羊飼いはお一人 神の羊は1つの群れ 1つの羊の群れの囲い 1つの神の家に生きる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

人の問題の根は、最初から同じ。神に造られた人が、神に物申し、

神の言われることを、その通りに聞かず、それぞれが勝手な思想を

作り出して、自分の考え、金の子牛、それが教えであろうと、

神の言葉が破棄されと主張することだろうが皆自己主張。

そして神の創造されたモアデイム全部捨てて、別物にすり替えた

ローマ帝国=人間が作った偶像、混ざり物、偽物にすり替えてそれが本物!と教えらてしまったのです。

これシナイ山の麓でイスラエルと異邦人が同じ事をしたでしょう。

人ごと、異邦人には神の古い教えは関係ない!という、偽の教え

偽情報、まやかし、嘘を信じれば、神の言葉など、自分に都合悪い事、遠い古代の関係ない出来事くらいにしか、聞こえなくなるのです。

神は同じ警告を今も、異邦人に対しても教えているのです。

それは、神の教えは、1つしかないからです。

 

出エジプト32:4 アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。

 32:5 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた。

そしてアロンは布告して言った、「あすは主の祭である」。

32:6 そこで人々はあくる朝早く起きて燔祭をささげ、酬恩祭を供えた。民は座して食い飲みし、立って戯れた。

 

これ何が問題か分かりますか?金の子牛は、偶像だと分かりますよね。形にしなくても、人の思想=偶像なのです。神の言われた事とは

違う事をする、違う祭りを祝う、全部偶像なのです。

偶像は、人の思想の中にあります。イスラエルの神に属さない、神を

偽証し、違うものを編み出す、教え、儀式、記念日、彫像、全部人の

思想で編み出した偶像なのです。

それら全ての大元は、人間の考えだからです。

神の考え、言葉、教えではない!それらを通して、イスラエルの神に

勝手な方法、人間の考えを通して近づく違反なのです。

神が言われた通りではないことを、人がすること。

金の子牛〜人間の思想で考えた彫像=神〜エジプトから引き出した?

それは、イスラエルの神であり、金の子牛ではないでしょう。

金の子牛は、エジプトの太陽神、その偶像です。エジプトで学んだ事を通して、イスラエルの神を拝んでいるのです。

異邦人は、ローマ帝国が作ってしまった宗教の教え、実践にすり替えられたものを教えらてきてしまったのです。イエシュアが教えた契約に根付く生き方など、教えられてもいない。

これ西洋宗教がそっくりそのままやっているのに、気が付かないのです。

金の子牛=偶像の神々、異教の地で学んだ礼拝方法。

神への近づき方。偶像礼拝です。

ローマ教は、太陽神信仰、だから 全部「サン」太陽!!!

全部日曜日。サンデー。ローマ帝国の日、皇帝の日、太陽神の日。

太陽神のシンボルが西洋人の聖画に記されているでしょう。

ローマ教のシンボル、太陽、至るところに太陽の光、

ビームの偶像がある。全部、太陽だから、サンデーなのです。

神は昇天後、神の教えを破棄し、神の記念日を破棄し、人が考える日

どの日でも聖別された日!そんな偽物の思想、聖書に書いてもない事を誤解して信じているからです。書いてある事実とはことなる、

違う教えに人を導く、粗末な聖書概念が施されている。

 

聖書ではない、ローマ教の思想、反モーセの五書思想、トラーを

生きる事を勅令で禁じたのに、それを知らないまま、神が神の教えを変えた!という大嘘、進化論をこれほどまでに、固く浸透させ、

多くの人を聖書ではない教えにいざない、神の前に聖別を汚す生き方を堂々とさせている。これ、あれと同じです。生物兵器!

これは、あなたを守るもの!と、毒を堂々と、公的に人の中に盛り込んだ、あの悪徳サタンと同じです。

 

人に、神の教えを捨てさせた。部分的都合の良い箇所、信じるだけで

OKという教え。

神の教えではないのに、勅令に服従させ、勅令=神の教えを捨てない人は、ローマ帝国に全て処刑されたのです。紀元前2世紀のギリシャ帝国がやったことと、全く同じ事を繰り替えしたのです。

 

ローマ帝国、独裁主義国であり、皇帝の命令に従わない人は、処刑!

皇帝、教皇がどれほど権力を持っていたのですか?今も同じ。

聖書、神の教えではないこと、偶像、思想を次々編み出し、司教に

対して、結婚を禁じる悪霊の教えを強制執行命令し、この宗教の司教になる人に

システムとして盛り込んだ。それだけでも、それは、神の教え、

聖書ではない!と、どうして聖書から気がつけないのか、

その方が不思議なのです。

結婚を禁じた理由は、莫大な資産が、相続で外部に流出しないため、全部聖書ではない、神の創造を歪める異物な教えが盛り込まれて来たのです。

宗教とはそういうものなのです。見た目は、神のために捧げてている〜!というでしょう。神に創造された人通りを生きる!これが

本物なのに。

朝早く起きて、コルバンを捧げるとは、神の定めた場所、祭壇に

祭司が捧げるものです。 人が勝手にやっている。

 

過越の祭りで教えられている、神に贖われた人は、もう以前の自分ではありません。水をくぐり、死んだ!イエシュアと共に死んだ!

そして、生まれ変わった人は、以前の自分ではなく、新しくされた人。神はこの事実からだけ、全てを話しているのです。

 

祭壇の上に捧げられる、シミ、傷、欠陥がない初子の動物

それらは、イエシュアと同一にされている事実を、神が教えているのです。其の事実=新しくされた人を与えられた状態からだけ、

神に近づいて、関係をもって、対話して!と教えているのが

祭壇の上に捧げられるコルバンなのです。

 

そして、全焼のコルバンとは、オラー、立ち上るという意味ですが

煙で目に見えるでしょう。絵画的教えです。神の中、見えない天の

中に、完全に受け取られている!芳しい香りは、あなたそのもの!

神には、私たち一人一人は芳しい香りで、高価で尊いと言っているのです。でも、宗教の声は、責めです。

 

所詮、「今も許された罪人だ」という偽の自己像を自分に、

人に刷り込むのをやめて、イエシュアがされた業だけを見て、

その事実からだけ生きるということに、切り替える必要があるのです。

新しくされた人と分かる人の方が、よっぽど、神の性質からズレる事に対して敏感になれます。

罪人と言い続ける人こそ、罪を犯す理由を自分に与え、偽の自己像のまま、所詮罪人だから仕方ないさという言い訳を言い続けます。

 

復活の命=イエシュアの命に繋がったことを表すのが、過越の祭りの

種無しパンの真ん中に来る、「初穂」の祝い日です。

神が創造された記念日、アポイントメントの日、モアデイムは人が

作り変えたそれと違い、福音を網羅する完璧なモアデイムなのです。

神が創造されたものは完全。人の創造は偽物です。

イエシュアの業が、全部網羅され、未来の再臨、世界統治、

神の国に住まうこと、全てを教えているものだからです。

 

日曜礼拝、クリスマス、イースターは、人間、ローマが作った物であり、神が造ったモアデイムではありません。

神が創造されたような、神が伝えるイエシュアの業を網羅する物

ではありません。人間の作り物であり、神に属さない、ローマ帝国の

宗教に属する記念日であり、イスラエルの神のものではありません!

 

クリスチャンが唯一、聖書に書かれた祭りを話題にするのは、

ペンテコステです。これは、シャヴオートというヘブライ語の名で

呼ばれるものです。週(複数)という名の祭りです。

ちょうど、エジプトを出て7週後、過越から7週後、モーセがシナイ山に登り、イスラエルという正式な神の民、国家となる上で与えられた婚姻契約を受け取ったのです。

 

シャヴオートは、聖霊降臨祭ではありません。使徒2章のように

神が不思議な現象を起こされたことは、過去に何度もあります。

何度も神ご自身が、目に見える形で、雷、火、とどろき、風など

不思議現象を通して、神ご自身が人の前に現れ出たことは何度もあるのです。

他国の言語で人々が話し出したとあるのは、意味不明な言葉ではなく

人が理解する言語です。この意味は、使徒達が力を受けて、全世界の様々な言語を話す民族に向けて、神の教え、トラーを大々的に伝える幕開けになったからです。

 

イエシュアの完了の業は、永遠の中から同じであり、完結しています。どの時代の残りの民、永遠の中に神に選び出され、聖別された人は、同じ救い、贖い、赦し、聖霊を内側に受けていたのです。

それが聖書に書かれているのです。

 

特別な力を受けるとは、使徒達はこれから多難な道のりを行く、

聖書を記したり、人に正しくトラーを教えたり、タナックに記された

約束のメシアが預言通り、タナックに書かれた通りのことをされた!

という事実を人々に伝えるために、特別な力が必要だったのです。しかも最後は皆ローマにより処刑された。

 

シャブオートは、収穫祭、小麦の収穫祭であり、神から正式に

神の民、花嫁となった人が、婚姻契約〜文字で記された法的証書を

受け取った記念日なのです。

 

これを、終了、無用、破棄!と主張するのが、西洋宗教=人間由来の宗教の教えであり、神が伝えることを、真っ向から遮る教えを堂々としているのに、聖書から其の事実、その行為が何を意味するのか、

神の前に大罪であることさえ、罪の定義、聖別の定義を終了!と

信じる人には通じないままになっているのです。

 

聖書に何が書いてありますか?

空想話を捨てて、考えれば分かります。未来、エレミヤ31:31に書かれた通り、誰も主を知ろう!という必要がなくなる。

誰もが、神のトラーを裏も表も知って、契約に根付く生き方をする

それが、神の国、天の国の生き方だからです。

そして、人間が作った宗教の教えや、記念日はことごとくなくなるのです。

そのなくなるもの〜人間の作り物の教えと記念日を、どうしてやっているのか?そして本当のもう一つの問題は、人間の作りものを取り入れて、神が永遠に祝い、汚すなかれと教えている神が創造されたアポイントメントの日をことごとく捨てた事。その行為は神に真っ向から反する事と、聖書に基づき考える人には、聖霊=神の言葉から教えてくださいます。

 

神はエハッド、1つ以上で全く1つ、隔たり、隙間、乖離がない

一体です。羊飼いも一人。群れも1つ。イスラエルの羊の群れに

異邦人の羊の群れも加えられ、同じ囲い=神の家の中に住まう。

自然の木〜イスラエルに、野生の木=異邦人が接木され、1つの木となると説明しているでしょう。

 

どうして、聖書に書いてもない分裂思想を本気で信じられるのか?

それが、人の教えによる洗脳、騙しなのです。集団催眠と同じ。

偽の教えの集団催眠から目覚める方法は1つ!神の言葉、声に聞く!真実に目覚める方法は、神の言葉だけに戻る事です。

 

 イスラエルの神は、ユダヤ人、異邦人へ同じ神。

神は変化しない。イスラエルの神の大家族、羊の群れも1つ!

羊飼いは、唯一お一人だけ。

エハッド、1つ以上で全く1つの性質を、破壊する思想は、

エハッドに戻る、1つの神、1つの大家族、1つの神の教え、

それを妨害する全て偽物の教えなのです。