宗教の教えは人間が編み出したもの 神の教えは神ご自身が語る神の深いところにある考え | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

過越の祭りが近づいている時に、イスラエルはイランとの戦争の中にある、この歴史の中、神の計画は着々と進んでいるのです。

イスラエルの神だけが、本当の神であり、他の神々は人間が作った

実在しない偽物、嘘ものの教えであることを、最後は世界が知る

それはイエシュアが再臨される時です。

 

秘密裏の再臨などという、嘘を信じてはなりません!

クリスチャンだけが、患難を逃れるという大嘘、逃避思考は偽教師の教えです!巷に浸透した教え、イコール、神が伝える真実ではない

ことは、山ほどあるのです。

騙されるな!です。神は、私達が患難を恐れず、神を信じて生きる事をずっと教えています。

患難は歴史の中、ずっと繰り替えされているからです。

 

ヨハネ16:33 これらのことをあなたがたに話したのは、わたしに

あって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。

 

聖書は、最初から最後、終わりが書いてあります。

創世記の最初から、イエシュアが教えられています。

それが、モーセの五書を全体を通して、そして、預言書、諸書を通してトラーの解説が書かれています。

その事実が、実際に地上で、証明された記録が、福音書以降なのです。

メシアは最初、個人に教えられました、アダムとハヴァです。

同じイエシュアは、その後、エデンを出た後、ノア、アヴラハム、

個人、そしてその家族に伝えられ、12人のヤコブの息子の子孫が

エジプトに降り増え、その人達が大家族として、エジプトを出たのです。その中に異邦人もいたのです。

その人達が、イスラエルという1つの国民になったのです。

シナイ山で正式に、神の民〜聖なる民とされた人に神の家に住まう

婚姻契約を与えられたのが、シャヴオートの祭りなのです。

イエシュア=神は、時代を経て変わりません。

神と神の完了の業は、変わらないからです。そして、神の言葉、教えも変わらない。神の家に住まう人の生き方は1つだけ、同じ家訓、

同じ契約を生きる!と教えているのが、エレミヤ31:31です。

契約は、イスラエルとユダの家だけに与えられた!

その1つの同じ契約に、異邦人も同じように加えられ、神の大家族として生きる!それが、聖書に書いてある永遠の真実なのですが、

それを、人間の宗教、思想は、聖書とは違う解説を、人間の思想というレンズ、色眼鏡で、別物の教えに変えているのです。

 

この世界の時の中、場所で、メシアが真実であることを、イスラエルを通して、証明されるのです。

 

聖書を、福音書以降から読んでも、意味はぼやけます。

書物を途中から読んでも、全体がよく理解できないことと、同じ事をしているのです。

もちろん、罪のないメシアが罪となり、人の咎を負って、処刑され

復活された、その事実を受け取る人は、神の元に戻れる、新しくされた人を与えられ、内側に聖霊が住まうという点は見えますが、

イエシュアが教えられた父の教え=モーセの五書=トラー=神の家の

家訓、契約に根付く生き方の全貌はそこには書かれていません。

神の教え=トラーの短い、抜粋、引用が解説された、

聖書の後書きだからです。

最初からイエシュアは、記されています。

創世記の3章の中に、聖書に記されているテーマが凝縮されて記されています。

モーセの五書で、その創世記3章に記された事を、解説しているのです。モーセの五書に記された事が、神の教えの完全版、契約書、

イスラエルの神の1つの大家族の家訓なのです。

それ以外の教えはありません。

モーセの五書以外の教えや、モーセの五書を人が勝手に付け足し、

差し引き、独自の解釈をして良いという、偽物教えは聖書では

ありません!

そして預言書、諸書全体は、そのモーセの五書に記された神の教えを解説しているものなのです。

聖書に、聖書と書いてある意味は、100%聖書はモーセの五書

預言書、諸書のみを指して語っているのです。

福音書〜黙示録も同じです。100%タナック=モーセの五書、

預言書、諸書に書かれて短い、抜粋、引用、解説をしているのです。

 

聖書と呼ばれる聖書、その箇所を知らないまま、最後の短い註解、

神の教えの抜粋、引用、後書きだけ読んでも、本当は何が書いてあるのか、誤解するのは当然です。

人間が作ったローマ宗教の思想、聖書とは違う思想を通して、

聖書翻訳者や、聖書とは違う聖書解説する人が、自分の考えで聖書に書いてあることを、勝手に解釈、歪めて、別の教えを解説し続けているのはそのせいなのです。

神は時代ごとに、ご自分の語られた完全無欠である教えの内容など

変えません。神がそう言われているのに、どうして神の言葉が通じないままになっているのでしょうか?と、考える必要があるのです。

人間が編み出した思想、聖書に書いてもない、変化する神、変化する

神の言葉、時代ごとに神の言葉が変わる!怒りの神、恵の神、

律法時代、聖霊時代など、聖書に書いてもない人間の思想のレンズを

通して、聖書=神の言葉を否定、歪めて解説しているからなのです。

 

聖書は、ヘブライ語とギリシャ語の原文では、固定されているのです。ヘブライ語が、聖書に記されたオリジナル、元の言葉です。

ギリシャ語は、そのヘブライ語の翻訳なのです。

もし、ギリシャ語から聖書を訳すと、翻訳の又翻訳になってしまうのです。

その他の言語、あらゆる言語の聖書翻訳とその解説は、その翻訳者

解説者の思想が解釈上の決定に、大きな影響を及ぼしてしまうのです。

詰まり、神の性質と、神の言葉の進化論、デイスペンセーション神学を信じている翻訳者や聖書教師は、聖書をそのような人間の思想で

歪めて、自分の解釈の枠で、聖書に書いてある意味とはそぐわない、

翻訳、解説を施してしまうことができるのです。

それが、翻訳聖書だけを読む、落とし穴なのです。

本来の、元の言葉が見えない。翻訳者の翻訳に頼るしかない!

しかも遠い古代のヘブライの世界の人たちのこと、そこで使われた

言葉や、文化、生き方が分からないまま、現代の自分の文化、思想

慣わしを通して読んでも見えないからです。

たとえユダヤ人でも、デイスペンセーション神学が頭脳に浸透している人もいる、異邦人には関係のない教え!と、聖書を正しく理解しないユダヤ人もいます。世界には、パウロのように聖書をその通りに

解説し、紐解き、教える人の方が少ないことを知っておいてください。皆、誰かの思想を教え込まれた、別のレンズ、枠で聖書解説するからです。

コルバンは、古代中東に存在していた儀式なのです。

他の神々に仕える人たちも、同じようにやっていた。

そして、契約を結ぶとは、これは「切る」という言葉ですが、

契約を結ぶ時には、動物を裂いて、そしてその間を通るという

儀式があるのです。

古代中近東に実在していたことを、神が使い教えています。

契約も同じです。実在した「宗主契約」その形式通りで、

申命記が記されているのです。

様々な情報に欠如して、読んでも、聖書に書かれている古代ヘブライの世界で伝えられた神の言葉、その意味がはっきりとは見えて来ないのです。

しかも、前提が、古い教え、新しい教え、古代は生贄捧げて義とされ

昇天以降は、イエシュアにより許されるという、聖書を正しく理解しない、解説が一般的にほどこされてしまっているのです。

コルバン=動物の血は、人の罪を消さない、許しは与えられない!とはっきり書いてあるのです。

コルバン、神の家の祭壇の上に捧げる捧げ物をなぜ教えられているのか、それを理解しないと見えないのです。

新しくされた事実、しみ、傷、欠陥のない初子、子羊イエシュア

永遠の中に既に屠られている事実から、教えられているのです。

目に見えないもの=永遠の中に完了している子羊イエシュアの

贖いの事実=本体を、影=コルバンで教えているのです。

 

神がされた業で、私達が新しくされ、しみ、傷のない人とされている!その事実からだけ、神の前に近づいて!と教えているものなのです。

それをずっと、救われても、自分は許された罪人と言い続ける人がいるでしょう。コルバンの意味を、神が伝える通りに理解していないからです。

芳しい香り、それが神の前の私達の本当の姿です!と神が本当の

自己像を教えているのです。

自分の手柄ではない、神がされた業!これに注目、意識を向けて!と

教えているのです。

 

翻訳者が、意図通りに訳さなければ、読者には、正しい意味は伝わらないのです。

その翻訳者が、自分の信じる思想=西洋宗教の非聖書的神学

デイスペンセーション神学や、置換神学などの思想を信じている人の訳や聖書解説を聞いたら、それは、聖書を正しくなど解説されていないのは当然なのです。

その極め付けが、スコッフィールドチェーンバイブルなのです。

聖書というタイトルを付けていますが、中身は、デイスペンセーション神学を人に浸透させる目的で、1つ1つの箇所に、人間の思想

神と神の言葉の進化論説解説を書いて、聖書として売り出したのです。

それが、アメリカで爆発的に受け入れられてしまい、それが浸透し

神学校の講壇から、20世紀、聖書ではない、聖書解説の

オンパレードが繰り広げられる事になってしまったのです。

空中軽挙、秘密裏の再臨でクリスチャンだけが、患難を逃れて消えるという偽物の教えも、そのような思想から出て来たものなのです。

それが、小説、映画になって、偽物の思想がクリスチャンの間に

浸透してしまっただけなのです。聖書ではない!

イエシュアは全世界全員が認識できる形で再臨されると書いてあるからです。

偽預言者、偽教師は後を断たないのです。ずっと偽預言で、キリストがいつ来ると預言した数々の預言があるでしょう。

その偽預言は、皆嘘と証明されているのです。その偽預言者は

偽預言を、うまい具合に解説し、キリストが天の至聖所に入られたなどと

自分の偽預言を解説し直していますが、そんなのも嘘の教えなのです。こんな偽預言者、偽教師は至る所で、聖書ではない教えを

今日も、今も言い続けています。

 

マタイ24:11 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わす

あろう。

24:12 また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。

24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

 

宗教の教えは、土台が神の言葉を否定、終了!という偽情報を元に

作った教えです。偽預言、偽教師の警告はずっとされているのです。

多くの人が、神の教えではないことを、神の教えだと教えられ、

それらを教えるリーダーは神の選びの器、使徒や預言者モーセと同じだから

逆らうな!という偽の教えが蔓延しているのです。

「不法」とは、神のトラーを捨てる、違反する行為、神の教え無し!

アノモス、それが現実に蔓延っているでしょう。

神の教えは、廃れました!これこそが、「不法」の教えの大元だからです。

元が、人間=西洋人が作った人の思想を土台とした宗教!という時点で、神の言葉、イエシュアが教えられた純粋なトラーの教えとは、

最初からずれているのです。

その上、その宗教の思想に拍車がかかり、その後アメリカで起きた

様々な宗教ムーブメントは、皆逸脱したカルト的なものばかりで、

今も同じです。

神の言葉を人間が否定し、終了、破棄された、今は新しい時代、

聖霊時代のキリストの律法(モーセの五書とは違う教え)などと

教えていたら、それこそが、聖書ではない偽物の教えなのです。

ある部分は、聖書の真実を信じていても、根本が人間の思想を土台としているからズレているのです。人間が神になり変わる人間が主体の思想で、聖書解説しているからです。

このような聖書解説が、クリスチャンの間では、一般的です。

 

知りませんでしたが、今までに出てきた色々なムーブメント、

果ては、新使徒運動、これが浸透しているそうです。

こういうことです。人間なのに、神に成り変わり、神に選び出された

リーダーは、預言者、使徒、モーセと同じであるから、その権威に

逆らうなかれ!これ、完全にカルト化です。

人間が人を支配する。これ、西洋宗教の階級制度そのものです。

それが、元が人間由来=西洋人の作った宗教の行く末なのです。

神の言葉だけに立たないなら、人間の思想を少しでも土台とするならば、結局このような嘘を編み出し続けて、人間が人間の教えで人を

支配する異常事態になってしまうのです。

 

このような事を教える人の中に、パウロのように聖書を正しく学んでいる人は皆無です。皆西洋宗教の思想を学問で修め、翻訳聖書だけを読み、

神の言葉が廃れた!という思想から、解説しているのです。

これは、闇が深いのです。西洋宗教、人が作り出した流行らせた運動は、聖霊がやっているのではないもの、人間由来です。

聖霊は、神の言葉を否定する教え、思想を語らないからです。

聖霊が神の言葉を記したのに、聖霊=神ご自身である言葉を神が

否定、変えたりしない!という、大原則に立てば、人間が編み出して

作り出した様々な教えや、記念日は、聖書ではない!と

簡単に見抜けます。

 

プラス、神の教えを正しく理解しない人が、聖書翻訳や解説などしたら、

それこそ、神の真実がその通りには訳されず、

翻訳により曲げられた意味合いが出てしまうのです。

それが実際にされてしまっているのです。