異教の神々の教え、文化、生活習慣に混じり合い、神が定める
境界線、聖別がない世界。
それとは、違う、神が境界線を引いた、聖別された生き方、
古代、異文化、ヘブライの世界。
異教の神々=人が編み出した神々、架空、本当は存在しない偽物の
神々、その思想、宗教、その文化、生活習慣を生きる人たちとは、
全く違った生き方〜神が創造された、神の性質通り=イエシュアが
教えられた、父の教えトラー、そっくりそのままが聖書に書かれています。
割礼も、聖別も、神が敷いた区別、境界線です。
異教〜神に属する人と、そうではない人には、境界線が敷かれているのです。
神が伝える聖別された生き方を捨てること、イコール、異教神の文化、生き方に交わるシンクロ、同化、迎合、混じり物を生きること
なのです。
聖別とは、神が創造された目的通りに、分たれた生き方であり、
西洋宗教、人間の編み出した人間由来の聖別とは違います。
神が言われた通り、神が創造されたデザイン通りを生きること、
それが、神が伝える聖別であり、聖別された人の生き方は、
モーセの五書=神の教えを捨てる人には、知られない、理解できない
よって神が伝える聖別された生き方など、イエシュア〜聖霊が
内側に住まいながら、その実態を実は生きてもいないという
とんでもないズレが生じているのです。
そして、それらは、異文化、異教の文化、現代、外国の生活習慣や
言葉、理解を通して考えると、聖書に書いてあることを、自分たち
流に曲げて考えていても、全く気がつかないことが起きているのです。
この異教まみれの世界の中で、神が唯一聖別された生き方を、
神が選び出した人々、それを守り、生きる人を神が選び出さなかったら。
イスラエルという国がなく、全てが異教神の実践が混ざり合った世界
なら、それは、神に戻る道〜イエシュアが見分けられない混ぜ物の
世界になってしまうのです。
その人達〜イスラエルの神の大家族の代表者は、神が伝える生き方を
破り、汚す時、異邦人よりもっと重い結末、訓練を与えられるのは
それは、大家族の長男だからです。父を代表する人が、家訓を破り
汚し、弟妹に違う手本を示して、罪に導く生き方をすれば、
人は、簡単に破壊されていくからです。
聖書を読めば分かることです。エデン〜神の中に、神の性質どおりに
造られた人が、神の言われた言葉を疑い、神が言われたこととは
違うことを、考えて、蛇の声を取った。
エデンの園にある木は、1つの木です。これはヘブライ語でしか
分からない事実があるので、別の記事に書きます。
詰まり、神が見る通りではない、別物を見て、それを選択する行為
への警告なのです。
今日、サンデー、日曜日で、クリスチャンの教会に行きました。
今日は、伝道報告、伝道サポート支援が中心でした。
皆熱心に、ジーザスを伝えたいと願っている。自分の人生、ジーザスを人に伝えるために使いたい!!
高校や大学で留学に来ている日本人がクリスチャンになり、
その人が留学生を教えるグループミニストリーを始めたことを、
スクリーンの画像を添えて紹介していました。
大事なことは、神に出会うこと、でもこれは始まりなのです。
子供が生まれる。その後の成長、人生を歩む上で、神の教えに根付いて生きることを、学ぶ、生きるそれが本当は大事な部分なのです。
信仰の初歩ばかりしか、教えられていないのです。
神の教えは、神の民になった人、血筋に関係なく、異邦人含め
全て神の元にイエシュアを通して、引き寄せられ、取り戻された人が
どのように生きて、神の与えた命をフル、マックスに享受し、
イエシュアの性質通りの影を地上に映し出すのか、それを知って行く
それが荒野の旅路の40年、この世の旅路の人生の歩みなのです。
その中心は、神がされた業、新しくされた人を取り戻されている事実
それさえ、正しく伝えられず、歪められ、曲げられて教えられ、
罪悪感を持たされることを、教えられてしまうのです。
今日は、伝統活動報告が主流で、パスターのメッセージは短かったのですが、イエシュアが過越で処刑された時、神殿の至聖所の幕が裂けた事を、教会では、古い規定が消え去り、今は誰も神に近づける時代になったなどと解説ししていますが、それは、聖書の事実を正しく
解説していません。
聖書の最初から、神の前に、神が見る通りにズレを認めた人は、
許され、義とされ、新しくされた事実を与えられたこと、
エデンの園から、教えられているからです。
切れた幕は、その後修正されて、元通りになっているのです。
この幕を越えられるのは、神の臨在、元に戻る事が出来る方法は、
メシアお一人なのです。地上の大祭司がそれを代表して教えているものなのです。
聖書を、ヘブライ語で記された意味通りに学んでこなかった代償は、
想像以上に大きいのです。
聖書を正しく理解し、後世へ伝える大きな妨害邪魔になっているのです。
真実ではない聖書解説をされてしまったら、神が伝える意味とは違うことを、教会〜異邦人の間では教えられているのに、それに気がつくことさえ出来ないからです。
イエシュアは、この世の礎が造られる以前から存在する神です。
神、父、聖霊、イエシュア、子、どの名で神を呼ぼうとも、
1つの神である理解は、クリスチャンの中にはないものです。
聖霊だけを強調したり、メシア、イエシュアだけを強調したり、
神は1つ〜エハッドであり、分解できないお方なのです。
一人の人は、体も、思考も、全部丸ごとで1つの人でしょう。
それと同じです。どこも切り離せないものなのです。
永遠の中、この世が物理的に創造される以前に存在していた
神だけが存在する領域、世界が先ずあったのです。
神の中〜人が住まう場所は、神の中であり、神の中に「園」が
設けられた事実が最初に書いてあります。
永遠の中に、神より選び出されていたと書いてあるトラーに記された事実を、パウロが解説しているのです。
ヘブライ思索、ヘブライ語で考えるユダヤ人は、創世記の創造を読み
その後の神が伝える言葉を読み、学べば、神ご自身が、人の住まう
場所であるという、神が伝える通りの正しい理解があるのです。
神を、「The場所」ハマコムと呼んだ理由はそれです。
神の伝える事実から、神を人の住まう場所〜ハマコムと呼んだのです。
神は、物理的世界を創造される以前に、既に贖いの代価〜神の元に戻る手段を完結、完了、用意されていました。
それが、永遠の中、神が世界を創造される以前から、屠られた子羊と
ヨハナンが黙示録13:8で解説しているそれです。
どの時代の人も、神に選び出された人は、神の方からアプローチするのです。文字により神の言葉が伝えられる前は、神の口から直接
同じ教え=神のトラーを教えられたのです。
最初は、一人、そして小さい家族。ノアから出て、アヴラハム、
イサク、ヤコブ。創世記は、その家族の歴史の中で生きた事実が
記されているのです。
皆約束の地から出て、エジプトに行き、又戻っていることを見ても
神は同じことを教えているのです。
エデンから出て、閉じ込められ、エデン〜喜び〜神の中に取り戻された場所=生きる場所=神の中に戻ることを、選び出された家族の歴史を通して、同じ教えを教えているのです。
イエシュアが昇天された以降も、神の教えは同じです!
イエシュアが言われた言葉を、教師が正しく理解していないことが
問題なのです。
神の言葉が廃れるより、この天地が滅びる方がたやすい!
詰まり、神の言葉は永遠に廃らないというトラーに記された事実を
イエシュアが強調して語っているのに、イエシュアが語る父の言葉の意味を正しく理解していないことが、問題なのです。
イエシュアが地上に2度来られるのであり、3度目の再臨など
ありません。
3度再臨を唱えているのは、アイランド人ダービー教、
デイスペンセーション神学の教理や、ウイリアム ミラーのような
偽預言者をかばう解説〜彼が唱えた偽預言、再臨預言が実現しな
かったので、ジーザスは、地上ではなく、天の至聖所に入られたのだなどと意味不明な解説をしていますが、歴史の途中ではない!
永遠の中に、全てが完結している事実が聖書から、理解できない人の空想、架空の教理なのです。
不思議な現象が起きる、イコール、神の性質、神の言葉、神の業
救い、贖いの方法が変化すると考える、西洋人の教理の方を全て削除
しないとならないのです。
至聖所に入るのは、大祭司だけです。イエシュアはユダ族であり
天の大祭司の位、メルキゼデクの位に属する大祭司です。
地上の大祭司はレビ族であり、同時にアロンの家系の男子である
子孫です。地上に祭司制度を置いたその理由、意味は、地上に於いて、聖別された人を神が選び出し、そして、天の大祭司である
イエシュアを代理して、人に教える役割を与えたからです。
天の家〜神の家に住まう人、神の家、神にどのように近づくのか
神と人との回復、修復をどうするのか?を教える役割を与えられた
人達なのです。
この地上の祭司システムは、イエシュアが来られたら変わる点ですが、大祭司の役割、意味は、全く変わりません。
地上の代表者は、父の実態を表す長男と同じ、代理人です。
代理人は、本人が来られたら、代理人をする役目は終わるからです。
そして、エレミヤ31にある通り、未来は、全ての人が、神の教えを
理解し、神の大家族の家訓、契約を裏も表も知り尽くして生きるようになる!それが、神が創造された神の似姿そっくりの人の生き方だからです。
二つの分裂家族は、一方が、勝手な主張をし、人間ローマ、
コンスタンチヌスが作った宗教を生きる?などと、聖書には書いて
ありません。未来、全ての人が、神のトラーを生きて、神が創造されたシャバット、新月、祭りを祝うことに戻る!とはっきり預言されているのです。
それが嫌に人は、神から遠い場所に追いやられるだけです。
神の家の大家族として、生きないと決め、神の家族に加わることを
やめたいということになるからです。
目に見えない天の神の家、目に見えない神、天の大祭司を地上で
目に見える形で表し、教える代表者を、神が選んだ、それが地上の
大祭司、そして神殿に仕える祭司の役割、目的です。
クリスチャンの解説する聖書説教を聞いていると、神の教え、
ユダヤ人、そして何でもユダヤ的なことを、無意識的に排除する意識を刷り込まれていることは、話を聞いていて顕著に汲み取れます。
反ユダヤ思想を、知らない間に刷り込まれているからです。
神の教えを、律法と呼んでいるでしょう。
古い教えに戻る=悪い事だ!という意識があるからです。
古い教え?それなら、イエシュアが教えた教え、マタイ以降に記された教えは、全部クリスチャンが言うところの、古い律法の抜粋そのものです。
そして、神の教えの完全版は、クリスチャンが言う新約聖書には記されていないことを、知って下さい。その部分だけ読んでいても、
聖書に記されている、神の教えは、正しくは理解できません。
大祭司が至聖所に入るのは、いつですか?
一年に一度だけ、ヨムキプル、大贖罪日の日だけです。
今は、神殿がローマ帝国により崩壊され、神の祭りは、エルサレムの
神殿では行われていませんが、イエシュアが戻られたら、
再び神殿が正常に機能し、戻り、イエシュアが大祭司として、
祭りを祝うことが、預言されているのです。
神の言葉を信じない場合には、何が書いてあっても、却下し、
人の思想で神の言葉の方を曲げ続け、神が伝える事実に耳を傾けようともしないことが、続くだけです。
その態度、行動は、神を愛していないこと、それを生き様で示す事
であるのです。神を愛する人は、神の仰せ=トラーを生きる!とある事実が、クリスチャンには通じていません。
人間が作った教理、宗教の教えが邪魔をして、聖書を正しく理解する
事を、阻まれているからです。
イエシュアが贖いをされたのは、たった一回だけです。
永遠の中、目に見えない領域で完了した業を、地上で証明された
それが、2000年前の処刑、復活です。
イエシュアだけが、父との隔たりの場所に居た全ての人を、
父の元に引き戻す事が出来る、たった一人のお方です。
それを教えているのです。
人は、人が考えた方法では、神の元に戻れないし、人が考えた
宗教を通して、神に近づく事はできない!とずっと教えられているのです。
それが、モーセの五書に書かれているのに、それを学ばない人には
勝手な方法、自分達の考えを持ち込んで、神の教えを、あれやこれや
好き勝手に変え、聖書とは違う聖書解説をし続けているのです。
神が創造された特別に聖別された時=神が神の子ら全員と会見する日を設けたのに、別物に変えたのがローマ教なのです。
人の家に土足で勝手に上がり込み、その家のしきたりに反する事を
するような、そんなことは、普通の人間関係、生活の中でもしないでしょう。
それが、例え、お隣の家に対してでも、お隣の家のしきたり、ルールを尊重するのが、常識なのです。
それを、神に対して、神の家、家族の間で、非常識〜人間の考え、
構造、生き方を、神の家に取り込み、それをやり続けているのです。