ヘブライ語聖書に書いてある通り、神が伝える通りの事実を把握して
いる状態なら神が言われた通りを理解することが出来ます。
うちなる聖霊が教える!というのは、聖霊が預言者を通して記した
神の言葉と、自分の内側に住まう聖霊=神が言われる事とぴったり
マッチしていれば、聖霊が教えられる、神の語る言葉の事実から
教えられるとなるのです。
神の言葉を誤解して解釈していたら、誤解した教え、思想を通して
聖霊は語れません!聖霊が語る言葉=神の言葉を、人の思想がプリズムのように曲げ、歪め、別の教えに変えてしまうからです。
聖霊=神が私たちの教師であることは、神が伝える言葉から分かります。
親=ホレ、教師=モレ、神の教え=トラー、的に当てることをトラー、的を外すこと=ハタ=的外れ、罪と訳されている言葉です。
道=ヨレ、全部同じ語根を共有しています。発音で聞いても
分かるでしょう。
神の言葉通りを聞く、それがうちなる聖霊に、神の意図通りに教えられることが可能な状態なのです。
神の言葉を正しく理解しないまま、宗教が編み出した思想で考え続けても、聖霊は内側から正しく語る事を、違う思想で考える人には
そのまま聖霊が語る事実が聞こえないままになります。
空想、自分の思いつきに留まるのです。神の言葉に照らし合わせて
自分の内側に与えられる理解が、神の言葉とピッタリマッチしていたらそれは、聖霊が教えた真理ですが、そうではない場合、それは神の
言葉、教えではないのです。
ユダヤ人でも正しく聖書を理解しない、詰まりある部分を神の教えではなく人間の思想で曲げている人がいます。
それらの発言は、異邦人には関係ない!とローマ帝国教が語る思想を
同じように主張する思想です。
一方、書いてある通りに神の言うことを理解する人は、神が言われる
通りを理解します。
1)神は神が創造された人類の中から、区別してイスラエルという
民族を選び出しました。
2)1つの国民を神が選び出しの理由は、神の教え、トラーを神が
選んだ人達を通して、神が意図している通り厳重にガードし、生きて
世界へ同じ神の教えと、そして祝福を伝える為、その目的の為に
選び出したのです。
全世界は神に属するのです。全ての人、創造物は神により造られ
神のものだと神は伝えています。
その人達が、皆、創造主から離れて、それぞれ好き勝手な生き方を
選んで生きている、異教の神々=自分の編み出した神に仕えて生きているのです。
その人達の中で、たった1つの民族だけは、それをしてはならない!
それは、創造主、イスラエルの神の元に戻ること、灯台、地の塩
世の光、ケラビムの炎の剣のごとく、エデンの園、神の命の源泉
神の言葉=命の木から食べて、それに根付いて生きること、ここに
戻れ!というシグナルを発する役割をしているからです。
神から重要なミッションを託されたイスラエルは、とても重たい
責任を負っているのです。神の契約=教え、生き方から外れたことを
したら、異邦人より重い訓練を通ったことが書いてあるのです。
契約の中にある事実、それを破り、異教の神々の教えと交わり、
神の言われたことを捨てて、聖別を汚して生きる時、特に厳しい訓練
を通らされたのです。
それは、自業自得でした。しかも、約束の地に入る前に、既にイスラエルが神の契約を破ること、未来預言を伝えられているのです。
神の契約、神が伝える生き方を忘れて、別の神々の教えに交わるようなことをした時には、刈り取る結末がある。
雨が降らず、作物が育たず、やがて敵が侵入し、約束の地から追放
されてしまう!実際にそれが起きたのがアッシリア、バビロンの
攻撃、イスラエルの国の破壊と、捕囚でした。
でも、それだけでは終わらない。神は必ず憐れんで契約を結んだ民を
イスラエルに戻し、そして、未来イエシュアがエルサレムから永遠に
王の王、主の主として統治することを預言されているからです。
エゼキエルとアモス書を学ぶと、神のメッセージの両面が記されています。
これら二つのハフタラ〜完結と言う意味のそのトラーの箇所を解説する預言書の箇所が、いかに見事にお互いを補完し合っているかを
見るのは驚くべきことです。
エゼキエル書の一節において、預言者はエルサレムを「血の街」と
表現しています。
聖なる都、エルサレムに対して、エゼキエルはなんという名を
冠したことでしょう。
実際、これは実に意気消沈させるような一節です。
22:1-19の節の中で、預言者はエルサレムの罪を断固たる言葉で
糾弾しています。
紀元前586年にバビロニアによって滅ぼされる直前、聖なる都で
頻繁に行われていた数々の罪について、一節一節が語っています。
聖なる神から授けられた「この懲らしめは国家の全滅ではなく、
炉の中での金属の精錬(鋳直し)である」という保証を除けば、
この箇所でエゼキエルが説く希望は極めてわずかです。
対照的に、アモス9章からの二つ目の一節は、預言書の中でも
最も励ましに満ちた箇所の一つです。
アモスもエゼキエルと同様に、民に対して悔い改めを説きました。
しかしエゼキエルとは異なり、アモスは道を踏み外した国家に対して、より多くの希望と慰めの言葉を遺しています。
エゼキエルの一節が民を待ち受ける「散らし(離散)」を描写しているのに対し、アモスの一節は、約束された「再集結」と
「国家の回復」について語っているのです。したがって、
これら二つの箇所は、互いに手を取り合うように(補完し合って)
存在しているのです。
選び出された、イコール、人としてより優れているとか、
ユダヤ人達だけを神がより特別に愛している、そのような意味などではないのです。
親だったら、子供がいたら、どの子も自分の子であり大事です。
いや、えこひいきは人間の中にはありますが、神にはえこひいきは
ないと書いてあるでしょう。
イエシュアが世界を見渡して泣かれたのは、彼らには、神が語る
意味など通じない!!!!ということです。
自分の意図している意味が、相手に通じないもどかしさ、誰でも
経験するでしょう。真実が見えない目、別の目が開かれて、別の声を聞いているから、聞こえない、見えないのです。
責任を負わされた!長男でも分かるでしょう。家族のお兄ちゃんは
常に弟や妹より年上で、親の言うことを理解している。
父が不在の時は、長男がその家を代表して仕切る役割を担うのです。
日本の家族制度でも分かるでしょう。今は大分違い、バラバラですが、本家、分家のように、家族が1つであり、家族の長となる存在があるのです。
モーセの五書の中にたった2度だけ、同じ表現の言葉が続いて
記されている箇所があります。神が強調して伝えていることが
あるのです。
出エジプト19:5 それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に
聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民に
まさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だから
である。
בְּקֹלִ֔י וְעַתָּ֗ה שָׁמ֤וֹעַ
1) וְעַתָּ֗ה ヴァアタそしてあなたがた ここでは神の声をシナイ山で聞いている人ですが、神は後に、このシナイ山の麓にいない人にも契約を結んで
いると伝えているのです。詰まり、神の民、神の声に聞いてそれを
ガードし生きる人全てに対して、同じことを語っている事実は、
神が伝えた言葉から分かるのです。
2) שָׁמ֤וֹעַ シャマ 聞くという言葉ですが、本当に本当に自分の全存在で
神の言われることに聞き入ること、聞く、イコール、それを実行する、生きることを伴うことなのです。
3)בְּקֹלִ֔י このブコリとは、接頭辞のブがついているので、
私の声の中で〜と書いてあるのです。
詰まり、この言葉からもはっきり見えるのです。
神の声、言葉、教え以外、別の声の下にいて、別の声を聞いていては、神の言われる声=教えは聞こえません!別の声〜人間の思想、
宗教の教えです。
神の声の中にだけ留まり聞くなら〜と書いてあるのです。
出エジプト19:6 あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、
また聖なる民となるであろう』。
これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」。
注意深く、神が語る言葉と、その状況を考えてください。
この前に、この言葉があります。
出エジプト19:4 『あなたがたは、わたしがエジプトびとにした事と、あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所にこさせたことを見た。
更にその前があります。
イエシュアの業を通して父の元に戻った全ての人が、奴隷状態から引き出され、神の元に戻った
事実を、エジプトの奴隷から、導き出されたこと、過越に実際
起きた歴史の史実を通して教えているのです。奇跡、不思議、エジプトの10の神々
をイスラエルの神が裁き、偽物の初子〜次世代へ続く偽物を全部断ち
本物〜神の子ら、初子を贖われたことで、教えられているのです。
これら、イスラエルという大家族の苗字で語られているだけで、
異邦人全て!神の声の中で、神の言われる事実を聞く人は、
誰でもイエシュアを通して、イスラエルの父なる神に戻り、
神に娶られ=取られ、神の民となったと教えているのです。
イスラエルに起きた出来事、聖書はイスラエル、ユダヤ人だけに
書いてあるなどという思想を刷り込まれているから、イスラエルと
いう代表を通して、神の教えが同様に与えられているという事実が
見えていないのです。ユダヤ人だけとするなら、異邦人は関係ないと言う意味になります。神はそんなことは、言われていません。
出エジプト 6:6 それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい、
『わたしは主である。❶わたしはあなたがたをエジプトびとの労役の下から導き出し、❷奴隷の務から救い、また伸べた腕と大いなる
さばきをもって、❸あなたがたをあがなうであろう。
6:7 ❹わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、
わたしはあなたがたの神となる。
わたしがエジプトびとの労役の下からあなたがたを導き出す
あなたがたの神、主であることを、あなたがたは知るであろう。
出エジプトした異邦人は大勢います。女性、子供、異邦人だけで
240万人はいた事実を考えてください。
神は、このシナイ山の麓にいた、血筋がユダヤ人、ヤコブの12人の
息子から出た、エジプトに430年滞在した人達と、そして共に
エジプトから、神の声を聞いて、イエシュアの血の贖いを信じて
エジプトを出た異邦人に対して話している事実に、気がついて下さい。
神の大家族は、ユダヤ人、そして異邦人両方いて完全、シャローム
神の意図、創造通りの一体の神の大家族となれるのです。
どちらが欠けても、不完全なのです。
モーセの五書でもう1箇所、全く同じ言葉が綴られています。
これは、強調です。
これは、母レフカが、ヤコブに語っている言葉です。
創世記 27:8 それで、子よ、
わたしの言葉 בְּקֹלִ֔י
にしたがい、 あなたは שָׁמ֤וֹעַ わたしの言うとおりにしな
さい וְעַתָּ֗ה
全く同じ言葉が並べられているのです。
この箇所では、何が起きましたか?
創世記 27:2 イサクは言った。「わたしは年老いて、いつ死ぬかも
知れない。
27:3 それであなたの武器、弓矢をもって野に出かけ、
わたしのために、しかの肉をとってきて、
27:4 わたしの好きなおいしい食べ物を作り、持ってきて食べさせよ。わたしは死ぬ前にあなたを祝福しよう」。
27:5 イサクがその子エサウに語るのをリベカは聞いていた。
やがてエサウが、しかの肉を獲ようと野に出かけたとき、
27:6 リベカはその子ヤコブに言った、
「わたしは聞いていましたが、父は兄エサウに、
27:7 『わたしのために、しかの肉をとってきて、おいしい食べ物を
作り、わたしに食べさせよ。わたしは死ぬ前に、主の前であなたを
祝福しよう』と言いました。
この結末は、長子であるエサウではなく、次男のヤコブが長子の権利を得る祝福を受けたのです。神と契約を結ぶ人となったのです。
続く