春の最後の祭り シャヴオートの祝い方 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

過越の祭りから、7日間が種無しパンの祭りです。

過越が始まる前から、パン種除去をして、準備をするのです。

これは、エジプトの住んでいた人達も、同じようにさせられたのです。同じ教えなのです。

 

クリスチャンの世界や、ある一部のメシアニックが語るように

異邦人とユダヤ人には別の教えという、神の教え、聖書にはない教えです。聖書は1つしかないからです。

書いてある内容も、神のエハッドである1つの言葉=トラー=モーセの五書=婚姻契約書しかないのです。

これは、人が勝手に神の言葉、教えを再定義することを、神は禁じています。そんなことをする、許可は、ローマ教皇などに与えてもいませんが、勝手に神の言葉を塗り替えることを、執行しているだけです。これが罪であることを、神の言葉、罪の定義を捨てる人には

全く通じないままになるだけなのです。

 

種無しパンの真ん中の日に、イエシュアが復活され、それが「初穂」の記念日として、神が最初から創造された日なのです。

新しくされた事実は、神が一方的に支払った命の代価=子羊の血

イエシュアなのです。

これを、人の手柄で得ることはできないのです。

人種に関係なく、ユダヤ人も異邦人も同じです。

 

そして、新しくされた人は、古い人は死んだ!感じなくてもそれが

事実です。この点、カトリックやキリスト教はその通りに教えていません。だから、許された罪人とか、信じても、まだあなたは罪人のままですと言い続けているのです。

言い換えないとなりません。新しくされた人は、同じ体のままですが、新しくされた事実があるのです。それは、感じません!

そして、古い記憶、思考回路、行動を繰り返して生きたら、それは

ズレている!本物の自分とは違う生き方をしている!と言い換えて

軌道修正、本当の生き方、神が伝える通りに生きる切り替えをする。

この繰り返しの練習が、必要なだけです。

 

これ、移動式ミシュカンでも教えているのです。

移動式、朽ちる体の中に、既に神が住まう事実!この朽ちる体に神が

住む、神の宮とされたのです。

固定式神殿、新しい体になる。神の臨在が朽ちない体の中に永遠に

住まう。

その人は、新しくされている事実からだけ、生きる!これを教えているのです。それは、生きるという中で、再取得して行くものです。

 

過越、種無しパン、初穂に連なった人が、7週間、次の祭りの

シャヴオートまで過ごします。

この意味は、新しくされた人が成長することを教えるものです。

そして、新しくされた人が、婚姻契約を受け取ったのです。

これを、完全に誤解しているのです。神の教え、契約書は、神の元に

戻らない人には、与えらていない!この事実を正しく理解して下さい。

キリスト教では、古代は、ユダヤ人は神の教えを生きて義とされ、

許されたなどと解説しますが、神の教えを生きて義とされる人など

一人もいないという事実だけに立って考えて下さい。

 

神の教え=婚姻契約=神の家の大家族の家訓は、神の家のメンバー

神に贖いだされ、神の者となった人だけに与えられている!

この事実を、はっきり理解しないと見えません。

 

夫に嫁いだ人は、その家の人になります。その家の家訓を生きます。

そんなに、理解するのに難しいことではないでしょう。

 

神の言われる教えが嫌!それなら、家を出て、神から遠く離れた

聖別を汚す領域で、好き勝手に生きると言うことを、選んでいる

ということになるのです。

春の祭りは、1)過越 2)種無しパンの7日 3)初穂の日

4)シャヴオートです。この4つ。

秋の祭りは、5)ヨムテルア 6)大贖罪日 7)仮庵

全部7です。

過越の祭り、仮庵の祭りも、7日間。

そしてその祭りの最初と、最後は曜日に関わらず、シャバット〜止まる日として、シャバットと同様に

扱い、祝う日なのです。

 

今日の木曜日の日没から、始まるシャヴオートの祭りも、シャバットとして、祝います。イスラエル以外、これは木曜日なので、

普段の日です。でも日没は殆どの人は働きませんから、これを

シャヴオートを祝う、シャバットとして祝うことは出来ます。

 

ここまでのおさらいでは、1)新しくされた人は、2000年前に

初めて教えられ、与えられた事実ではないのです!

永遠の中に既に子羊イエシュアが屠られた事実が、ヘブライ聖書では記されているから

ヨハナンやパウロが、それを黙示録や、パウロの手紙で解説しているのです。

永遠の中、既に屠られている子羊〜そして、永遠の中、神の中に既に

造られ、選び出された人達〜!聖別された人達と書かれているのです。

 

イスラエルの国は、神が選び出した国です。全員が神の契約を生きているのではないけれど、政府、国全体で、神もモアデイムには止まり

祝います。

世界の中で、唯一神の教え、契約をガードして生きる、イエシュアの

性質=神が創造された人の生き方を生きる人が、世界の中にいなくなれば、全部異教徒、境界線がない世界になります。

異教の地に生きても、同様に、神の契約に根付いて生きる、

それがイエシュアを通して、神の元に戻り、イスラエルという大家族のメンバーになった人の生き方です。

 

西洋ではない。混ぜ物の教えではない。イエシュアが教えた、

父の教え=トラ〜に記された生き方、大家族の生き方をするのです。

 

去年のシャブオートの時に載せた記事です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Chag Shavout Sameach!