もしも、仮に聖書に預言された通りの偽教師が、異邦人の世界の中に現れなかったら。
もしも、ローマ帝国が、反ユダヤ思想、反モーセの五書=反神の教え
思想が土台の人間が編み出した混ぜ物宗教を作らなかったら。
そう仮定したら、どうなっていたのでしょう?
聖書に書いてある通り、1世紀の皆がイエシュアが教えた通りの父の教え=太古から語り継がれる永遠普遍の神の教え=モーセの五書=トラーを教えられて、その通りを生きたでしょう!
少なくとも、西洋宗教=別物の宗教の教えや実践、記念日などは
誰も祝うこともなかったと言うことになります。
それらは、神の仰せ、教え、聖書ではないからです。
でも、そんなことは、ありえないことだったのです。
神の教えを人間が塗り替える行為をする偽教師、偽の教えが出現するから、それに対しての警告が、聖書の最初、エデンの園、蛇の声、
嘘に厳重警告!注意喚起を一番最初から教えているのです。
昇天以降、パウロ達が生きていた時も既に、偽教師、偽の教え
グノーシス主義や、禁欲主義、神の教えとは違う思想を語る偽物の
教えが、ローマ帝国下には蔓延していたからです。
聖書は、たくさんの事が凝縮されて書かれています。
土地が小さいから上にずっと高層ビルを建てるような事と同じです。
人の遺伝子、DNAと同じ。
神が創造された神の性質に似せて人を造られたとあります。
その人が、何を生きるように造られ、何を生きるように造られていないのか、創造主である神が伝えているのに、その神の教え、インストラクションを捨てよ!という蛇の声を復唱したのが、西洋宗教=人間の編み出した混ぜ物の宗教です。
イエシュアが来られてキリスト教という新しい教えが教えられた!
という重大な誤解を捨てて下さい。
しかも、イエシュアは、ローマ教が作った教えや、記念日など教えてもない、祝ってもいない事実に注目してください。
神は人間が神の創造されたモアデイムを別物に変える、汚す、破壊する行為を死に匹敵する重い深い罪!と、はっきり何度も何度も何度も教え警告していることに、気が付けないのです。
神の言葉を捨てているからです。
聖書には、モーセの五書=父の教え=契約=トラー以外の教えは
1つも書かれていない事が事実だからです。
同時に、人間が神の教えを、人の判断で仕分け、塗り替えて、
それぞれの時代ごとに解釈を変えて良いなどという教えも、
1つもしていません!それは、ローマ・カトリックの主張であり
神に対する冒涜を冒涜、罪を罪とも理解しない人の教えです。
今の時代は、ノア、ソドムとゴモラを皆が受け入れ生きるから、
神の創造の性質とは反するLGBTは受け入れましょう!
そんなこと、聖書に書いてないでしょう。
そして、最初から、神の教えは同じであり、福音と言っている、
神の一方的な譲渡契約=永遠に屠られた子羊の血の贖いの代価は、
永遠の中に完結しているのです。
聖書を読めば分かるのです。
個人へ伝えられ、それが個人の家族に広がり、そして1つの国民
民族が代表として選び出され、その人達が全世界へ神も変わらない同じ教え、祝福された生き方を伝える任務を与えられたのです。
その1つの神の家族、1つの神の家の家訓=契約に根付く生き方を
異邦人、ユダヤ人血筋に関係なく、イエシュアの血の代価で贖われ
父の元に戻った人は、もれなく同じトラー=父の教えを生きる!
と書いてあるのに、どうして見えないのでしょう?
違う教えに聞き入って、聖書を正しく教えられていないからです。
神はお一人でしょう!聖なる父は、一人!
その大家族が、それぞれ勝手な生き方をし、別々の記念日を生きて
一階と2階に分かれて永遠に別に住む?
人間の空想思想に聞き入り、聖書ではないことを聖書だと偽教師に
教えられてしまう、不幸、不運があるのです。
でも、自分で聖書を読めるでしょう!ローマカトリックが16世紀まで、人が理解できない目的で、ラテン語の聖書を読み、印刷機もない時代、一人一人は聖書など持っていない時代であり、文盲が多かったのです。聖書は、全部手書きです。
そして、司教や教皇が、聖書ではない、曲がった聖書解説をし、
聖書にない様々な教え、縛り、戒律を人に教えたのです。
これカルト宗教ではなくて、何なのでしょう?
偽物=聖書ではない教えをし、聖書に書いてもない教えを生きさ
聖書に登場する人を、神のように崇め、偶像を作り、教皇、司教には
何一つ意見できない!今のカルト化けした群れと全く同じ要素は
ずっと最初からあるのです。
なぜなら、元が神の言葉をなし崩しにし、神の古い教えは廃れた!
という偽情報を人に信じさせたからです。
神の教えに古い、新しい2種類、又は神の言葉、教えに人間が勝手に手を加えて良い!これこそが、異端思想なのです。神が禁じていることをみんなが堂々とやり続けて、主張し続け、今日もそう言っているでしょう?
今日の日没が、神の創造されたシャバットだなんて、普通のクリスチャンは聖書を読んでも微塵にも気がつかないのが普通だからです。
神の教えではなく、人が作った宗教=偶像礼拝を神の教えだと
思わされてしまっているのです。
本当に、神の言葉の事実が分かれば、偽物からは離れるのです。
分からない、それが本物!と思うから、そう信じているだけです。
このように直接書くと、ドン引き、不快!と思うのは、自分が本当だと信じていることが、実は違う!と指摘されたら、不快だからです。
でも、考えて下さい。神が禁じていること、神に対する敵対を
知らない間にやらされている!ということが、分からないから
問題なのです。偽物を教えられたからです。
神に対する敵対主張、行為、そして、偽証をすること!神の言葉を
人間が真っ向から異議申し立てする、それが冒涜だと、どうして
気が付けないのでしょう?
神を神と認めていないことを、行動を通してやっているということに
気がついてください。
神が言われたことは、絶対、完全、永遠普遍!と言われたことを
聖霊が内側に住む人が否定する、その認知不協和行動、思想!
聖霊=言葉=イエシュアであると、書いてあるでしょう。
イエシュアを信じながら、イエシュアご自身である言葉を否定する
この矛盾に気がついてください。
神が一度でも、神の言葉は永遠に変わらない!神の性質は永遠に
変わらない!と言われたら、その事実だけに立たてば良いのです!
神の言葉が変った、教えが変わった、異邦人には関係ない、
2000年前に初めて贖い、許し、聖霊が住まうことが始まった
怒りの神が恵みの神に変身し、神の性質が怒りの神から恵の神に
変わった!こんなまやかし、偽情報、聖書にはない教えの嘘を
全て捨てれば良いのです。
偽の教えのゴミ=パン種を捨てる!そうです。過越に向けて除去しなくてはならないのは、偽物の教えと、にせもの生き方!それらを、
ごっそり全部自分の頭脳、生活、行動から捨てることをしないとならないのです。
実際に、パン種除去掃除をすると、分かることがたくさん出てくるのでやってみてください。神の教えを、古い廃れた関係ない教えという
嘘を信じて軽んじる人には、神が伝えること実際に生きて教えることを、体験しないままいるのです。
そして、永遠の中に屠られた子羊の血の代価の事実が、地上で証明
されたのが2000年前なのです。
イエシュアが来られる前から、まだ見ぬものを見る如く信じて、
信仰により義とされ、新しくされ、父の元に戻った人たちが
残りの民として聖書に記されているのです。
その残りの民は、神の教えに違反する罪を罪ではない!などと
教えないのです。
1つ誤解していることは、クリスチャンの間では、イスラエルが
約束の地から追放された理由、迫害を受ける理由は、救い主を信じないからだと言いますが、それは事実ではありません!
イスラエルが約束の地から追放されたのは、神が伝える契約に根付いた生き方を破り、シャバットを汚し、異教の神々の儀式、慣わし
礼拝に交わり、イスラエルの神を拝む聖別を汚す行為をしたからです。
それは、短い間ではない、長い間、1000年近くもそのような行為をやめなかった後に、神が伝えた通り、アッシリア、バビロン、敵が
侵入し、雨が降らず干ばつ、飢饉が襲ったのです。
キリスト信じれば、後は何生きても良いという、その教えは、
神の教えのある一点だけを強調し、後は、神がどう生きるのか教えていることを、勝手に捨てて、人間が作った宗教を実践しているだけなのです。
聖書には、人の生活を通して分かりやすい、理解しやすい事で
神が教えている事が書かれています。
良い地、水、種、作物、初穂、その他諸々、農作業をする人なら
誰でも理解出来る事を通して、神の教えを教えています。
イエシュアが例えで話された良い地とは、聖書には、
「理解する頭脳」という意味で書かれています。
種は、神の言葉です。
種=神の教えが、頭脳=良い地に植ると、神の種は神の創造の
デザイン通りに根を張り、芽を出し、幹、枝ができて葉が繁り作物が豊かに実をつけます。
水=イエシュア=言葉です。
詩篇1編は冒頭から、トラーに関して書かれています。
神の教え=トラーに根付いて生きる人、生ける水=イエシュア=言葉に根付いて、一年に渡り、シャバットからシャバット、新月から新月春の祭りから秋の祭りへ、神の創造され、刻まれた時=特別に
聖別されたイエシュアを表すモアデイムを生きる人は、季節=
モアデイムが巡るごとに、実をつけると書いてあるのです。
種を捨てたらどうなりますか?種を捨てたら、次の命は出て来ません。カラカラな土地に種を植えて、水がなくても命は芽吹いて来ません。
神の言葉、教えが廃れた!という大偽情報=人間ローマが勝手に主張した勅令思想は、命の源から断たれる教えそのものであることを
聖書から理解しないと危険です。
敵は、人に分かるように騙しません!神の言葉があたかも、古い、
悪い、人を縛る厳しい律法だ!という意識を刷り込んでいます。
その悪い律法から解放するために、ジーザスが来られて、2000年前に初めて、救い、許し、贖い聖霊が住まうことが開始した!
これ全部蛇の嘘です。モーセ、預言書、諸書を、歪んだレンズで読み
そこに書いてあることを、正しく読み取らない間違った聖書解説を
信じている人が、そう勝手に神の言葉に違反して主張しているだけで、聖書には永遠普遍の事実が書かれているのです。
悪い、古い、恵により神は厳しい教えから解放して、今は自由に
なんでも選べる良い時代なのだ!恵を捨てるような生き方をするな!
今は、豚、エビ、カニ、タコな〜んでも食べれる良い時代が到来したのだ!聖別を汚す行為が何かも何も分からない人が主張している。
自分の考えで、神の言葉を勝手に仕分けて良いのだ。
時代ごとに、その風潮、流行りに沿って、LGBTも良いのだ!
愛が大事だからだ!と、愛という言葉の聖書に書いてある意味も定義も知らないまま、神の伝える愛の定義とは違う、なんでもあり!
周りの人を結局、罪へ導き、聖別を汚す生き方に誘う生き方をすることが分からない。
罪を生きて良い時代だ!罪の定義は廃れた!神の言葉が廃れた
無法時代が来たのだ!という、聖書の基づき考えると意味不明な思想を、聖書だと信じ込む大衆で溢れてしまったのです。
預言者、モーセが書き記した神の教え、イエシュアが教えた父の教え=モーセの五書=トラーが、預言者、イエシュア、パウロ達が教えた通りに教えられ、それだけが継承されていたら、今の世界に浸透した
神の教えを、人間が塗り替えた教えは存在していないはずでした。
反ユダヤ思想を持つローマ、西洋教父、ルターも同様、反ユダヤ思想
反モーセの五書思想で、神の教えを変えた思想が土台とされる、
ローマ教の教えが、本当の聖書だ!と解説されるのが、一般的です。
イエシュアが教えたトラーをそのまま、その通りに教えることなど
見渡す限り、皆無でしょう。
それ程、オリジナルの神の教え=聖書、聖書に書いてある神の本当の言葉から、遠く遠く逸脱した、神の教えに人間の教えが混ざった宗教の教えが、爆発的に浸透してしまったのです。
もし、イエシュアが教えた通りの父の教えがメジャー、大衆に正しく
浸透していたら、神の古い律法は廃れた!無効、終了!十字架で破棄された!特に異邦人には関係ない!ユダヤ人だけやっていれば良い!
などという思想が、異端であるから誰も主張しなかったはずです。
そして、皆が神が創造されたシャバット、新月、過越、シャヴオート
仮庵の祭りをイエシュアが教えて、祝われた通りに祝っていたことでしょう。
幼児洗礼もない、聖餐式もない。宗教の階級制度もなければ、
独身を強要する宗教システムもない。宗教の教えがないからです。
日曜礼拝も、クリスマスも、イースターも誰も祝わない!
そんな異教神祭りを別物にパクった祭りなどない。
本物!神の創造された、神が本当に呼び出している日に祝うと言うことを理解したはずです。
大衆に、20世紀という年月で浸透し、伝統でやってるから本物と思うし、それらが、家族の楽しい思い出があるものだから良いものだと
思うものです。でも、神の教え、記念日を捨てることが、罪、聖別を汚す行為であり、それを捨てて、人間が作った別物作り物まがいものをやる!これが、問題なのです。
しかも、キリストの誕生日も嘘の日、2日間もある!?
そういう嘘、偽情報、異端思想、聖書の教えではないことを、
信仰の根拠としてはならないのです。偽証するなかれ!
シャバットは永遠に第7日目であり、第1日ではない!
それは神が聖別していない普通の日!労働日の初日!
人が勝手に日曜日を聖別しても、実態は無!意味ないのです。
神ご自身だけが、時を創造でき、時を聖別できるお方だからです。
聖書を読んでも気が付けないのは、偽物の教えに変換して勝手な
読み込みを施すように最初から教えられているからです。
歪んだ聖書教育そのもの!学校で、教科書に書いてあることを、
別物の教えに変換して読んでとは教えないのに、真実に根付かなくてはならないクリスチャンが、神の教えを曲げているのです。
曲げているとは、全く思っていない。それが問題。問題に気がつけないことが大問題なのです。偽情報に聖書を読んでいて気が付けないことが、実は本当の問題なのです。教師が一番気が付けないからです。