神の教えを、神の記念日を、人間が別物に作り変える違反を続けて
来たことに、異邦人クリスチャンが全く気が付かない理由は、
昇天以降は、神の言葉が廃れた!と言う嘘、偽情報、ローマ帝国が
勝手に決めて勅令とし、反モーセの五書、反ユダヤ思想を土台とした
宗教の教えが、伝達され、蔓延し、浸透し恒久的に異邦人の世界に
浸透したからです。神の教えではないものが、異邦人の間に浸透した!
神の言葉ではなく、人の作った教え=偶像にすり替えられているのです。
神の教えは破棄、廃れた、十字架で処分された!と教えられ、そう
言い続け、神の創造されたモアデイム〜呼出日を全部捨てたのが
西洋宗教。
その代替え、人間の作り物の教えと、ローマが作った記念日を祝う。
ローマ帝国が、反ユダヤ思想、反モーセの五書思想であり、それに
連なる西洋教父達は、皆反ユダヤ思想でした。
問題は、2つあります。
1)人間が神の教えを捨て、神のモアデイムを捨てた事。
これは神が伝える罪そのものであり、聖別を汚す行為です。
これは、異邦人には神の教えは関係ないという嘘を信じる人には
神の教えや警告は永遠に通じません。イスラエルを代表として、
彼らがやった失敗を通して、同じ警告を異邦人にもしているからです。
2)神のモアデイムを捨てただけでなく、人間が作った別物を
代替えとした、これは金の子牛=偶像礼拝の要素そのものです。
1列王記12章でヤラベアム王がやった罪そのもの。
シナイ山の麓で、金の子牛を通してイスラエルの神を礼拝し、
神の祭りを祝ったイスラエルと異邦人の罪と同じなのです。
別物を作り、それら偶像を通してイスラエルの神に近づく!
神が言われた事を守らないで、違う方法で神に勝手に近づく。
ナダブとアビフの罪と同じです。
それをするな!と言われているのに、全く気が付かない。
金の子牛=ローマ帝国が編み出した数々の聖書とは異なる思想
儀式、偶像、別の記念日です。
そして、神の教え自体を否定していること。教皇、教父が聖書ではない教えを、今に至るまで編み出し続けている冒涜。
宗教改革後、神の教えに戻るべき!と主張した極少数の人もいたの
ですが、大きな権力などにはとても勝てない!
16世紀の宗教改革後、全部聖書の通りに戻ろう!と主張した人達の訴えは、全部却下されたのです。
これ、分かると思います。今クリスチャンに、100%完全に聖書に戻ろうと言っても、ほぼ通じません。
プロテスタントは、聖書信仰ですと、考えているからです。
そして、聖書の最初の部分の教えは廃れた、古い律法!という大矛盾を信じているからです。
どこから、どこまでがクリスチャンの言う聖書なのですか?
イエシュアが教えられたのは、100%モーセの五書=父の教え、
トラー、婚姻契約であることを、全く理解していないのです。
それは、神の教え、言葉のつまみ食い信仰、自分都合中心信仰で
あり、聖書を100%完全なる神の言葉などと信じてもないのです。
そうではないのは、イエシュアが教えられた教え、モアデイムを
では、どうして捨てて、ローマ教=人間の作った思想を取り入れているのか?と考えてもいないからです。
そして、最後は、ルターも、反モーセの五書、反ユダヤ思想となり
サタンに魂を売り渡し、ユダヤ人殲滅〜神のみ旨と書物に書き、
それが、ヒットラーの教科書となり、ヒットラーは、ルターが書き
記した、ユダヤ人迫害の1つ1つ、ことごとく全て、ルターが書いた通りに実行した、それが、ホロコーストであることを、知らなくてはなりません!
人は神のために良かれ、正しいという正義感を持っても、
それが神の言葉、意図からズレていれば、神に真っ向から敵対する
思想を持って行動することが、気が付かないまま、できてしまうのです。
ナチに属していたクリスチャンSS達も、ユダヤ人を殺害しながら
罪悪感、違和感あったのです。
神に造られた人のやることではないからです。
それを緩和させるためには、これは神のみ旨!と自分に言い聞かせたのです。
一方、コーリン テンブーンのように、神を恐れ、ユダヤ人達を
家族ぐるみで命懸けで守り、父も姉も殺されてもユダヤ人を守った
人たちもいたのです。対象的に分かれてしまう。
コーリン テンブーンが言っていた言葉、クリスチャンだけが、
空中軽挙で患難を逃れるという現実逃避思想を教える教師は、
偽教師であり、偽の教えをしている!と言いました。
彼女は、体験から、そして神の言葉を理解していたのでしょう。
神が語る事実を。ホロコーストを通った人々、これが患難ではなくて
何ですか?と。そうです。患難は繰り返し、歴史の中で起きるから
です。
繰り返しなのです。終わり時代も、ノアの時代と同じと書いてある通り、神の教えの破壊、無法=神の教えを捨てて生きる、善を悪
悪を善という人たち。異邦人の間では、聖書を教える人が、聖書を
書いてある意味通りに正しく知らず、聖書を神の言葉とも信じない人が、神学校の講壇から、人間が作った神学、思想を教え、聖書に書いてある通りを教えていない!終わりの時代なのです。
反キリストも、紀元前2世紀のギリシャ帝国神のトラーを捨てさせ
神の祭り、シャバットを捨てさせ、それをするユダヤ人を皆殺した
のです。
そして、1世紀以降のローマ帝国も同じ事をしたのです。
これを、クリスチャンは全く知らないままいるのです。神のトラーを生きる事を禁じた!神の祭りも祝うことを禁じた。
それに迎合したのがローマ帝国下に住む異邦人イエシュア信者です。
だから、ローマ帝国が作ったトラーを捨てた宗教の実践に賛同しなければ、処刑されたので、シャバットも割礼も、その他諸々衣食住も
ローマ帝国が指導する通りに生きる事に、切り替えたのです。
其の結果、ユダヤ人と異邦人は、完全に決裂し、違う方向に散って
行ったのです。
異邦人は、人間が作った新興宗教の教えを教えられ、ユダヤ人イエシュア信者は、密かにイエシュアが教えた通りのトラー、契約に根付く
生き方をガードしてきたのです。
全ての問題の原因は、人間が神の言葉を捨てる、作り変えて別物にした宗教を作って、それを実践し続けて来たことです。
その結果異邦人は、神の言葉を正しく教えられておらず、正しく理解していないこと!その代わりに、人間が作った宗教の教えと、其の宗教が語る、思想、神学を熱心に学び、ヘブライ語で記されたオリジナルのトラー、預言書、諸書など正しく学びもしない。
全部、ここに戻るのです。
聖書ではなく、人間の教え=偽の教えに照らし合わせているから、
平気で神の言葉〜神が永遠普遍と言われる言葉を、人が変えても
違和感がないのです。
イエシュアが言われたのは、教えられたのは、実践したのは、
過越の晩餐でやる儀式のことであり、これを毎年、過越の祭りを祝うたびに、過越の晩餐でされる儀式の中で、イエシュアの業を皆で思い出し、毎年毎年イエシュアが来られるのを待って祝って!と言われたのが、イエシュアの遺言なのです。
そのイエシュアの遺言は、弟子たちが聞いていた通りではないもに
作り変えられ、異邦人にはイエシュアの言葉、意味が届かないままに
なったのです。どうして?別物の教えと、人間が作った別物のイスラエルの神の記念日を祝うことにすり替えられてしまったせいです。
パン種除去〜神が罪を取り除いたことを、しっかり自覚し、
自分の中のパン種を除去することを、日々忘れないで生きる。
新しくされた人、「あなたはマッツア」とパウロがコリントの人へ
伝えた言葉は、この過越の祭りで表されるイエシュアの業で、
新しくされた人となっている!という事実を、トラーから、パウロが解説しているのです。
しかも、1コリント5章、そして11章は、過越の祭りの祝い方
新しくされた人、種無しパン〜マッツアになっている事実を通して
祝って!と教えている箇所ですが、これ、普通に読んで、過越の祭りの晩餐の祝い方をパウロが語っているとは、クリスチャンは読んでも
理解していないと思います。
しかも、過越の祭りの意味や、其の祝い方、準備の仕方など、
聖書に書いてある事を、全く教えられていない、知らないのが普通です。イースターの話はしても、神の創造されたモアデイム、本物を
異邦人は知らないのが現実です。関係ない教えだから!古い廃れた
律法の教えだから。もうこれは、聖書ではなく、人間の思想を教え込まれた、悲しい結末なのです。
ローマが4世紀にこんな宗教を作らなければ、異邦人がユダヤ人と
共に集う関係でいたら。パウロのようなトラー学者にトラーを正しく教えられていれば、今のような宗教など世界へ伝えられてはいない。
イエシュアが教えた通りの父の教え=モーセの五書=トラーを
教えられ、シャバット、新月、過越、仮庵を、イエシュアが祝われた
通りを皆が祝うという事以外になかったはずなのです。
未来は、これに戻りますが。
私も同様に過越の祭りを教えられるまで聖書に書いてあるのに、
その意味は、別の意味に変換して読んでいました。
聖餐式の話〜イースターの話?違うのです。
詰まり、聖書ではなく、聖書を、人間の作った宗教と、その宗教を解説する聖書とは異質の人間の思想神学を通して聖書解説しているのです。
だから、聖書に書いてある通りに、読んでもいないことにさえ、
気が付かず、書いてもない事を書いてあるが如くのズレた聖書の読み方に対して、違和感ゼロでしょう!永
遠普遍がどうして、歴史の途中で変わるのですか?
神の性質、神の言葉、神の創造されたモアデイムは、人間の意見や
判定など入る余地のない絶対に変わらないものなのに、それを平気で
変えたのが異教徒、異邦人、西洋人でしょう!
1コリント5:7 新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。
5:8 ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭=過越をしようではないか。
<パン種がないパン=罪が削ぎ落とされた、ハメッツ=パン種がない
マッツア=種無しパンにされた人の事実から、祭り=過越の祭りを
祝おう!とパウロが教えているのです。
イースター祝おう!などと誰も聖書に登場する人は教えません。
イエシュアも、神のモアデイム捨てて、ローマ教の祭りを祝おう!
などとは教えません!!!>
10:1 兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、
10:2 みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。
10:3 また、みな同じ霊の食物を食べ、
10:4 みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。
パウロはモーセの五書、出エジプト、民数記の中に記されている事実を話しているのでしょう。
雲、海、水、バプテスマ、同じ霊の飲み物=イエシュア=神の言葉
岩=キリストと言っているでしょう。
荒野をついて来た、生ける水を湧き出す岩=イエシュア、命の源。
同じ!と言っているのに、どうして意味が通じないまま、イエシュアが教えたらトラー=モーセの五書、トラーとは違う、神の教えを否定
終了、破棄、無用!とする前代未聞の大冒涜、内側に住まう聖霊とは
マッチしない、人間が神の言葉を自由自在に変え、否定し、人間の
作った教えを信奉する、それは、聖霊ではない、神の言葉ではないのです。
パウロは、1コリント7、11何を教えているのですか?これ、
過越の祭りの晩餐で行われる儀式なのです。聖餐式ではありません。
詰まり、過越の祭りの祝い方を7章で教え、ここで実際イエシュアが
された時の最後の過越の祭りの晩餐のことを話しているのです。
イースターの話などではありません!
1コリント 11:23 わたしは、主から受けたことを、
また、あなたがたに伝えたのである。
すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、
11:24 感謝してこれをさき、そして言われた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。
11:25 食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、