人間が神の言葉に付け足し差し引きした宗教を作ってはならない理由 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の同じ言葉が、ユダヤ人と、異邦人とは、別物の意味になるなどと、聖書に書いてもないのに、書いてあるのだと信じている時点で、聖書の事実ではない事を信じていると、はっきり気が付かないとなりません。

 

西洋宗教の教えは、ルターがプロテストしたように、聖書ではない

教え、人間が作った教理、聖書ではない教えのパン種が満載であり、それら人の教えを通して、神の言葉を歪めて、曲げて別物に解説しているから、神の教えは、人間が自由に変えて良い、選んで良い

今はいつでも安息日などという、聖書に書いてもないことを、

書いてあると勘違いしているのです。

パウロは、そんな異端思想、カルト思想の教えを、諸外国のユダヤ人

の群れに書いてもいません。

そんな事を書いたとしたら、パウロは偽使徒となり、即座に追放されます。神と人から。

パウロという人物を、完全に誤解した思想、教えを西洋宗教は

語り続けて今に至るのです。

 

神の警告は、最初から同じです。「騙されるな!」です。

神の似姿そっくりに造られ、神の息=霊を神から直接吹き入れ、

天と地、見える世界と見えない世界を同時に生きて存在していた

神の中、エデンの園を、神と共に涼しい風が吹くエデンを共に歩き、神と直接語り合い生きていた、アダムさえ、偽物の教え=蛇の声に

聞き入り、騙されたのです。

それは、神の言われた言葉を疑わせる事だったでしょう。

 

西洋宗教の教えは、聖書を読む前提が、最初からずれています。

ずれている理由?神の言葉が廃れたという、ローマ帝国の勅令を

聖書だと、聖書に書かれてもいないことを、疑いもなく、信じているからです。この方が不思議なのです。

4世紀当時の人達は、はっきり知っていたのです。

ローマ帝国により迫害され続け、神の教えを生きたら、重税、迫害

処刑されて来たからです。

そのローマが決めた勅令〜反ユダヤ思想、反モーセの五書、

ユダヤ的要素を含む教え、記念日一切破棄、終了だ!と人間が決めた

事は当時の人たち、ユダヤ人も異邦人は皆知っていたのです。

 

長い歴史の中で、何が起きたのか、語られず、忘れられ、いつの間

にか、ローマ帝国の冒涜〜人間が神の教えを破棄した事を

教えられないままどうなりましたか?

 

神が神の教えを破棄したという、偽物の教えにすり替えられて、

それが、異邦人クリスチャンの間に、真実のごとく浸透したのです。

だから、イエシュアが教えられたトラーや、神の創造されたモアデイムの全てが、同じ神が内側に住まう異邦人により、全て追いやられ

捨て去られ、それらが何かも、知らないままという、神の意図とは

遠くかけ離れた生き方、教えを浸透させられてしまったのです。

 

聖書に登場するイエシュア信者は、殆どがユダヤ人なのです。

ユダヤ人イエシュア信者が、マジョリテイ、大多数だったのです。

コロサイ、ガラテヤ、コリント、ローマ、エペソetc、それらパウロが

手紙を宛てた群れは、ユダヤ人が中心、大衆の群れなのです。

黙示録に7つの教会と書いてあり、その教会という造語で、

今のようなクリスチャンの群れだと考えているのですが、

全く違います。

7つの群れ〜エクレシア、カハールは、トルコ周辺に存在していた

ユダヤ人の群れなのです。

このような、空想の読み込みで、自分の考えを通して、聖書を

読んでいるのです。

 

空想の読み込みはたくさんあります。

 

1ペテロ 1:16 

聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。

 

ペテロが引用しているのは、レビ記に記されている聖別された人の

生き方を述べている、レビ記の引用をしているのです。

聖別された人の生き方は、11〜27章に記されているのです。

その最初の11章には、神が創造された人の食べ物として造られた

動物と、そして清掃目的その他で造られた動物は食せない。

それに対して、言われた言葉なのです。

勘違いしているでしょう。

今は、なんでも祈れば、食せますと。人間ローマの教えを聞き入り、神の言葉を捨て、聖別を汚す生き方をさせられている。

レビ記18章には、同じように、聖別された人は、どんな人と関係を

結んではならないか、禁じられた関係をはっきり教えています。

LGBTQは、神の前に完全に罪であり、死に匹敵する程、重たい罪であり、絶たれると大警告されているものです。

23章には、神に聖別された人は、神のモアデイムを祝い生きることが書かれています。神のモアデイム、聖日、ミクラコデッシュを

破り汚す行為も、死に匹敵する程重たい罪と神が教えています。

ピンときませんよね。道徳的なこと以外、何?て思う。

神の国の道徳は、神が教えた通りを生きない、破る、不道徳、不法

なのです。異教徒、肉の頭脳には理解しがたいだけで、神が言われる

ことが真実だと受け止めない人には、永遠に理解不能なだけ。

それを信じて、受け取る人は、神の深いところにある考えが理解

できるようになるのです。

普通のクリスチャンは、モーセの五書など読まないのです。

神のモアデイムを、ある国のパスター達に招かれて、私の先生が

教えたことがありますが、全部頭の上を通り過ぎ、分からないと

言われたそうです。それ程、イエシュアが教えられた父の教えから

遠く遠く離れたのは、ひとえにローマ帝国製造の宗教〜神のトラーと

神のモアデイムを捨てた教えのせいです。ダニエル7:25

 

昇天以降、古い教えが廃れて、今迄明かされなかった新しい教えが徐々に出て来た?そんなのは聖書に書いてません。

そして、神のモアデイムも、日曜礼拝、クリスマス、イースターに

変えられたと疑いもなく信じているでしょう。

それは、神の教え、命じられたことではなく、禁じられたことを

ローマ帝国がやったことを、ぜひ知って下さい。

 

進化論が、ただの偽仮説で、ダーウイン本人が、これは仮説に過ぎないと言っているのにも関わらず、証拠、根拠が環境の中に何もない、証明できない、単なる人の思想=仮説を、皆が真実だと教えられて、それが真実だと信じる思考回路と全く同じなのです。

騙しの世界。

偽物を、本物と皆が信じるから、そう信じているだけなのです。

教師にそう教えられるから、疑いもなくそれが真実だと受け入れているだけ。

神の創造の事実、神の言葉に反する偽物の教えを、本当だと

聖霊が内側に住まう人が、聖霊に反する事を信じるのです。

 

こう教えるでしょう。旧約聖書は、メシアがが来られるまでの

仮の古い教え、新約聖書は、メシアが来られて、初めて教えられる

新しい教え、そして、旧約聖書の教えは捨たれたと。

聖書に照らし合わせて、よく考えれば、それは全く間違えである事は、一目瞭然です。

マタイ以降に記されているのは、モーセの五書=父の教え=トラーの

ほんの短い抜粋に過ぎないことを、クリスチャンは知らないとならないのです。聖書の最初の部分を丹念に学ばないから、マタイ以降には、

100%モーセの五書の短い抜粋、引用が書かれているという事が

分からないだけです。

しかも、マタイ以降を書いた使徒は、預言者が書いた、トラー

預言書、諸書に記された内容を塗り替えた教え、トラーとは別の教え、又は神の言葉を否定、削除、破棄などという教えなど、書いてもいません!

この事実を、聖書を教える人さえ見えないまま、空想話〜人間が

編み出した、非聖書的異端的思想を通して、聖書を曲げて解説し続けているのです。間違いに気が付かないからです。

 

神の教えが廃れた、変わったと例にされる、マタイ〜黙示録に

記された、特にパウロの手紙の内容の解説は、全て100%聖書とは

違う、間違った聖書解説なのです。

神の言葉=聖書の事実ではない教え、間違った聖書解説を刷り込まれてしまったら、聖書に書いてある本当のことなど見えなくなるのです。

その証拠に、神がいくら「神の言葉は変わらない。神は永遠に変わらない。誰一人としてイエシュアを通して以外、神の元に戻れない。

動物の血は罪を消せない。」と書いてあっても、全くその事実が

通じないままではないですか。神の言葉の真実、聖書が通じない!とパウロが言った通り。

 

太古の人は、動物の生贄で罪許されたとか、ユダヤ人は律法を生きて

義とされたとか、神の言葉は十字架で処分、破棄されたとか。

これ、全部偽物の聖書解説です。

 

神の教えを捨てるという行為は、捨てた箇所に別の教え〜人間が編み出した教理、思想が混入侵入しているということを、知って下さい。

ある部分の聖書箇所、ある部分は聖書の事実を語っても、後は神の

教えを否定する教え、生き方では、それは神の意図から全く外れた

ものなのです。

詰まり、神の教えが、100書かれていたら、10くらいしか知らない。その理由は、ここで書いた通り、神の古い教えは廃れたという

偽情報を刷り込まれ、聖書を教える人が、最初の部分を学んでいない

という教育、学びの欠落があるからです。

神は熱心に神の教え=トラーを追求せよ!求めよ!と教えているのです。神=言葉だからです。

関係ない、廃れた、無用な教えなど、追求する意味はないでしょう。

神の言葉を捨てて、その部分を学ばないなら、聖書に何が書かれているのか、分からないままになるのです。

そして、白やぎさんと黒やぎさんのお手紙交換のように、

「さっきの手紙のご用事な〜に?」と、神が記した神の言葉、教えを学ばないまま、何が書いてあるの?と無意味な返信をし続けるのです。 トラーを正しく学んでいない〜これが、書いてあるのです。


1テモテ 1:6 ある人々はこれらのものからそれて空論に走り

1:7 トラーの教師たることを志していながら、
自分の言っていることも主張していることも、わからないでいる。

 

箴言28:9 耳をそむけてトラーを聞かない者は、その祈でさえも
憎まれる。
<神の教えは廃れた、異邦人には関係ないと、神の教えに聞かない
背くように教える教え=これが西洋宗教の主張です。
聖書に照らし合わせれば、そのような行為は、神が忌み嫌う行為で
あることが、明らかに記されているのです。誰の声に聞いて生きるか?なのです。人?それとも神?>
 
ローマ7:12 このようなわけで、トラーそのものは聖なるもので
あり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。
 
<神の言葉は完全であり聖なるものであるに、古い、悪い、廃れなくてはならない、破棄されるものなどと、なぜ言い続けているのでしょうか?>
 
2ペテロ3:16 彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。
その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、
無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。
 
ヘブル5:11 このことについては、言いたいことがたくさんあるが、」あなたがたの耳が鈍くなっているので、それを説き明かすことはむずかしい。

 5:12 あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。

あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。

 

最初の一歩〜メシアを信じる、そのことばかりは、よく教えていても、その後、新しくされた人が、生きる全貌を、それが書かれた父の教えトラーを捨てる人には、神に何を生きるように教えられているのか理解していないからです。自己流、自己発想、聖書とは違う教え

様々なムーブメントは、聖霊ではなく、人間主体、由来で編み出されているものなのです。

 

詰まり、トラーに記されていることを、正しく学ばないなら、

耳が鈍い〜理解できないから、神の教えを、パウロが解説しても、

通じない!と言っているのです。成長がないまま、幼児状態に

留まると言っているのです。肉が食べられない、乳飲子のまま。

これは、本当です。異邦人の教師は、ユダヤ人ラビと、同じように

聖書を語ることは出来ないのです。

トラーを知らない、学んでいないからです。

 

先ず、聖書に登場する聖書記者は、100%モーセの五書を解説しており、福音書以降の聖書記者=使徒達は、預言者が書いた書を

塗り替える、又は、神の言葉に付け足し、差し引きするような、

ローマがやった、神に敵対する行為は、1つもしていません!

そして、聖書に聖書と書いてあるのは、モーセの五書、預言書、

諸書を指して、聖書と書いているのです。