
体は、正常に機能しなくなるのです。
機械、パソコン、その他の製品の部品を分解したら、正常に機能しなくなるでしょう。それと同じことを言っているのです。
なぜなら、エデンの園の最初から、神の教え、言葉、警告は全く
変わらず、全く同じだからです。
神の教えから、右へも、左へもそれるな!ずれるなかれ!神の言葉に根付き生きて!それは、聖霊に浸り、満ちて生きることであり、
安全に守られる鎧兜、要塞だからです。
神の教えを捨てる場合、それは、「耳なし芳一の耳」、
もちろん、偽物の神々のお経など頭に入れませんが、この例えは、
神の言葉は聖霊=神=イエシュアであり、神の性質通りを生きる鍵であり、それが人を守るのです。鎧兜を被らない、要塞の中にいないなら、敵に侵入されるのです。
自分の性質とは、違う生き方をするから、傷づく、他者を傷つける、
破滅、破壊、崩壊する。
そしてズレ=罪が神と人との隔たりを作るからです。
こんなシンプルなことなのに、自分を守る神の言葉=聖霊を
廃れた古い人を縛る教え!神の教えを捨てよ!こんなことを発言するのは、神の言葉教えが、どんなに麗しく、蜜より甘いと詩篇の記者が言った意味が全く理解できていないからです。
知らない間に神に敵対する意識をがっちり植え込まれています。
偽の教えは、信じる者の中に、ぬるぬると音を立てず、ずっと侵入、潜入し続けているのです。
言葉=聖霊=イエシュア=神であることが、聖書に書いてあるのに
それが見えないからです。
神の言葉に敵対する嘘を、信じた最初から刷り込まれているからです。エデンの園のあの声が、常に頭の中にある。
それは、騙しと分からないように、半分嘘、半分本当。
しかしそれが、神の言葉、教えから意識を反らせるのです。
神の言われることを、正しく理解できなくなる頭脳。違う教えを
頭脳に刷り込まれる、システム、構造。
今は、自分には、関係ない教え、今は終わった教え、異邦人には
関係ないと、これ、アメリカでも日本でもどの国のクリスチャンでも異口同音に同じ偽情報を刷り込まれて、平気で罪、聖別を汚す行為を知らないからしているのです。
黙示録のヨハナンのトラー、預言書からの警告、励ましは、
ローマ帝国が、神の教えと神のモアデイムを捨てよ!という生き方を
重税、処刑を持って神の教えを生きる人々に、強制執行した。
そのような迫害の下にあったヨハナンが書いた、この世の悪が
支配する中、神の教え=トラー=契約を捨てるな!離れるな!
ローマ帝国、皇帝は神ではない。イスラエルの神が本物の神であり、未来はイエシュアが統治する世界が来る!その希望、励ましを
書いたものです。
そして、神のトラーから離れて生きた5つの群れ=カハール、
エクレシアの人々には、神の教えに戻れ!と正されたことが、
書いてあるのです。5=神の契約=トラーに忠実に根付いた2つの
カハール、エクレシア、群れには、賞賛と励ましだけが与えられた
ことが書いてあります。
パラダイムシフトが必要なのです。
パラダイムシフトとは、その時代や分野において「当然の前提」や「常識」と考えられていた認識、思想、価値観を、事実に基づき
戻り、劇的又は、革命的に変化させることです。
真実ではない、人間が神の言葉や教えを曲げている、その固定観念が覆り、物事を捉える枠組みがガラリと変わることが必要なのです。
なぜなら、異邦人の世界で語られる聖書観は、オリジナルの聖書〜
神の言葉、教えからズレた前提だからです。
神の言葉を、人間が編み出した思想で解釈して、神の言葉を曲げる
という、聖書解釈の違反が堂々と横行しているからです。
全て7で表されているのは、神の創造。神の民となった人の印。
神の言葉、トラーと、神が神である創造主全世界の所有者、権威者、そして、神の民、神の者とされた人への婚姻指輪「印」である、神と特別な出会いをする、神が神の子らを呼び出している日に、
実際に生きて祝い、神と全ての大家族のメンバーと祝うその日を
ローマ帝国が、信じる者達に捨てさせたからです。
ダニエル7:25にある通り、神に敵対するもの、4つの獣で表されるそのものは、神のトラー(契約、教え)と、神の時、(神が創造された神ご自身が主権者であり、神の民への印)それを変えようとする。事実変えたのです。
夫から妻とされた証拠、保証、永遠の「印」としての婚姻指輪を
外し、捨て、別の偽物の主人が与えた偽物〜代替えコピーの指輪を
する妻は、夫に対して、不遜、不貞別の旦那に忠実で、本物の夫に
誠実ではない。
それを、姦淫の罪と聖書では、語っているのに、その意味が全く
通じていないのです。
神の時である、モアデイムの中心は、シャバットです。
それが、全世界への神が全世界の創造主、所有者、最終的主権者で
ある宣言であり、同時に、イスラエルの神の者、花嫁となった人全てに対して与えられた婚姻指輪「印」でもあるのです。
神は、神が与えた契約〜関係の中にある証拠、神の者である印の
シャバットや祭りを、人間が別物に変えて良いなどと言うどころか、それをすることを厳重に断固として禁じているのに、聖書を読んでも、その意味も知らず、別物が本物と思う場合には、その意味は
全く通じません。
聖書、神の教えが変化し、神の記念日も変化し、人間が考える通りが
主体、自分で選べば良い、自分の考え、フィーリングでなんでも良いと考える思想は、神の教えとは真逆のそれこそが、神が警告している
偶像礼拝そのものなのです。
神が言われことではなく、神の言葉をさえぎり、捨て、別の教えや
記念日を持ち込む。そんなことは、神から直接、NG!と言われているのに全く通じない。
それは、自分が主体、神=夫が言われることを退け、自分の考え
感覚、フィーリングが第一。自分の気持ちが大事。気持ち、動機さえ
純粋であれば良いと考えるそれこそが、偶像礼拝だからです。
自分教を崇拝し、それを、神=夫に押し付けて、夫がどれ程その
不遜で、不誠実な態度、その中身〜偶像礼拝を忌み嫌う!と言って
いるのに通じない理由は、何か分かりますか?
古い教えは、廃れた!という、ローマの大嘘を本当だと信じている
からです。
古い教えが廃れたら、イエシュアが教えたトラーは全部廃れます。
そして、聖書は全体が崩壊します。
なぜなら、神の教えに、クリスチャンが空想するような、古い教えと
新しい教えなど、書いてもないからです。
聖書の土台は、柱は、完全版は、モーセの五書=神が与えた、神の
教えの完全版。それを揺るがせにしたら、建物は傾き、あらゆる箇所に不具合が生じ、最後は崩壊します。
1つしかない。神の契約書=神の完全であり無欠のトラー、それしか
聖書には書いてないのに、それが見えない盲目状態なのです。
聖書の最初の部分、聖書に聖書と書いてあるのは、モーセの五書
預言書、諸書のみです。聖書の最初の75%を指して、聖書では
聖書と書いてあるのです。
その中身を、書いてある通りに正しく教えられていないなら、
それは空想話が展開され続けるのは、無理がないのです。
なぜなら、古代ヘブライの世界、ヘブライ語で書かれた書を現代の
思考回路、文化、ギリシャローマ哲学思想で考えているからです。
クリスチャンの中にある、煉獄〜車庫、倉庫、この世界で死んだら、息が取られたら、待合室で待機していると教えられるでしょう。
それは、ギリシャローマ多神教を信じる人々の思想であり、
ヘブライ人には、異物、異質の考えであり、事実とは異なるのです。
イエシュアが処刑された時、隣の囚人に、言われたでしょう。
「今日あなたはわたしと共に、パラダイス、天の中にいる。」
これ嘘ですか?イエシュアの言葉が事実です。
聖書、神の言葉が最終的権威です。それに照らし合わせなくては
ならないのに、人の教えに照らし合わせているのです。
そのような勝手な憶測、空想、思い込みで聖書を読んでいるのが
異邦人の世界の聖書解説なのです。
キリスト教の中にある、「教会」と言う言葉で表されているものは、
置換神学そのものです。これは、次に説明したい内容です。
一般の世界や、キリスト教、カトリックで普通に使われている言葉
概念、定義が聖書ではない作り物が、山ほどあるのです。
歴史には、たくさんの出来事があるので、クリアーに見えてこないと思いますが、結論から言えば、神の言葉を変えたのはローマ帝国で
あり、イスラエルの神ではありません!!!
そして創造主である神は、神の言葉、教え、契約に根付く生き方を
人間が捨てて良いとか、変えて良い、又は今はいつでも安息日だから
気持ちさえあれば、いつでも日を変更して良い、そんなことを言う
神ではありません!
パウロの書簡を完全に読み違えた、いびつでジャンクな解説が出るのは、神の言葉を神が破棄したという嘘偽り偽情報で、神の言葉
聖書を人間の思想で読み解いているから、聖書に書いてある通りに
解説されていない問題が、19世紀の長きに渡って浸透してしまったのです。