西洋宗教は、神の教えを「律法」と不適切な訳で呼び、古い教え
廃れた教えと毛嫌いするような意識をコンスタントに放り込んでいますが、ユダヤ人は、同じ神の教えを、契約と呼び本当に大事に受け取っているのです。
しかも、西洋宗教は勘違いを教えているのです。
神の教えは、1つしかない。それは人が勝手に分解などできない!
神の言葉を仕分け、捨てる行為は、イエシュアの足、手、頭を自由
自在に、人間がもぎ取っている行為なのです。
モーセの五書に記された教え全部が神の丸ごと1つの教えであり、
神の者とされ聖別された人が生きる、1つの家訓は、ユダヤ人も、
異邦人も全く同じであると書かれているのです。
神に聞かない態度、異邦人に浸透した偽の思想が、その様な冒涜
罪が罪であるとも、分からなくさせているのです。
その単純、シンプル、明快な事実が書かれている神の言葉から
理解しない人が、神の言葉とは異なる異端思想を言い続けている
だけです。
聖書に戻ろう!と言うならば、実際にそうしないならば、ただの口先だけの空回りで、実態も何も無い、意味がない主張です。
聖書信仰という、その主張にものすごい違和感があります。
事実ではないことを、主張しているからです。
神の名をみだりに唱えるなかれとは、まさにそのようなことに
対しての警告なのです。
みだりに神の名を唱えるなとは、神が伝える実態とはズレた、
空虚を語るな!別物を生きるな!と書いてあるからです。
神の教えを「律法」という異邦人の意識と、神の言葉をこよなく
愛すと考えるユダヤ人の中にある意識。
この違いは何?同じ神の言葉なのに、異邦人は律法、廃れた、破棄、
自分には関係ない教え、十字架で終了!などという、異端思想を語りますが、それ大嘘、神の言葉、声などではありません。
この違いを目の当たりにしたのが、イスラエルで初めて体験した
仮庵の祭りの時でした。
神の祭りで、神のトラーの巻物を高く掲げて、皆が喜び踊っている姿を見ると、契約を受け取った代表は、神の言葉を、蜜より甘いと詩篇の記者が語った通りの意識でいるのです。
異邦人は、神の教えを悪い、古い、悪いと憎むように仕向けられ
ユダヤ人は、神の言葉通り、この神の言葉を大事に大事にする!
神=言葉=イエシュアであることを、理解しない異邦人は、神の言葉に敵対する行為、イコール、イエシュア=神=聖霊に敵対する行為であることを、全く理解してないのです。
異邦人は、こういう意識です。
1)神が厳しい律法を与え、その厳しい律法を十字架で処分した
それが昇天以降神が与えた恵だ!
それなのに、古い教えに戻るとは、恵を捨てた生き方である!
2)今は、人が神の教えを仕分け、いつでも神の安息日、その人が
良いと考える日が、安息日だ!と聖書を正しく理解しない、
間違った聖書解説を教えられているのです。
ローマ14に書かれている「日」とは、冠詞のつかない日〜普通の日です。聖別された神のモアデイムのことなど、パウロは話してもいません!使徒であるパウロ、トラーに100%忠実に生きていると
公に宣言したパウロがどうして、神のモアデイムを人間が変えて良いと言う、反キリストの教えを人に施すのですか?あり得ないことを、クリスチャンが言い続けているのです。西洋宗教の教理は。
イエシュアやパウロが、人に罪を生きる様に奨励する?
全く狂った思想なのです。
意味不明な解説ばかりが、施されているのです。
書いてある意味ではないことを、教えられてしまう。
これこそが、人間の宗教、思想、教理であり、偽情報そのもの。
そんなことを教えられていたら、聖書を正しく理解せず、偽物に
誘われても、気がつけないのは、免れないのです。
神に敵対する思想を解説しているのに全く気がついていないのです。
神が教えている罪の定義とは、神のトラーに違反する行為なのです。恵とは、神のトラーに違反した生き方を、許すことです。
そして、受けるに値しない何もしていないのに、永遠の中、
既に屠られた子羊の贖いの代価が用意されていた。それが恵です。
神の教えが消えたら、罪の定義もない、よってイエシュアの購い
許しも必要なくなります。恵も要らなくなる。やりたい放題Ok、
無法を生きることになります。これ、聖書とは真逆な教えです。
恵を捨てた生き方とは、神が伝える本物の生き方=イエシュアが生きたトラーを捨てる生き方そのものなのに、クリスチャンの世界では
神の言葉を捨てることが恵だ!と嘘を教えられてしまっている。
本当に蛇の声=悪魔の思想を平気でクリスチャンが言っているのです。
考えたら分かるはずです。神が、神の教えから右へも左へも逸れるな!と言っているのに、どうして同時に矛盾した教え、神の教えを
捨てよ!と神が言うのですか?聖書に照らし合わせて辻褄が合わない、おかしいと分からないほど、偽物の教えを刷り込まれている
ことに気がつけば良いのです。
神の教えが廃れたという、人間が編み出した大嘘に照らし合わせるから、神の言葉の方を曲げる、歪める、捨てる行為が後を絶たないのです。
神の言葉を捨てる、それは神に対する反抗、反キリストがする行為
であることを、聖書からはっきり知って下さい。
神を愛する人は、神の仰せ〜トラーを生きる!とイエシュアが言われた言葉が、書いてあるのに、神を愛する人は、神の教えを捨てて、
それぞれが勝手に自由に考えたものを生きる!という偽物の教えを
刷り込まれ、それが聖霊時代、恵の時代、律法時代、怒りの神の時代が終わりという大嘘を教えられているのです。
はっきり言って、西洋宗教の教えの方が、ずっと律法主義的で、
負担、重荷で、苦痛です。神の仰せではない様々な宗教活動、
十1献金、奉仕をやらされる。これら、神の教えではありません。
そして、教会と呼ぶ属する群れから去れば、神を裏切るとか、
呪われるとか、脅迫までされます。
これ、人を縛る本当にひどい教えです。
励まし、支え合う仲間は必要であり、聖書を正しく教えることができる教師は必要ですが、人間の作った宗教と、その組織に加わることは
神の仰せではありません。
二言目には、信仰が足りない、悪いとか、祈りが足りないなどと
責められる。
しかも、リーダーが、群れに集う人を、所有しているような感覚を
持っている人々が大勢いるのです。それこそ、異常な思想です。
多くの人は善良ですが、人を虐待する多くのリーダーもいるのです。
金銭搾取、性的虐待、人の自己像を破壊する思想を語るetc etc
正しく神の言葉を理解する人は、そのように人を支配、操作、誘導
所有しません!
こんな、嘘に縛られて、苦しむ人が大勢いるのです。
結婚を禁じたり、好きな職業に就くことも禁じたり、喜び、楽しむことは悪い!と教える人もいる禁欲主義です。
偽物の教えで、人を様々に縛るからです。
超不健全な教えを平気でする。宗教活動に熱心ではない人、
イコール神を愛してないとか、勝手に人を判定しますが、宗教活動?人間=西洋人の作った宗教を信奉することこそが、元々神の教えからズレているのです。
神の教えを捨てて、人間の作った思想、宗教、その宗教活動に
邁進させられることこそ、時間の無駄、労力の無駄はありません。
あなた方は真理を知り、真理はあなたを自由にするとあるのは、
神が伝える言葉、教えが真理だからです。
その逆は、真理ではない〜聖書を否定する人間の思想は、人に不真理を教え、不真理は、人を不自由にする。全くその通りのことが起きているのです。
ある人が、キリスト教の牧師に怒られたそうです。
85歳のおばあちゃま。具合が悪いと言ったら、信仰が足りない!
祈りが足りないと怒られたと、助けを求めて来た人がいます。
宗教の教えに洗脳されると、常識さえなくなるのです。
お年寄りは、何の不調もなく、ピンピンしている方が不思議です。
私も言われたことがあります。体調不良が続いた大学四年、
卒業の最後の年で色々ありストレスだと思いますが、
言われたました。
「癒しの盛んな教会があるのに、どうしてその牧師のところに行って祈ってもらわないのか?愚か者!」と言われたことがあり、本当に
ひどい言葉を言うものだと、今は思いますが、その時は、
自分が悪いのか、信仰が足りないのかと思っていました。
今だったらそのような毒の言葉は、その場でゴミ箱に即捨てます。
もう宗教の教えは、さようならです!不健全すぎる。人が神の言葉を否定する思想、神のモアデイムを平気で破るよう人に教えること
聖別の意味も知らない、罪の定義もゆるゆるで、人主体。
そんなことを教える教えには、違和感しかない。
聖書ではない教え、実践をすることに、耐えられない。
もう一つ、人に罪悪感を与えるのは、献金に関しての教えです。
収入の10%を捧げないと、神のものを盗んでいる!と教えられる。これ本当に害毒な教えであり、聖書に書かれたことを理解しない人が、トラーを廃れたと教える人が、献金搾取のために、神が意図していない教えを、聖書を利用して解説しているのです。
嘘です。嘘。酷すぎる。
律法は廃れたと言いながら、都合よく勝手に、意味とは違うのに
思想を主張するために、神の言葉を利用しているだけでしょう。
マラキ3:8人は神の物を盗むことをするだろうか。
しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた
クリスチャンは、トラーを学ばないから、十一件金などという思想を
編み出すのです。
トラーに書かれているのは、キリスト教が主張する献金などとは
全く関係ありません。宗教組織支える資金ではない。
しかも、主に農作物です。
1)シャバット、祭りを祝うために取っておく。皆が神の前に
喜び、楽しむために、お金を取り分ける。
クリスチャンは、イエシュアが教えて祝った神のシャバット、新月、過越、仮庵の祭りさえ祝わないでしょう。その代わりコンスタンチヌス皇帝創作の記念日を尊重し、祝う。
2)レビ族の祭司たち、神殿のため、イスラエルの国の税金と同じ
3)寡婦や困った人のために、周りで困った人がいたら、
与える余裕がある人は、いつでも自発的に助ける。
神の前に捧げるコルバンも、全部、自発的なのです。強制はゼロ。
神は、西洋人が作った宗教活動をしろ!西洋人が作った宗教の記念日クリスマス、イースター、日曜礼拝を死守し祝え!などと言っても
いませんし、そんなこと教えてもいません!
それらは、4世紀に出来た人間の作り物です。
神が教えるのは、イエシュアが教えられたトラー=父の教えを生きて
そして、神が呼び出したモアデイム、シャバット、新月、過越
仮庵の祭りを祝って!とイエシュアも言われたでしょう。
聖書に書かれたことと、西洋宗教の教えや、記念日、実践は、
全然違うではないですか。問題は、人の教え、記念日を尊重し、
神の教えと、神の創造された記念日を捨てていること!
それは罪なのです。
詩篇119は、神のトラー、クリスチャンが律法と言い続けている
神の教えを賛美、慕っていることがずっと綴られています。
クリスチャンは、詩篇や箴言を、古い廃れた今は異邦人には関係ない律法など考えていないでしょう?
聖書は、どの箇所も、トラーを解説しているのです。
間違った固定概念を植え付けられてしまった残念なことを、
正しい意識、クリスチャンが聖書は神からのラブレターと言うなら、
トラーがその神のラブレターであるのですから、聖書に基づいた
正しい知識、意識に起動修正する必要があります。
詩篇119:97 いかにわたしはあなたのおきてを愛することでしょう。
わたしはひねもすこれを深く思います。
119:98 あなたの戒めは常にわたしと共にあるので、
わたしをわが敵にまさって賢くします。
119:99 わたしはあなたのあかしを深く思うので、わがすべての師に
まさって知恵があります。
119:100 わたしはあなたのさとしを守るので、老いた者にまさって
事をわきまえます。
119:101 わたしはみ言葉を守るために、わが足をとどめて、
すべての悪い道に行かせません。
119:102 あなたがわたしを教えられたので、わたしはあなたのおきてを離れません。
119:103 あなたのみ言葉はいかにわがあごに甘いことでしょう。
蜜にまさってわが口に甘いのです。
西洋宗教は、神の教え=み言葉は、律法、古い、廃れた
十字架で処分された!という偽情報を堂々と語ります。
聖書ではない間違がった教えの歪んだ聖書解説の方こそ、一掃し破棄しないとならないのです。
事実、聖書を読んで、励まされているのでしょう?
どの箇所を読んでも、それは神の教え=トラー=モーセの五書の解説であることに気がついていないだけなのです。
マタイ以降を読んで、そこに申命記のあれ、レビ記のここ、民数記の
出エジプトのあの箇所が解説されているという様な読み方は、
クリスチャンはしないでしょう。
最初の部分、聖書の本編を学ばない人には、後書きだけを読み、
その箇所は、最初の部分と違う別の教えが書いてるという偽情報を
教えられ、そして不適切な間違った聖書解説で、書いてある意味を
曲げて教えられてしまっている落とし穴があるのです。
本当に、事実ではない、聖書とはズレた聖書解説ばかりが、施されてしまっているのです。