長子が受ける祝福、権利が、エサウではなく、次男ヤコブに
父イサクが与えた事件があります。
父は目が見えず、よく分からないまま、それをしたのです。
これ以前に大事な点があるのですが、エサウは自分の食欲のために
目の前にある一杯のスープの為に長子の権利を弟ヤコブに売ったようなことをする人だったのです。
その意味は何でしょうか?詰まり、契約を担うような器、人格ではない。自分の与えられた任務を認識などしていない。軽いやつ!
そのような正しい神の契約の理解、意識もない人であると言うこと
が証明されているのです。
とある国の王で、王としての立場を理解しないまま、やりたい放題に振る舞い続け、全く自分の立場も自覚もしていない。
周りにいる悪い人々の影響を受けて、そのようになってしまったのかもしれない。自制心まるでなし。
ただ特権、権利だけを利用して、国民の税金を好き放題、食い潰し
搾取している。
その振る舞い、生活態度は、どう見ても不道徳、不品行そのもの。
人から嫌われ、軽蔑されるようなことをして、実際に人からの尊敬も敬愛もない。
これ、パウロの教授であったエルサレム国会のガマリエル大ラビとは
全く違うのです。この人は、イスラエルの全国民から尊敬され、
愛され、信奉されている人だったと書いてあるのです。
尊敬や信頼は、お金や脅迫では買えません。
恥そのもの振る舞いをし、国の代表として恥ずかしい行動をする
そのような人は、代表者となる器ではないのです。
なってはならない。
他国の人から、軽蔑され、国の評判を汚し、壊してしまいます。
事実、エサウの子孫は、エドム、イスラエルを殲滅しようとした
アガグ〜ハマン、アマレク、今のイランへと繋がっているのです。
イスラエルの神に敵対する子孫の父になってしまった。
母レフカは、兄弟の性質、本質の違いを見抜いていたのです。
誰が、神の契約、家族を守る責任を担う代表の器なのか。
ヤコブこそが、神の契約、この家の責任を担う器である。
長男はいい加減、長子としての継承権、相続権があっても、
こんな長男に家族の長子としての権利が渡れば、何をされてしまうか
分からないからです。
そして、注目すべきは、この2つ全く別々の話しの中で、全く同じ
言葉の使われ方がされている場合です。
神は、このことから、人に疑問、質問が湧くように誘導しているの
です。考えさせている!この意味は、どういう意味があるのだろう?
という疑問です。
ユダヤ人の歴史の中で、なぜこの出来事に焦点を当てているので
しょう?
ここで行われたことは、母レフカがしたこと、長子ではなく
次男を契約を受け継ぐ代表となるお膳立てをしたことです。
これは、兄弟間で、一方を選び出し、一方を却下するということで
あり、その結果、家族が決裂してしまったのです。
誰か選び出し、他方を却下するとは、妬みをもたらすものでも
あります。
これは、神がシナイ山でイスラエルに対して行われた事と同じです。
全世界の民族の中から、神はイスラエルを選び出したのです。
そのことに、神は注目するように、促しています。
神はイスラエルを、神の聖なる民としている!
でも、神は同時に何を言われましたか?
創世記19:5〜全地はわたしの所有だからである。
神はユダヤ人が特別だから選んだのではないと言っているのです。
なぜなら、全ては全地に存在するものは、神のもの、神の所有、
わたしのものだから!と伝えているでしょう。
ユダヤ人が特別だから、特別に愛して、神のお気に入り、
えこひいきだから選んでいるのではない。
なぜなら、神は神が創造された全てを愛しているから!
では、なぜユダヤ人を選び出したのか?あなた〜ユダヤ人を選び、
その目的は、残りの全民族に神の伝える通りを伝え、同じ祝福を与える為にあなたを選んだ!と言っているのです。
神の理由は、分からないのです。
でも、目的はクリアーに記されています。
神の任務、ミッションを担う代表責任者を、一人選び出さなくては
ならないからです。
アヴラハムを選び出したのは、全民族の父となるため、彼を通して
彼の子孫を通して、イスラエルの神の契約に根付く生き方と、
神の祝福を分け与えるため!それが、イスラエルが選び出された
神の目的なのです。これは、聖書の最初から、最後まで一貫して同じです。置換神学を唱える人は、聖書を知らない人であり、
空想で勝手な聖書解説をしているだけです。
出エジプト 19:6 あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、
また聖なる民となるであろう』。
これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」。
イスラエルという民と、イスラエルの国を選び出した理由をずっと
神は説明しています。
同じ目的です。イスラエルに触れる人、神の教え、トラー、契約に
根付く生き方をして、全世界に神が創造された、神の性質通りに
造られた人は、このように生きる!ということを、全世界に伝える為です。
聖なる民、祭司の国は、人類の代表であり、神に創造された生き方をを教える人達なのです。
人を、イスラエルの神に繋ぐ役割〜それが祭司の国、聖なる民の
役割なのです。
イスラエルが、他の民族より優れている!と言う意味ではないのです。
申命記4:3 あなたがたの目は、主がバアル・ペオルで行われたことを見た。ペオルのバアルに従った人々は、あなたの神、主がことごとく、あなたのうちから滅ぼしつくされたのである。
4:4 しかし、あなたがたの神、主につき従ったあなたがたは皆、
きょう、生きながらえている。
4:5 わたしはわたしの神、主が命じられたとおりに、定めと、おきてとを、あなたがたに教える。あなたがたがはいって、自分のものとする地において、そのように行うためである。
4:6 あなたがたは、これを守って行わなければならない。
これは、もろもろの民にあなたがたの知恵、また知識を示す事である。彼らは、このもろもろの定めを聞いて、『この大いなる国民は、まことに知恵あり、知識ある民である』と言うであろう。
4:7 われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、つねにわれわれに近くおられる。いずれの大いなる国民に、このように近くおる神があるであろうか。
4:8 また、いずれの大いなる国民に、きょう、わたしがあなたがたの前に立てるこのすべてのトラーのような正しい定めと、おきてとが
あるであろうか。
4:9 ただあなたはみずから慎み、またあなた自身をよく守りなさい。そして目に見たことを忘れず、生きながらえている間、
それらの事をあなたの心から離してはならない。
またそれらのことを、あなたの子孫に知らせなければならない。
世界の真ん中、ヨーロッパ、中央アジア、中東、エジプト、全ての国はこのイスラエルの商業ルート、道路を通り商売のため、イスラエルを通過したのです。
そうしたら、イスラエルにいる人の生活が見えるでしょう。
シャバットでは止まり、商売をしない人々。祭りでは止まり商売を
しない人々。何を食べて、どんな生活をし、どのような生き方をしているのか?コミュニテイ全体でお互いを守り合う人達。
その時、神のトラーのように知恵のある教えがあるだろうかと
外国人が気が付くと神が言われたのです。
神の教えが、歪められた理由は、神の教え、契約、トラーを知らない
異邦人の手で、別物の教えに変えられてしまったからです。
そんなことを、神は許していません。代表者には重たい責任があります。これは、異邦人でも、同様にイエシュアを通して父の元に戻った人は、同じようにイスラエルの神の家族、一族、メンバーになり、
同じ家訓を担う責任を負っているのです。
その人達が、自覚ないまま、神の教えではない、西洋人の宗教の
思想を混ぜているとも気が付かないでしょう!
ユダヤ人なら、分かるのです。トラー、契約に根付き、神のトラー
神の教えを、テモテのように親、祖母、先祖代々受け継いで聞いてきた残りの民を通して、純粋な神の教え、イエシュアが教えられた生き方を保存し、世界へイエシュアの実態通りを映し出す生き方をする人を確保する必要があるのです。
神の純粋な言葉、教えではなく、人の思想が混じった別物が伝えられてはならなかったのです。
1テモテ1:7 トラーの教師たることを志していながら、
自分の言っていることも主張していることも、わからないでいる。
2テモテ4:3人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
トラーの教師?異邦人の世界には、パウロのようなトラー、
モーセ、預言書、諸書をヘブライ人が知るような学び方をした人は
今迄いなかったでしょう。近年は大分、正しく学ぶ人達がいますが
以前、ヘブライ聖書に書いてあることを、そのまま教えるというような人は、どこを見渡しても一人も出会った事もないし、聞いたこともありませんでした。それが異邦人の世界なのです。
トラー教師がいない。
簡単な理由です。2世紀以降、ローマ帝国の弾圧で、トラーを生きることを禁じられ、4世紀に正式にローマ教となった時の新興宗教、
その宗教に迎合せず、NOと言って拒絶し、世界に散ったユダヤ人から
完全決別した異邦人の群れだけが取り残されたのです。
その人達の教師は、ローマ教の司教、教皇。西洋宗教を教える教師。ローマ教の司教、聖書を誰も理解できないラテン語だけで読み、
人の作った思想を通した聖書解説だけを聞かされた、
それが異邦人の世界。
1つ1つ考えれば、どうしてだろう?と言う疑問が、必ず出てこなくてはならないのです。
間違った聖書解説で、神の教えを神が破棄したことにされてしまった。本当は、神の言葉を破棄したのは、ローマ帝国の勅令なのに、
事実をすり替えて、人に伝えているでしょう。
嘘、作り話、神が神の教えを破棄したという大嘘を信じるから
神の言葉が、その通りには見えなくなるのです。
Youtubeなどで、神を信じてない人が、キリスト教が伝えるような
聖書観を語っていて、本当に、ここまで聖書〜神の言葉の方を曲げた
思想が人に浸透したのだと分かります。
ジーザスが来るまで、ユダヤ人は厳しい律法を生きていた、それを
ジーザスは、厳しい律法ではなく、もっと楽な生き方を教えたのだ〜!などと、意味不明な解説をしていますが、それがキリスト教で語られる教えでしょう。
イエシュアはトラー=父の教えを、父の意図する通りに教えに来た!と言っているのに。
どこまでも、聖書とは違う教えが、これほどまでに長い間、
そして、広範囲に伝わったということなのです。
オセロのコマのように、それがいずれひっくり返る日が来る。
その決定的な時は、イエシュアが再臨された時です。
空中軽挙で、クリスチャンだけが消える〜!そんな教えをするのは
聖書を知らないからです。ダービー思想、レフトビハインドの著者
映画を通して、別の教えを洗脳するのは最も簡単なことです。
イエシュアが来られたらエルサレムに戻られる。それは秘密裏の再臨などという作り話ではない。全ての人が、イエシュアが再臨されたことを知る時が来ると書いてあるのです。
マタイ24:27ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。
誰も見逃さない!皆が知るところになる、イエシュアの再臨。