新しく更新された契約を皆が生きる日 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

異邦人クリスチャンの間で語られている聖書解説で、

「神の言葉が廃れた」という非聖書的、異端思想を土台にした

聖書解説の全ては、もちろん元の思索の土台が聖書ではない

人の思想で歪んでいるものであり、内容から逸脱し、又は言葉

が表す意味を正しく理解しない早合点、鵜呑みの解説をしている箇所が多くあるのです。

 

そうすると聖書に書かれていること内容、事実とは違うことを解説しているので、当然神が意図した真実は、それを信じる人の間には、

伝わらず、偽情報が伝わり続けてしまうことが起きているのです。

 

今の世界でも、情報源を握る人が、偽情報を拡散出来ることを

多くの人が知っているでしょう。

オールドメデイアは、もう信じられない。イコール、正しい情報を

流さずに、誰かの意図で、偽情報を拡散しているからです。

それと同じです。歪んだ聖書解説をする人は、純粋に神を愛し、

聖書を語っていると信じているのですが、その裏には、4世紀以前、

いやエデンの園に遡る、蛇の騙しの声〜神の言葉を人に疑わせ、神の

言葉とは違うことを信じさせ、それを実行、生きさせるという作戦が

あるのです。

多くの聖書箇所、クリスチャンが、神の言葉が変化、廃れたと

主張するその全ての箇所は、聖書を正しく学ばない人の思想、

人間が編み出した非聖書的教理を通して、神の言葉を歪めた聖書解説なのです。

神が一人の人、1つの民、民族を選び出した理由は明らかです。

異教徒、異教の神々の文化、思想、宗教に生きている場所から

一人の人を引き出して、その人に、神の教え=トラーを正しく教え、

伝え、それを世界に正しく伝える役割を与える必要があるからです。

 

もしも、ユダヤ人が世界の中にいなかったら、世界は、異教神の神々の宗教、生き方、文化、思想、実践だけを生きて、区別の無い

聖別の境界線のない同化、シンクロ、同調、神の性質、聖別された神が意図する生き方をする人など、一人もいなくなります。

キリスト教の生き方?それは、ローマ帝国の宗教、西洋宗教の教えの生き方であり、神が伝える契約に根付く、聖別された生き方を教えない生き方です。ある部分は、神の言葉ですが、それなら、仏教徒でも

神を信じない人でも、同じようにクリスチャンが言う所の愛を生きています。

もちろん、主が内側に住まわれる事実、それだけは事実ですが、

イエシュアを信じた後、神の教えではなく、異教〜ローマの宗教を

実践して生きる、異文化、異教の実践が混じる、純粋ではない別物を

生きていることに、全く気が付かないのです。

 

それはイエシュアが来られて、新しい教え、ローマ・カトリックを生きる、ペテロが、ローマ・カトリックの初代教皇だ!

こんな、聖書にない、別思想を、信じて、実践していることにも

全く気がついていないと思います。

 

イエシュア=実態を、正しく地上に映し出す唯一の方法は神の伝えた教え通りを、イエシュアがされた通りに生きることを通してだけです。

 

イエシュアが来られるまで、イエシュアを通して、

父の元に戻る、内側に神=聖霊=イエシュアが住まわれることを

特定の人しか知らないなどという、聖書とは違うことを信じているからです。

 

どの時代も、残りの民を神は確保されて来ました。

その人たち、神の教え=トラーを理解し、実際に生きて、聖霊が

内側に住まう人たちです。

ジーザス、イエスと書いてなくても、ヘブライ語では、至るところに

イエシュア=救いが書かれているのです。

それを読み取り、理解しているのか、いないのかの違いです。

 

エジプトから引き出された300万近くの人、240万人が、

異邦人、子供、女性なのです。

出エジプトした人の中で、イエシュア=救いを目の前で見て、

体験し続けたでしょう。エジプトにいる時から。

それでも、その事実に深く根付いて生きたのか、生きないのか、

それは、どの時代も同じです。今も同じです。ジーザスを信じていても、神の教えを正しく理解しない、それが起きるのです。

だから、言われたのです。

 

どの時代も同じです。しかし、特に、異邦人は、聖書から、神の教え、

モーセの五書を知らない民族なのです。

パウロがガラテヤの人に書いたように、イエシュアに出会う前から、

ユダヤ人は、神の教え=トラーを教えられる親、兄弟、親戚や、

コミュニテイの中で育つ環境があったのです。

その人たちは、イエシュアに直接出会う=神に出会う前に、安全に

幽閉されている〜これを、律法の下に閉じ込められたと書いてあるので、勘違いしているのですが、イエシュアに出会う迄、周りの人に

トラーに根付く生き方を見せられて、それを知らないまま、生きて

守られているとパウロが言っているのです。

 

ガラテヤ3:23 しかし、信仰が現れる前には、わたしたちは律法

トラー=神の教えの下で監視されており、やがて啓示される信仰の時まで閉じ込められていた。 

3:24 このようにして律法トラー=神の教えは、信仰によって義とされるために、

わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。

 

監視されて〜と聞くと、悪いものに見張られていると、勘違いするでしょう。全く違います。神の見守り隊〜神の言葉です。親と同じ。

人は、神の言葉を聞いて、それを内側に取り入れて、本来の性質通りに生きられるのです。

もし、神の言葉、秩序を捨てたら、それは、カオスです。

それが世界中で起きているでしょう。神の教えを、絶対、神の創造された人の生き方と、クリスチャンさえ、正しく認識しない、リーダーが神の教えを廃れたと教え今は、ノア、ソドムとゴモラ、神の創造の

性質を覆す生き方OKという迄に、腐敗が浸透しているのです。

 

キリストに連れて行く養育係とは、神の言葉、教えの1つの側面なのです。パウロは当時の文化に存在した養育係ーペデゴーゴ、ギリシャ人の間にあった裕福な家にいた召使になぞられているのです。

アジア圏で言えば、家にいる使用人がいるのです。
ペデゴーゴは、使用人であり、家庭教師の場所に連れて行く役割をするから、トラーを、ペデゴーゴ=養育係になぞられて、解説しているのです。
一旦、神に出会うという現実を受けた人は、神の教えの中に記された
イエシュアが、誰かということを発見したのです。
イエシュアに出会うという、トラーに記されたその目的は、
そこで達成されたということをパウロが話しているのです。
クリスチャンはその事実を曲げて、信じたら神の教えは廃れたという
とんでもない勘違いを教え込まれているのです。
前にある文章を考えてみれば分かるのです。イエシュアに出会うまで、神の教え=トラーに守られていたら、監視下にあったら、
その人はこの世に罪、悪行、誘惑に染まらずに守られた生き方ができる神をはっきり知らないままでも、神の教えを生きれば、守られてることをパウロが語っているのです。
このような箇所を異邦人教師は、神の教えが廃れた証拠だ!という
とんでもない早合点、内容を理解する知識に欠如した、
ジャンクな教え、聖書解説を施しているのです。
 
パウロが、テモテに伝えているそのものなのです。
神の言葉を、正しく学ばない教師が、聖書に書いてもない意味に
勝手に解釈し、人に聖書とは異なる思想を施している警告です。
 
1テモテ1:7 律法トラーの教師たることを志していながら、自分の
言っていることも主張していることも、わからないでいる。

 

これが、異邦人の世界に起きた、悲劇なのです。神の言葉、本編を

ヘブライ語に記された意味通りに、教えられず、学ばない。

それは、トラーを教える、教師がいなかったからなのです。

それは誰にも否めない事実なのです。2世紀以降、異邦人は

ユダヤ人の群れと完全決裂し、ヘブライ聖書を教える教師を全く

持たず、その代わりに、西洋人が勝手にアレンジした西洋宗教教理

思想だけを、教えられ続けて来たからです。

 

プロテスタントは、カトリックと決別しても、信仰の土台は、結局

同じです。神の教え=トラーを否定した思想、教え、神のモアデイムを全部捨て、カトリックが編み出した人の思想により編み出した、

異教神の祭りをキリスト的な意味を付け加えて変えた、日曜日、

クリスマス、イースターを祝い続けていることでも、同じ土台を

共有した宗教であることを、理解できるはずです。

神は、それらの教えも、記念日も創造などしていない、

祝え!とも言わない。いや、神のモアデイムを聖別し、

祝ってと言い続けているのです。

未来、イエシュアが戻られたら、全員が神のトラーを生きて、

シャバット、祭りを祝うようになる時代が到来すると預言されているのです。それを否定するなら、その場合、その人は、自分教を信じて、神の言われることなどに、耳を傾ける意識もないということなのです。

 

1テモテ1:8 わたしたちが知っているとおり、律法トラーなるものは、法に従って用いるなら、良いものである。

神の教え、言葉=トラーは、神が言われる通りに生きるのなら、
それは、神の意図通り、み心通り=トウブであると、書いてあるのです。
神の教えを捨てよ?良い、神の意図通りの完全な教えが廃れた?不要、無用、恵の時代は神の言葉を
十字架で捨てよ!???これこそが、神が警告する、蛇の声=
反キリストの声であることを、聖書から理解しないとなりません。
 
ダニエル7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法トラー=神の教えとを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。
 
神が警告していることを、正しく捉えれば良いのです。
神の時=モアデイムを変えた、神の教え=トラーを禁じた、これは
紀元前2世紀に実際起きた、ダニエルに記された預言であり、ローマ帝国がやった同じ
預言であり、未来にもこれが起きる、実際に起きているでしょう。
 
ギリシャ帝国も、1世紀以降のローマ帝国も、全く同じことをしました。神のトラー=教えと、神のモアデイムを変えた!神の教えと
神の記念日を生きることを禁じた!
そしてゼウス神を拝ませ、ローマ帝国は、ミトラ神、太陽神の思想が
混じる宗教を、ユダヤ人や異邦人イエシュア信者に生きるよう
勅令で強制執行させた!これに、反対した、ユダヤ人は、処刑され
世界に追放され、一方、異邦人イエシュア信者は、ローマ帝国の
宗教にまかれ、迎合、同化し受け入れ、混ざった。それが歴史の事実であり、今に至るまで、それが引き継がれ実践されてしまっているのです。
だから、異邦人クリスチャンは、イエシュアが教えた父の教え=
トラーを捨て、神のモアデイム全部を捨て、別物に人間が変えたものを祝っていても、それが本物!と思い込んでいるのです。
 
神の教えを捨てた結果、神の言葉、聖書を正しく理解する人が
いなくなりました。
ある部分は、事実でも、異邦人の世界に浸透した教えは、人間の思想、
教理、置換神学や、デイスペンセーション神学を通して解説される
聖書の事実を歪めた聖書解説のみが、語ら続けているのです。


1コリント3:1 兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に

対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。
 3:2 あなたがたに乳を飲ませて、堅い食物は与えなかった。
食べる力が、まだあなたがたになかったからである。今になってもその力がない。
 
異邦人が、トラーを知るユダヤ人の間に入ったら、同じ土壌で話が
できない状態になっているのです。聖書を知らないからです。
 2ペテロ2:21 義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。

2ペテロ3:6彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、

無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。

 

無学〜ヘブライ聖書、トラー、預言書、諸書を知らない、それが無学です。人間の思想を通して学ぶ聖書は、聖書とは異なる思想を編み出しています。

無理な解釈〜神の教えが変わった、神の記念日が変化した証拠だと

解説する、それこそが神の言葉に対する無学、無理な解釈であり、神に対して冒涜を

し、自分の滅亡を招いているとパウロが警告するそのものが

起きているのです。