昨日5月10日日曜日は、母の日でした。
この様な記念日は、人が作ったものですが、国、文化、一般の人が
自由に祝える記念日です。
人が作って自由に祝い、神の教えと何も相容れない、違反しないものは、たくさんあります。誕生日、結婚記念日、その他諸々。
建国記念日、戦勝記念日、終戦記念日etc
イスラエルで言えば、聖書に記された記念日、神の仰せの日以外では
1)ヨム ハツマウト 独立記念日 5月14日
2)ヨム ハジカロン 戦没者追悼記念日 5月13日
3)ヨム ハショア ホロコースト記念日
4)ヨム イエルシャライム 1967年 第三次中東戦争で
東エルサレムを取り戻した日など、聖書に記されていない記念日が
あります。
その他では、聖書に書かれているけれど、全ての人が祝う性質の
レビ記23章に記されたモアデイムとは違う性質の記念日があります。
1)プリム これは、エステル記に記された、今のイランイスラム
共和国、アガグ人ハマン、エサウの子孫であるアマレク人、
神が一掃せよ!と命じたその子孫であるハマンのユダヤ人殲滅作戦が、泡と消え、自分が木にかけられ処刑され、彼の家族、子供も
抹消された事件の記念日です。
エステル 9:21 アダルの月の十四日と十五日とを年々祝うことを
命じた。
9:22 すなわちこの両日にユダヤ人がその敵に勝って平安を得、
またこの月は彼らのために憂いから喜びに変り、悲しみから祝日に
変ったので、これらを酒宴と喜びの日として、互に食べ物を贈り、
貧しい者に施しをする日とせよとさとした。
2)ハヌカの祭りは、紀元前2世紀、ギリシャ帝国時代、ダニエル書
で既に預言された反キリスト〜、彼らにより汚された神殿を取り戻し、ユダヤ人に汚れた生き方を強要して、それをしないユダヤ人を
処刑したギリシャ帝国に対する反乱に勝利した記念日です。
これは歴史の中で一度でけではなく何度も繰り返されているのです。1世紀以降のローマ帝国も同じ。
ハヌカをイエシュアがエルサレムで祝った記録が、聖書に1箇所だけ
記されています。ヨハネ10:22
反キリストは、神のトラー=モーセの五書と、神のモアデイム=
神の創造された時=記念日を変える!と預言されていることを、
どれだけのクリスチャンは、聖書の記述から認識しているのでしょうか?
ギリシャ帝国も、神のトラー=モーセの五書を生きるユダヤ人を
全部処刑し、汚れた豚を、むりやりユダヤ人の口に入れ食べさせようとし、それを拒絶する人は、全て処刑されたのです。
異教徒の聖別を汚す衣食住スタイル、生活、礼拝の全てと合体、
同化、迎合、一体、シンクロすることを強要される。
そして、エルサレムの神の神殿の中に、祭壇の上に、きよくない動物
人が食せないと神が教え、祭壇の上にも捧げられない動物、
神の祭壇と神の宮である人の肉体の中に取り入れられない豚を捧げ、
ゼウス神像を運び入れ、神の聖なる宮を汚し、豚の血を神殿中に
まき散らして、神の宮を汚したのです。
異邦人には、全くピンとこない、罪、冒涜行為、神に対する聖別を
汚す行為を、堂々と異邦人がやった、やって来た、やり続けているのです。
神の教えが廃れ、今はポーク、ベーコン、鱗のない魚、甲殻類や貝
生血、血のしたたる肉でも、何でも食べれるありがたい自由の時代が到来した!と喜んで、ポークハムでイースターという「異教の女神の名」がけられた聖書にない記念日を祝う場合には、聖書に書いてある事は、永遠普遍と神が言われているのにその事実さえ理解できない
ままになっているのです。
神は罪の定義も、聖別の定義も、神の教えや神のモアデイムを、
昇天以降、そして永遠に変えません。
神の聖なる宮であると宣言しながら、自分の体をきよくない動物を
取り入れて汚す行為に、それが神の前に罪であるとも、聖書を読んでも全く認識さえ出来ない、何も抵抗が無いのは、神の教えを正しく
理解しないまま、ローマ帝国の偽情報、勅令、嘘=神の教えを捨てよ!と土台にした思想の宗教の実践をしているという事に、
全く無知、盲目だからです。
神が伝える永遠の真実、そのクリアーな事実は、聖書を読めば分かるのに、書いてある神の言葉を人間が「廃れた!」と宣言するローマ
帝国皇帝、教皇、教父の言葉、思想、教え、勅令を取り入れ、信じて宣言し続けて、聖書を退けているから、神の言葉、警告、教えに
気がつけないのです。
サウル王がやった様に、神の言葉を退けて、自分の考えを行う事は
神の目に、天の国でもっとも小さい、意味のない存在で退けられ
遠く蚊帳の外、末席に追いやられる事なのです。
いや、神の家の中にけがれたものを持ち込むものは、立ち入り禁止
になることさえ、理解していないのです。
イザヤ65:2 よからぬ道に歩み、自分の思いに従うそむける民に、
わたしはひねもす手を伸べて招いた。
65:3 この民はまのあたり常にわたしを怒らせ、園の中で犠牲を
ささげ、かわらの上で香をたき、
65:4 墓場にすわり、ひそかな所にやどり、豚の肉を食らい、
憎むべき物の、あつものをその器に盛って、
65:5 言う、「あなたはそこに立って、わたしに近づいてはならない。わたしはあなたと区別されたものだから」と。
これらはわが鼻の煙、ひねもす燃える火である。
イザヤ 66:17 「みずからを聖別し、みずからを清めて園に行き、
その中にあるものに従い、豚の肉、憎むべき物およびねずみを食う者はみな共に絶えうせる」と主は言われる。
主が宣言するという意味は、「実印、印章」です。神が言われる!と言うことを、人間が勝手に破る違反行為を続けていても、神の言葉が廃れたという大嘘を信じていれば、それは何でもありの無法地帯に
なるのです。人が神になり変わっている。
考えたら分かるはずです。エデンの園で神が唯一禁じた、それは
食べる事に関して禁じた事なのです。神が言われた。この木〜
知識の木からだけは食べてはダメ!それだけ!それ以外食べて良い!
その神の言葉を破る。今も全く同じ行為を、神に対してしていることに、全く気がつけない理由は、人が神の教えをアダムとハヴァと同じく退けて、自分の理屈、人の理由づけをして、神はそうは言って
ないかも〜今は恵の時代で、十字架で神の言葉=律法を処分したから、もう神の言葉に聞いて生きなくて良い。自分が励まされる箇所だけ、適当に読んでればそれでOK。
この思考回路は、神の言葉、トラーの正しい教育が欠如している
証拠そのものなのです。
人が神に創造されたように、何を食べてはならないか、体に取り入れてはならないか、そして頭脳に、どんなものを取り入れてはならないか、神が教えているのです。
クリスチャンの男性で、よからぬ動画を見続ける罪に陥る、
いや、そこまで行かなくても、神の教えを堂々と否定する毒な教えや、動画はたくさんあるのです。そのようなことも、何を食べて、
何を食べないという基本的な神の教え、シンプルな教えの意味が分からず、自分の願望、欲に合わせて、ずれた物を、頭脳に、体に取り込み続けているのです。
神の教えが、昇天以降変化したという大嘘、人間の教えの大嘘を、
聖書を読んでも、使徒以降読んでも、それは神の言葉、聖書ではないとも、クリスチャンは全く気がついていないでしょう。
聖書に書いてある意味とは違う、間違った聖書の読み込みをしている教師に教えられ続けるからです。
使徒以降、そこに記されているのは、100%モーセの五書=トラーを生きて、実践し、神が創造されたモアデイム、シャバット、新月
過越、仮庵を祝って生きていた人のことしか書かれていないのです。
シャバットを祝う、イコール、神の創造された全てのモアデイム
100%祝うということを、クリスチャンは理解していないのです。
聖書に書いてある通りを教えられていないからです。
聖書に登場する、ユダヤ人のように、聖書を正しく教えられていないからです。
演奏家がステージに出て、その曲のある箇所、数小節だけを
演奏しません。
全楽章、又は1曲あれば、その曲を最初から最後まで演奏するのです。それが作曲家が作った曲の意図だからです。
部分的演奏では、聴衆に作曲家の意図は伝わらない。
クリスチャンの世界に伝わった教えや、実践は、人間の思想が
混じった西洋宗教です。イエシュアが教えた父の教え=トラーではない、混ざり物です。その証拠に、イエシュアが律法を終わらせたと
いう大嘘、偽情報を信じ、イエシュアが祝われたシャバット
新月、過越、仮庵の祭りをクリスチャンは教えられてもいないし、
当然祝わない。聖書に照らし合わせて変だと気が付かないのです。
聖書に、人間、ローマ帝国が聖書が閉じられた後の4世紀以降に
作った、日曜礼拝、クリスマス祭り、イースター祭りなど書いて
ない。
聖書に人が、神の教え、祭りを勝手に変えて良いなどと書いてない!
書いてあると読み違えているのは、聖書を正しく理解しない
聖宗教教理を神学校で教えられてしまった教師だけに、聖書とは
違う教えを教えられ続けているから、それが本当の原因です。
そうでしょう。イエシュアが教えた父の教え=トラーを、
ヘブライ語、オリジナルに書かれた通り、パウロが解説するように
教える教師が異邦人の世界には、今迄全くいなかった。
それは、ユダヤ人と2世紀以降完全決裂し、異邦人は、ローマ帝国の宗教を教えられ、ユダヤ人はイエシュア信者だろうが、そうではなかろうが、神の教え=トラーを教えられ、神の言葉に根付いて生きる事を、世界のどこにいてもずっと契約に根付く生き方を継承して来たからです。
神が神の教えが、偽物により変化させられないよう、オリジナル言語
ヘブライ語聖書を与え、一字一句翻訳聖書のように人が変えられない証拠として残し、そして神の教えを、その通りに生きる聖別された
残りの民を神が、どの時代にも確保して来たからです。
そうではなければ、世界中に今のように人間が変えた宗教の教えと
教理、その宗教の教えの実践と、神のモアデイムではない
別物の記念日だけしか、人に伝わらなくなってしまうからです。
聖書には間違いはありません。聖書を読む読者の読み方が間違って
いるだけなのです。それは、聖書を解説する教師の教えが、聖書ではない、人の思想を通して、神の言葉を、変えている、歪めている、
曲げている!それが聖書が正しく解説されていない、本当の問題の根なのです。
日本に伝えられたのは、イエズス会の教えであり、イエシュアや
パウロが教えて生きた、トラー、契約に根付く生き方など教えられてもいません。
ある部分の神の言葉だけを、教えられているだけ。
しかも、教えられ方の声、トーンが全く違うのです。
性悪説〜人は悪い!罪人!そればかりを強調し、神がされた修復の
事実、新しくされた人を、神の教えに根付いて生きる!という教えが、ごっそり抜けている、かけているのです。
しかも、ザビエル、当時の人の裏にあった計画は日本侵略。
仏教の一派、天竺教?そう言う嘘に塗り替えるのが得意なのが
神の教えを平気で曲げる異邦人なのです。
クリスチャンの間に浸透した日曜礼拝、クリスマス、イースターも
異教神を信じる人に馴染んでいる教えだから、異教神の祭り、
記念日、それらをリニューアルして、彼らに馴染みのある日に変えよう!神のモアデイムを捨てよ!
こういう違反行為が、罪、冒涜とも理解できない教皇、教父に教えられた代償、損失は根深いのです。
動機が純粋なら、それでOkと考えているでしょう!違うのです。
神の言われたことを、神が言われた通りに受け取り、それを実践するそれが聖書で言うところの「神を愛すること」であるのに
人間が神の教えを自由自在に曲げて、変えて、偶像を通して神を、
自分たちのやり方、考え方をと教え礼拝する〜神を愛する〜と思う。
誰かが自分を愛しているなら、自分の言うことに熱心に耳を傾けて
伝えた通りを実行してくれる人でしょう。
妻が夫の言うことを無視して、関係のない隣の旦那の言うことは
熱心に聞いて尊重したら、それは不貞行為、裏切り行為です。
それと同じことをしているのに、気がつけないのです。
みんなが、20世紀近くもやっているから、気がつけない、
分からないだけ。
当時日本に入ってこようとした人たち、DSの手先であるから、
日本は鎖国していたのです。
悪魔の教えと、パウロが神の創造を曲げる結婚を禁じることを
当時の司教は、教皇の命令に従わせられ、LGBTになる。
又は、内縁の妻を持つ。
こんな歪んだ、汚らわしい生き方を取り入れながら、神を信じると
言い、内側に住まうイエシュアを汚しながら、聖書とは異なる思想を教えられてしまったのです。
クリスチャンがLGBT賛同? そんなことが神の前にOKと勘違いしているのは、聖書=神の言葉に記されている罪の定義を、異邦人が廃れた!という偽情報を拡散しているから、自分の考えで神の言葉を変える人が続出の2000年間になってしまったのです。
イエシュアは、ズレに気がついてそれを捨てる人を、許します。
そして、その罪を続けることを、断固として禁じています。
罪をし続けて良いよ〜それは、サタンの声であり、イエシュアの声
ではありません!そのような人は、神の家の中に入れないと書いてあるのです。天を相続できない。
リーダーが、牧師が、聖書とは違うことを教えている悲劇があるのです。
異邦人は、最初から、イエシュアが生きて教えた、契約に根付く
生き方など教えられてもいないことに、気が付かないとならないのです。
神の家、宮、人の体にも、きよくない動物は取り入れられないと、
神が言われる教えを真っ向から否定するのが異教徒上がりの異邦人です。神に聞くという、基本的な態度、真実がないのです。
神の教えを知らない!使徒15章に書いてある異邦人イエシュア信者と全く同じなのです。
飛行機に乗る時に、様々な規定があるでしょう。
ライター、ナイフを危険だから持ち込めない。リチウム電池が爆発するかもしれないから、スーツケースに入れてはならないなど、様々なルールがあるのです。
神の家にも、神の家のしきたり、ルールがあるのです。
神の家の食卓の上には、祭壇の上には、豚や汚れた動物、人間の食せない動物は持ち込めない、人もそれを食べられない。
神が言われることを、人が違反するのは、権威を無視する行為。
ダメなものは、永遠にダメ!その理由は、その時深く理解できなくても、危険だから、異物だからダメ!神がそう言われる!と理解しないのが元々異教徒、神のトラーに根付いた生き方をしない、異邦人なのです。
食べ物のでも、思索でも、行動でも、生き方でも、全部丸ごと、
神に属さないもの、神の性質に反する生き方を、神の家、神の宮には取り込めない。
こんな簡単なことに、神の教えに対して異議申し立てする、その態度こそが、神にを愛していない、自己主張をする人の思想、態度、行動なのです。
神が言われた事に対して、神の言葉、教えに対して、人間が仕分け、選別し、アーメンと言わない異邦人。
自分の中に取り入れてはいけないことを、神が教えているに、
神に造られた人間が、神に物申し続けて、罪、違反、聖別を知らないから平気で汚す行為をしながら、神を愛していると思うのです。