神の教えをハイジャックしたのはローマ帝国 ダニエル書 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

聖書がクリスチャンの間では、聖書とは違う解説、解釈が無限に

編み出されている理由は、ダニエル書に預言された帝国の仕業です。

どの時代も、同じことが繰り返されています。

それらの特徴は、独裁者〜皇帝を神と拝ませ、イスラエルの神と神の教え、契約に忠実になってはならない。神の教え、契約を蔑ろに

する生き方を、皇帝が市民に強制的にさせ続けた帝国の皇帝達。

 

そして、神のトラーと、神の時〜モアデイムを変えようとすると

ある通りのことをしたからです。

そしてこれは、現在も起きている、未来も起きる事なのです。

 

ギリシャ帝国も、神のトラーと、神のモアデイムを生きることを

禁じ、ゼウス神、エピファネス帝を崇拝するように、ユダヤ人と

そして市民に勅令で命じたのです。

それを破る人は、即座に処刑。豚を食べない人は処刑!

そして、ギリシャ帝国も滅びました。彼らの中に巣食っていたのは

神に敵対すること、そして、LGBTQです。

ローマ帝国も、同じ理由で内部破滅、崩壊しました。

 

ローマ帝国も、どの皇帝も独裁者、皇帝崇拝〜皇帝が神と自称し、

人々に皇帝を崇拝させ、崇めさせたのです。

荒らすいむべきものは、異教の神の神殿、宮殿に立ち、自分を神と

名乗る。

生活の全て、経済活動、売り買い、細部に至るまで、皇帝に香を

焚いて、神として崇拝する儀式をさせられるのです。

 

第3代ローマ皇帝カリギュラも、ユダヤ人に対して自分を神として

崇拝することを強制し、これに従わない場合はエルサレム神殿に

自身の像を立てることを命じました。

これは契約に忠実に根付くユダヤ人が最も忌み嫌う偶像崇拝を

強要するものであり、紀元前2世紀のギリシャ帝国でも、

それ以前のバビロン、ペルシャでも同じことがあったのです。

 

ダニエル書を読むと分かるでしょう。ダニエル達は、バビロン捕囚の只中で、異教の神々に仕えるネブカデネザル王の宮廷に仕えるよう

選ばれた人達です。

 

ダニエル 1:4 すなわち身に傷がなく、容姿が美しく、すべての知恵にさとく、知識があって、思慮深く、王の宮に仕えるに足る若者を連れてこさせ、これにカルデヤびとの文学と言語とを学ばせようとした。

1:8 ダニエルは王の食物と、王の飲む酒とをもって、自分を汚すまいと、心に思い定めたので、自分を汚させることのないように、

宦官の長に求めた。
 
この箇所を読んでも、クリスチャンにはピンと来ないと思います。
神の教え=トラーを理解する人は、神の言葉がどの血筋であろうと
同じであり、永遠に変わらない事実を理解している人です。
バビロンは、異教の神々に仕える人々の国であり、もちろん神の教えなど、無関心、知らないで生きているのです。
 
その王の食物と言えば、それは、レビ記11章に記された人の食せない動物を食している異教徒です。
これは、今の世界でも全く同じなのです。
そして、酒は禁酒ではなく、その酒の中に、食してはいけない
マムシやスッポンなどが酒の中に入っていたら、それは人が飲めるものではないのです。だから、それらで、ダニエル達は、自分の身を
汚す〜聖別を汚すようなことは、神の前に出来ないことを理解して
いる人達なのです。これは、異邦人には理解されていない点です。
そしてこれで、すごい賭けに出たのです。
知恵を振り絞り、自分達の嘆願をこの異教の神々の恐ろしい
ネブカデネザル王の前に出したのです。
エステルが、ユダヤ人同胞全員を救いだす為に、王の前に召し出る
日ではないのに、出掛けて行って、王とエステルとハマンとの祝宴を設けてくださいという直訴するという異例の行為をした、
これは、命懸けの行動なのです。単にお願いしているのではない。
王にそのリクエストを拒絶されたら、処刑だからです。
それ程緊迫した状況であるという理解をして読めば、見えて来ます。
後にダニエル達はライオンの檻、火のかまどに投げ込まれたではないですか。暴君ネブカデネザル王だからです。
 
1:9 神はダニエルをして、宦官の長の前に、恵みとあわれみとを
得させられたので、
1:10 宦官の長はダニエルに言った、「わが主なる王は、あなたがた
食べ物と、飲み物とを定められたので、わたしはあなたがたの健康の状態が、同年輩の若者たちよりも悪いと、王が見られることを
恐れるのです。そうすればあなたがたのために、わたしのこうべが、
王の前に危くなるでしょう」。
 1:11 そこでダニエルは宦官の長がダニエル、ハナニヤ、ミシャエル
およびアザリヤの上に立てた家令に言った、
1:12 「どうぞ、しもべらを十日の間ためしてください。
わたしたちにただ野菜を与えて食べさせ、水を飲ませ、
1:13 そしてわたしたちの顔色と、王の食物を食べる若者の顔色とを
くらべて見て、あなたの見るところにしたがって、しもべらを扱ってください」。
 
ここには、菜食主義や、禁酒が書いてあるのではありません。

王の食べる、豚や猪やその他、神が禁じたきよくない動物を食さないで済む方法は、この状況下では、野菜だけを食べることだからです。

そして、何が入っているのか分からない王の酒は飲まないで、

水だけを飲む、この知恵は、神から与えられたもので、

このリクエストを王は、すんなりと受け取ってくれたのです。

そして、その結果、彼ら四人の若者は、他の誰よりも健康だったことを神が与えて、証明したのです。

 

どの帝国のどの皇帝も、自分を神としている意識であり、皇帝を人に崇拝させ絶対服従です。コンスタンチヌス帝も同様、キリストを

信じた?などと言った後も自分が神としての偶像をバシリカに設置しているのです。

なぜ、軍事的、政治的に彼らを支配するだけではダメなのか?

これは、隣の国でも分かるでしょう。彼ら、市民の思想の中心である信仰を、抑えられなければ、何をしでかすか分からない、危険因子、

脅威だからです。

 

どの時代も同じです。独裁者、皇帝たちが、契約=トラーを生きること、教えること、シャバット、祭りを祝うことを禁じた!

ユダヤ人にとって自分たちの「神との契約」に従って生きることを

禁じられたも同然の深刻な事態だったのです。

クリスチャンは、ユダヤ人はキリストを信じないから、

捕囚の民、迫害にあっていると言いますが、そうではありません。

 

神の契約〜神が教えた通りを忠実に生きることから、外れる時、

刈り取る結末があるのです。

メシアは、トラー、預言書、諸書の至る所に記されています。

そして、神の民〜神が創造された神の似姿そっくりに造られた人は

神が伝える神の創造のデザイン通りを生きる。

これから外れたら、破壊、傷つく、崩壊だからです。

こんな単純なことが通じないのです。

パソコンのキーボードに水をかけたら、壊れるでしょう?

それは、その知識がない人が、水をかけたら初めて、それが破壊、

故障になると気が付くのです。

神の教えを捨てよ!という、こんな大冒涜を土台に作った宗教は

たとえ他のある部分が、神の教えでも、土台が砂だから、崩壊が起きているのです。

世の中見渡せば、宗教組織の中にあるのは、偽物の教えが爆誕

し続け、腐敗、崩壊、隠蔽、又は、神の名を利用しながら、

聖書とは全く別物の思想を生きる団体に成り代わっているのです。

小さなパン種が、どんどん増え広がり、畑を毒麦でうめつくし、

正常な麦の成長を圧迫、押し留める、邪魔をしている、妨害しているのです。神の教えを正しく教えられていない災難なのです。

みことばを、聞けない飢饉そのもの。

異邦人の世界では、誰かの注解書を利用するだけで、聖書を学ばない

読まないのです。聖書を教える教師がそうなのです。

聖書を正しく学ばない、書いてある通りに読むことを学ばない教師が、人に聖書を教えているのです。

正しく学んでいたら、律法は廃れた、神の教えは無効だ、異邦人には関係ないなどと言ったり、ローマ教の異教神、女神の祭りをパクッた

日を、主の日などと言える訳などないからです。

 

今や日本の聖書にも、LGBTQを賞賛、支持する人が、聖書の註解を

書いているそうですが、最悪です。それだけではなく、聖書は神の言葉と信じてない人達が、牧師、聖書教師として教えているのです。

そのような偽の教えは自分から排除、神の教えを否定し、罪を奨励するような教えをする偽教師の教えに触れては危険です。

 

これは別の話でそれてしまうのですが、教える教師〜それはどの大学でも同じですが、教授の思想と反することを答えとして、論文が

書けないのです。詰まり、それが神学校なら、聖書を教える教師が、神の言葉が廃れた、デイスペンセーション神学で、神と神の教えの

七変化という聖書と全くズレた人間の編み出した思想を信じる人に

学べば、聖書ではない歪んだ知識を植え付けられてしまうのです。

変だと知っいても、デイスペンセーション神学に沿った論文を書か

ないと卒業出来ない。進化論者に、創造の事実を話せないのと同じ。

元々異邦人など、パウロのような教師に学んだこともない背景であり聖書に何が本当に書かれているのか、知らないままです。

こんなことは、他の学問の世界ではあり得ないことなのに、

それが平気でまかり通ってしまうのは、宗教の世界だからです。

 

ユダヤ人の世界は全く違います。

トラーを学ぶことに夢中になれ、没頭せよ!と。

しかし、ユダヤ人とて、本当に変な思想を語る人達も大勢いますから、尚更聖書に何が書いてあるのか、その事実を先ずしっかり把握

すること、これが、何より、偽物の教えから守られる唯一の盾=神の言葉なのです。

ヘブライ聖書と言いながら、デイスペンセーションで解説する

もしくは、聖書とは違う解説をする人もたくさんいるからです。

 

宗教の思想で語る聖書解説、神の教えが変化したという思想を捨て

ない限り、どの道、聖書を正しく知ることは、出来ないままになり

ます。

事実ではないこと、嘘からは、決して誠は出て来ないからです。

パウロが語るように、個人的に神に出会っていない、知らないままでも、神の教え=トラーを学び、それを生きて居たら、やがてメシアに出会う、それは、トラーには、メシアに連れて行く役割、養育係の

側面があると、ガラテヤ3:24-25で説明しているのが、それです。

一旦、メシアに出会ったら、メシアの元に連れて行くという、

その点でのトラーの目的は達成されたということです。

 

その事実を曲げて、信じたらトラーは必要ない!廃れた!という、

こんな無学で頭脳がトラーを知らないため、定まらない人が、パウロの手紙の内容、そして聖書、トラー、預言書、諸書に対して、

無理な解釈を施して、自ら破滅を招いていると、ペテロが警告して

いるそのものが、19世紀以上、異邦人信者の間に浸透してしまった

のです。聖書ではない聖書解説。別のチャンネル、別の周波数に

繋がり、神の声ではない、人間の教えに聞き入っているから、

聖書に書いてある事実が、書いてあるのに分からないままなのです。

 

聖別を汚す行為、罪とは、神の教えに違反すること、それが神の定義する罪の行為です。聖別を汚す行為とは、神の禁じたことをする事。レビ記11−27に記された神の教えなど、クリスチャンは

まる無視でしょう。いや読んだ事もないという人が大勢です。

廃れた教えと、神の教えを無視するように教えられ、仕向けられているからです。人ごとのように、昔の出来事として読むだけ。

 

ダニエル達のように、神の教えを理解していないからです。

汚れた動物、清くない動物でも平気で食べ、血を食し、そして

神の創造されたシャバット、祭りを捨てて、無視!いや、それが

何かさえ、聖書を教える人さえ知らないという、聖書に登場する人が

理解して、実践していた神の教えと、神が創造された神が呼び出している記念日がいつかも知らないのは、ローマ帝国、皇帝を神とする

人達により、すり替えられた、ハイジャックされた、別もの教え

太陽神、異教神の宗教の教えと混ざった異物の教え、バビロンの

大淫婦、記念日を代わりにやっていることさえ、気がついていないからです。

偶像礼拝とは、仏教や他の宗教の偶像を拝むことではありません。

人間が、編み出した思想や、儀式、記念日で、イスラエルの神に

近づく行為だと神が伝えているのに、神の教えを捨てる人には

全く通じないまま、今は人間が神の言葉を変えて良い!という

大嘘を信じて、別物を知らないままやっているのです。

 

神が聖別し、祝福した週の日は、第7日目だけであり、それは創造主が

イスラエルの神である宣言と、神が神の元に戻った全ての人に対する印、永遠の婚姻関係に入っている証拠としての印として与えたとあるのです。そして、その日に、神が全ての神の子らを呼び出しているのです。神が呼び出している日に、神は特別な出会いをすると約束したのです。

神が与えた印=婚姻指輪を捨てる行為は、聖別を汚す、罪です。

その代替えで、別の旦那、ローマ帝国が太陽神、皇帝を拝む日

サンデーを日曜礼拝、主の日とした、それにすり替えたこと

それが、冒涜以外の何物でもないということが、分からない人には

永遠に神が伝える事実、聖別の意味など通じないことになるのです。

 

神から頂いた印、指輪をはずして捨て、ローマという別の旦那に与えられた別の指輪を大事に付けて、別の旦那が招いた日に、神の前に出る?そこには、神のシャバットの目的はない。

おかしいと気が付かないとならないのです。一体、誰の声に聞いているの?ということ。それは、騙しが深過ぎるから、その事実に辿り着くには、1つ1つ偽物の教えという大きな岩をどかして、その下に

ある本物=神の教えを探り出して行く以外に、騙し、嘘に気がつくことなどできません。

周りのみんながやっている、イコール真実などではありません。

神はいつでも安息日、人間が決めて良いなどという、信頼に値しない

人間以下のことは、言いません!軽過ぎる、嘘つきの神になる。

それは、歴史の中の帝国の迫害でも分かる通りです。

異邦人は神の教えを捨てて、ローマ帝国の勅令に従ったのです。

だから、今のような聖書に書いてもない教え、神の言葉が廃れた

聖書は神の言葉ではない、神の言葉を人間が判定して変えてよい!

日曜礼拝、クリスマス、イースター聖書にない記念日、異教神の

祭りをローマ帝国が作り変えた別物をやっているのです。